22話 宮廷魔法使い、目覚め
「調子はどう? カトレア」
「殿下、」
ベッドの上では失礼だと立ち上がろうとしたところを二人がかりでベッドに押し戻される。すこぶる元気だというのに王太子を立たせ自分はベッドの中から挨拶というのはあまりに座りが悪い。少しでも真面目に見えるように顔だけ神妙な表情を作ってみた。
「ご迷惑をおかけしました。ただ眠っていただけのようで、今は頗る元気です」
「そっか、大事なくてよかったよ。まさか王宮内で誰かに襲われるとは思わなかったから」
食べられそうだったら食べて、とアドニスがサイドテーブルの上に果物の入った籠を置いた。眠っていただけだなんて輪にかけて申し訳ない。だが三日間なにも食べていないだけにとてつもなくお腹が減っている。つい果物に目がいきそうになるのを抑え、視線をアドニスに集中させた。
「それについてはすまんかった。不甲斐ない。舞踏会が終わって気が抜けていたとしかいえない」
「いや、君を責めたつもりはないんだ。相手は魔法使いだったんだろう? 捕捉しきるのもきっと難しい」
笑みを絶やさずフォローするが、シモンは余計悔しそうな顔をした。名実ともに最強の称号をほしいままにしていたのに相手の魔法使いの方が上手だったなど認めたくないのだろう。
だが正直なところ今回のことで言えば宮廷魔法使い全員の責任だ。魔法使いの侵入に気が付けなった。宮廷魔法使いの総責任者はシモンだが、シモン自身は王族の警護にあたっていたし、舞踏会終了後もアドニスの傍にいた。そんな状態で数百人の使用人や騎士、文官たちをすべて把握しその中から不審者を見つけ出すのは、いくらシモンといえど不可能に近い。
何より、王宮の警護というのは一番に王族の身を守るものだ。ゆえに警戒すべきは王族に危害を加えようとする者。だが今回狙われたのは王族ではなかった。
むしろ野良魔法使いはデルフィニウム家の者としか接触していない。
最初から狙いは私たちなのだ。
「私が弱すぎるばかりに各所にご迷惑を……」
「お前が弱いことは今に始まったことじゃないから気にするな」
「あう……」
にべもなくばっさりと切り捨てられる。たぶんシモンはフォローしているつもりなのだろうが。
「言い方はともかく、シモンの言う通り気にしなくていい。君の仕事は力をもって人を守ったり制圧することじゃない。君には君の得意分野があるだろう」
「殿下……!」
「……それで、君に探してほしい人がいるんだ」
どきりとする。
先ほど野良魔法使いの使ったであろう魔法の残滓があったとシモンが話した。
今回の魔法の残滓、パトリシアから引き取ったガラス製の時計、シンデレラから没収したガラスの靴。
おそらく、これだけの物品が揃っていれば、私はランプブラウニーの力を借りて野良魔法使いの居場所を割り出せる。
今までは、シモンが刺激しては危険だということで厳重に保管するにとどまっていた。だが明確な悪意と敵意が確認され、私への直接的魔法の行使があった以上、静観する時期は過ぎていると言わざるを得ない。
この仕事はシモンでもできないわけではない。だが私が眠っている間にそれをしなかったということは私に挽回のチャンスを残していてくれたということだろう。
自身の弱点で窮地に陥ったのだから、自身の強みで信頼を取り戻せ、と。
「……喜んで。必ず早急に見つけ出してみせます」
「ありがとう! 君ならそう言ってくれると思っていたよカトレア」
どこか浮かない表情だったアドニスの顔が輝く。
そうしてアドニスは1足のガラスの靴を取り出した。
「この靴の持ち主を探し出してほしいんだ」
「ええ、すぐに」
透き通る、氷のようなガラスの靴を受け取り、首を傾げた。
この靴は、野良魔法使いがシンデレラに渡したものではない。
「あの日、舞踏会に現れた女性を探してほしいんだ」
「…………なるほど」
アドニスが見つけてほしかったのは野良魔法使いではなくうちの妹でしたか。
道理で見覚えのある靴! だってこれ私が発注したんだもん! 魔法を使うまでもない!
