意志
NWにログインして、再びイヴさんと連絡を取り、現実世界での天王寺響は既に存在しない事を伝えた。
『……少し面倒なことになってそうね』
イヴさんは前回話した時とは違って、かなり神妙な顔で考え込んでいる。
『少し、NW社内部を調べないといけないかもしれないわ』
内部捜査?NW社の人間が何かをしたということだろうか?
「あの、一体何が……」
私は詳しく詳細を知りたくてイヴさんに問う。すると、イヴさんから口から出た答えは、考えられる可能性の中で最も最悪の物だった。
『おそらく、死者の記憶を抜き取ったのよ』
「そんな…!」
ありえない……そう言いたいけど、NW社は私達の記憶を抜き取った事が実際にあるんだ。生きてる人間相手にやったことを死者に対して行っても不思議ではない。
私は少し怖くなった。記憶を好き勝手にされるのはもちろんだが、それ以上にこんな行為を行った後も、何事もなかったかのようにNW社が活動を続けていられる事にだ。普通ならばロストメモリーズ事件があった時期にストップがかかるはず。
それがここまで好き放題にやれるのだから、国が…世界が関わっている計画なのだろうか……。病気で亡くなった死者の記憶すらも利用しているなんて、ここから先は私達一般人が触れてはいけない……そんな領域の話な気がした。
「でも、どうやって死者から記憶を?脳の活動は停止してるんじゃ…」
今度は沙耶が疑問を口にする。生きている私達は脳が動いている状態なので、電気信号を使い記憶を盗まれたが、死者の脳から記憶を抜き取るなんて事が可能なのだろうか?もしくは死の直前に?
『基本的に人は心臓が停止すれば脳の活動も停止するわ。でも例外もある』
とある国の医療施設で、手の施しようがなくなった数人の患者の生命維持装置を外したところ、ほとんどの人間は脳の活動を停止した。しかし一人だけ、しばらくの間、脳波が観測され続けた患者がいたらしい。結局はこの患者も亡くなってしまうのだが、このわずかなタイムラグの間に記憶をNWに転送することが出来ればあるいは……。
セイレーンのヒビキが人間の響の記憶全てを持っているわけじゃないのは転送時の不具合か、それともNW社側が一部の記憶だけを転送したのか、イヴさんもわからないという。
『あなた達はどうしたいの?』
「どうしたいって……」
どうしたいのだろう。少なくとも事情を知ってしまった以上、ヒビキを倒してNWから消滅させるなんて選択はしたくない。
「救いたい……です」
『何から?』
「……NW社から」
そう言って私はイヴさんを見つめる。NW関係者であるイヴさん相手に挑発とも取れる発言だっただろうか、慌てて会長がフォローを入れる。
「イ、イヴさんは今回の件を知らなかったのですから……」
『いいのよ、リンちゃん。そうね……知らなかったじゃ済まされない立場にあるのは事実。私もヒビキの解放に協力するわ』
まずはヒビキに設定されたルーティンの解除。次に一部しかヒビキに転送されなかった記憶の奪還。不具合で記憶が転送されていなかった場合は現実に、意図的に一部の記憶を抜き取ったのならNW内のどこかに記憶が保存されているらしい。
『ルーティンの解除は私に任せてくれていいわ』
「可能なんですか?」
『可能よ。私にもアクセス権限はある』
これで信用してもらえるかしら?と私に視線を向けて来る。
何故イヴさんは協力してくれるのだろうか。NW社が死者の記憶をモンスターに転送する実験をしているなら、イヴさんも、その計画に賛同して加担するものだと思っていた。
「お願いします。先程は失礼な事を言ってごめんなさい」
考えていても仕方ない。運営側しか設定出来ないルーティンの件は私にはどうしようもないんだ。わざわざ協力を申し出てくれたイヴさんを信用するしかなかった。
『気にしないで。以前、私が発案した計画で記憶を操作して日本中を混乱させたのは事実だもの。信用してもらおうって方が無理な話よ』
「あ、あの、イヴさんは、なんで協力してくれるんですか?もし今回の件がNW社の犯行なら、NW社を敵に回す可能性もあるわけだし」