ガラスの靴を手にぱっとシモンを見る。シモンはさっと目を逸らした。
「……なるほど。申し訳ありません殿下。少しお時間いただくことになりそうです。探知が完了したらこちらからご連絡させていただく形でもよろしいですか?」
「もちろん! 君は病み上がりだし、無理のない範囲でお願いしたい」
「お気遣い痛み入ります」
晴れやかな表情でアドニスは部屋から去った。魔法のことがわからないからこそ、決して無理強いはせず、こちらの言うことを向け入れてくれるからありがたい。
足音が遠のいてからシモンのローブを引っ張った。
「なんでシンデレラが私の妹だってこと言ってないんです!?」
シモンには遅れて現れアドニスの心をつかんで離さなかった娘がシンデレラであること、私の義妹であることは知っているはずだ。アドニスの反応からしても、彼が気を揉んでいたことは想像に難くない。であれば教えてやればよかったものを。
「俺から言っていいものかわからなかったからな」
「いいですよ!? むしろ私が『あの子? うちの自慢の義妹です』なんて言ったらまるで私がシンデレラを売り込んでいるみたいじゃないですか」
「わめくな」
額をデコピンされ思わず呻く。さっき小突かれた時よりもはるかに威力が強い。私が元気だということがよくわかったらしい。
「12時前に逃げ出しただろう。名前も言わず、家名も告げず。実は何かが気に入らなくて逃げ出したかもしれないだろ」
「それはただの演出ですぅ。よりインパクトを残そうと」
「遅れてくるだけでも十分インパクトあっただろう」
深々とため息をつかれ、私は額を押さえ枕に頭を預けた。
ガラスの靴の持ち主はすぐに見つけることができる。おそらく今は屋敷か街にいるだろう。
12時前に帰るように指示を出したのは私だ。
魔法が解けるから必ず帰るようにと。靴を片方だけおいてくるようにと。実際シンデレラは私の指示に従った。
だがそれは本当に私の指示に従っただけだったのだろうか。
実は本当に何かが気に入らなくて逃げたのではないだろうか。
「はあぁ……」
私はまだ、あの子の意志を確認していない。
本当に、あの子を見つけ出してしまっても良いものだろうか。
舞踏会へ行く前の、不安げな顔を思い出した。
「……お師匠、家族へ私のことは連絡しましたか?」
「した。お前の姉や妹に野良魔法使いが接触したこともあったからな。お前の身柄はしばらく俺が預かる。屋敷の方には野良魔法使いがいることを伝えたうえで、屋敷に来ても決して扉を開けないこと、銀髪紫眼の男がいたら近づかないことを徹底させてる。屋敷にも俺の使い魔を数匹置いてるから屋敷にいるところを襲撃されることはないだろう」
「ありがとうございます。あの、みんなの様子は」
「三者三様だな。デルフィニウム夫人は取り乱していたし、妹は泣いていた。姉も随分思いつめた顔をしてたぞ」
つい唇をかみしめた。不甲斐ない、申し訳なさでいっぱいだった。
前回とは違う。強くなったつもりだった。特別になったつもりだった。弱くて底意地の悪いばかりの男爵令嬢から、少しはできる魔法使いになれたつもりだった。
でもまるで駄目だ。私は相変わらず弱いまま。
きっと母とパトリシアは、私が死んだときのことを思い出しただろう。3人の中で、私は一番最初に死んだ。鳥に目を抉られ、感染症に罹りそのまま衰弱死した、哀れで救いのない終わり。今度こそ大丈夫だと、私がそう鼓舞していたはずなのに。
「……本当、情けないなぁ」
肩書を増やしたところで、私はどこまでも無力だ。
「…………」
「……ちょ、何なんですか」
沈み込む私の頭を無理やり撫でまわすシモン。抵抗する気にもなれず頭がぐわんぐわんと揺れる。
「さっきも言ったが、あまり気にするな。野良魔法使いのレベルは高い。お前じゃなく他の魔法使いでも同じ状況で撃退できるか怪しい」
「でも……」
「さあ、弱弱なお前でもできることがあるだろう」
「……シンデレラの居場所を殿下に伝えること?」
確かに私にできることである。とりあえずはそれから片づけるべきかとベッドから身体を起こした。今度はシモンも私を押し戻すことなく、手を取った。
「その前にすることがあるだろ。お前にしかできなくて、お前じゃないとだめなこと」
「私だけですか……?」
疑問符を浮かべる私を抱きかかえるとシモンは笑った。
「家族に元気な顔を見せること、だ」
「え、ちょ、おししょ、うっわぁ!?」
私を抱きかかえたまま危なげなく窓際に歩み寄るとそのまま窓から飛び降りた。一瞬の自由落下の直後、眩い光と風音に視覚と聴覚を奪われる。胃がひっくり返るような感覚は去り、ふわりと慣れた浮遊感に包まれた。
大鷹だ。
以前はよくシモンが移動の際に使っていた使い魔。
私が失明する原因が鳥だと伝えてからは、私の前で機動力の高い使い魔である大鷹を呼び出していなかった。魔法で呼び出された大鷹はぐんぐんスピードを上げていく。
「このまま屋敷まで飛ぶぞ」
「ちょ、ま、」
巨大な鷹の首元に胡坐をかいたシモンの上に座らされる。強風から免れるようにふわふわとした羽毛に包まれる。掴まる場所もなく、慌ててシモンの腕にしがみついた。
「で、でも今さっき殿下にシンデレラの居場所を調べると、」
「カトレア、お前の上司は心配する家族に顔を見せに行くことすら認めないほど狭量か? 多少遅れたところで気にも留めんさ。何より今からお前は例のガラスの靴の持ち主のところへ行くんだ。何一つとして間違っちゃいない」
「それもそうですが……」
「余計な心配はしなくていい。アドニスが苦言を言うようなら俺が反論しよう。今鳩が襲ってくるならこの大鷹に食い殺させよう。野良魔法使いが姿を現せば必ずお前のことを守ろう。だからカトレア、お前は自分にとって大切なものだけ考えていればいい」
反射的に顔を見ようした私の頭をシモンが抱え込んだ。後頭部を掴む掌がひどく熱い。
私は鳥が嫌いなのに鷹に乗せるなんて、寝間着のまま外へ連れ出すなんて、などという憎まれ口を叩いてやろうという気持ちもあったのに、何も言えなくなってしまった。
そして私自身、今頃赤くなっているだろう顔を胸に押し付けられていることに一人安堵した。