『なんでかしらね。あなた達を見てると、なんだか我が子を見るよう気持ちになるのよ』
リアルに子供でも残して来たのだろうか?イヴさんは、どこか優しげな顔をして私達を見つめてくる。まるで我が子を見つめる母親のように……。
「まだ20歳独身のくせに何言ってるんですか」
ほんの少しの静寂の後に、沙耶が呆れたように呟いた。
「えっ!20歳!?」
聞くとイヴさんはNW社の社長の娘であり、小さい頃から実験台として様々な知識を埋め込まれて来たらしい。
父が得たゲーム開発に関するノウハウ、各国の言語、学者達の知識。その量は膨大すぎて、もうどれがイヴさん自身が習得した知識で、どれが外から取り込んだ知識かもわからなくなっている。少し大人っぽいのは、その取り込んだ様々な情報のせいだろうか。
「40歳くらいだと思ってました」
『……マリちゃん、さっきの言葉より効くからやめなさい』
「ご、ごめんなさい」
凄まじい殺気を感じて私は即座に謝る。
今後イヴさんを怒らせるのはやめよう……管理者権限でアカウントを消されそうだ。
『さてと、それじゃさっそく取り掛かるから、マリちゃん達はヒビキと接触して頂戴』
「そんなにすぐ終わるものなんですか?」
『邪魔が入らなければ1時間もしないうちに終わるわ』
イヴさんはリアル側の信頼出来る部下に協力を仰いで、自分の動きを隠してもらいながらセイレーンと天王寺響に関するデータにアクセスし、ルーティンの解除と記憶の保管場所を探るらしい。
準備をして船に乗り込み、前回と同じルートを辿って海を進んでいく。今回はサイバーフィッシュは同行せずに、トリデンテ単体で行くことにした。
「今日こそマグロを釣りますわよ!」
「会長、まだ諦めてなかったんですね…マグロ」
◇
ルーティン解除は順調に進み、航海の途中でイヴさんから成功の知らせが届いた。更にイヴさんはヒビキのデータにプロテクトをかけて、ルーティン再変更への対策もとってくれたらしい。
「そろそろかな」
ヒビキがあの後も船を襲い続けているならば、この辺りでまたヒビキに会えるはずだ。
『♪~~♪~~♪』
歌が聴こえる。
それはPCを眠りに誘う歌ではなく、純粋に心地よく響く歌。
これがヒビキの本当の歌声…。
『何しに来たノ』
空からゆっくり降りてきたヒビキの表情は少し暗い。
「ヒビキ……解放されたんだね」
ヒビキが私達に攻撃を仕掛けて来なかった事がルーティン解除の何よりの証拠だ。解除された後も船を襲い続けるならば、それはヒビキの意志だが、ヒビキ自身はそれをしなかった。
『ねぇ、ウチはこれからどうしたらいいノ?』
「え?」
ルーティンからの解放されたヒビキが表情が冴えない理由は、今後自分が何をすればいいのかわからないからだった。約2ヶ月の間ずっとルーティンに縛られて決められた行動をしてきたんだ。いきなり自由と言われても戸惑うかもしれない。
『ウチは……ここで彷徨う前は何をしていたノ?』
言うべきだろうか?ヒビキに何が起こっていたかを……。
一瞬悩んだ私にイヴさんからメッセージが届く。
おそらく会話ログを監視しているのだろう。ただ一言『伝えなさい』とだけ書かれていた。
このままセイレーンとして生きるのか、天王寺響として生きるのか、それはヒビキ自身に決めてもらわないとダメだ。
「あのね、ヒビキ。実は…」
私は、ヒビキが天王寺響である事、現実の天王寺響が既に亡くなっている事、記憶を転送されてNWでセイレーンを演じさせられていた事を伝えた。それを聞いたヒビキは信じられないという顔をして私を見つめる。
『じゃあ、何?死にたくないどころか、既に死んでたってコト…?』
ヒビキの死に対する恐怖は、一度死を経験しているから潜在的に恐怖心が表れたのだろう。普通のモンスターならば、あそこまで死を意識しないはずだ。
『アンタ達が言ってる事、めちゃくちゃ過ぎて、ちょっと混乱してるけど…船を沈めることはやめるヨ……ウチはもう操り人形にはならない』
ヒビキはそう言って、これからは自分自身の意思で生きていくことを決めた。




