13話 野良魔法使い、贈り物
「お姉さま、懐中時計の件ですが」
「カトレア! で、彼はどんな人? どこの家の人だったの?」
榛色の瞳を輝かせて私を出迎えたパトリシア。そんな姉に今から辛い現実を突きつけなければならないと思うと、さすがに胸が痛い。
「落ち着いて聞いてください、宮廷魔法使いの中に、お姉さまに懐中時計を渡した者はいませんでした?」
「……どういうこと? この国の魔法使いは全員宮廷で働いているでしょう?」
何となく誤魔化し、不安を煽らず、それでいて件の野良魔法使いから興味がなくなるよう仕向けたい。帰り道の間中考え抜いた作り話をドキドキしながら披露する。
「ええ、つまりその人は以前お話しした野良魔法使いでしょう」
「野良魔法使いって……登録していない違法魔法使いで、」
「シンデレラにドレスや馬車を用意した者でしょう」
知らんけど、という言葉はそっと飲み込んでおく。
以前野良魔法使いの話をパトリシアに話しておいて正解だった。実際パトリシアの会った野良魔法使いとシンデレラの会った野良魔法使いが同一人物かどうかなど調べようもないが、せっかくだから一人二役ということにしておきたい。
「……ふぅぅぅ……」
押し殺したため息のような唸り声のような吐息に肩を揺らす。片手で顔を覆い、落ち着かせるような深呼吸を繰り返すパトリシアは貴族令嬢にあるまじき圧を放っている。期待値が高かっただけに、それを裏切られたとあればその失望の感情も深いものとなっているのだろう。
「……でも、その野良魔法使いはシンデレラの結婚のために動いていたのよね。なら必ずしも悪い者とは限らないんじゃなくて?」
見事怒りを押し殺し切ったパトリシアの希望的観測を、再び打ち砕くのは本当に忍びないのだが、下手に希望を持たせる方が後々揉めることになる。気合を入れてから口を開く。
「ですがシンデレラのドレスや馬車、靴は今回すべて私たちで用意します。ぽっと出の野良魔法使いに用はありません。それにお姉さまに、このタイミングで近づくなど……」
「というと?」
「お姉さまをだしにシンデレラに近づこうとしたのではないでしょうか」
「は?」
今まで宮廷ではいろんな人間を見てきた。
交渉が決裂し、大声で怒鳴り散らしながら罵倒する他国の遣い。命乞いかなわず牢へと連れていかれる最中に怨嗟の叫びをあげる犯罪者。暗殺に失敗しシモンにつるし上げられながら呪詛の言葉を吐き散らす暗殺者。どれもこれもすさまじい気迫と怒気だった。
けれどそのどれも、姉の「は?」という一言に比べればはるかに可愛いものだったと思える。
「え、ええ。もしかしたらお姉さま経由で自分の話をシンデレラに伝えさせようとしたのかもしれません。そうすれば、舞踏会の夜に突然屋敷を訪れたとしてもシンデレラに警戒されずに済みますので」
「……へえぇ、ほお、ふうん…………」
長い長い沈黙に胃が痛むのを感じた。
永遠とも思われる沈黙を破ったのはありがたいことにパトリシアの方だった。
「カトレア」
「なんでしょう」
「これ、捨てといて」
「承知いたしました」
無造作に投げ渡された懐中時計を恭しく受け取り、あらかじめ用意しておいた木箱の中にしまう。回収したこの野良魔法使いの呪具は明日シモンに引き渡すことになっている。
「ふうぅぅ……」
一安心、と胸をなでおろしていたが、再び聞こえる猛り叫ぶ前の獅子を思わせる吐息にぎょっとする。確かに私の目的は果たしたが、アフターケアが何もなかった。そしてアフターケアのことまで考えていなかった。
つまり無策なうである。
控えめに言ってやばい。
このまま私が堂々と出て行ったらパトリシアの怒りと苛立ちは使用人並びに最近ようやく関係改善がなされたシンデレラに向くだろう。何より舞踏会まで秒読みの今、シンデレラに何かあったらことなのだ。どうにかシンデレラには心身ともに健康な状態で舞踏会という戦場に挑んでほしい。かの王太子には会うことの叶わない思い人がいるのだ。その想いを吹き飛ばすくらいに王太子を惚れこませなければならないというミッションがシンデレラには課せられているのだから。
「あの、よろしければ他の宮廷魔法使いを紹介します。その、みんな舞踏会で踊ったりはしませんが、会場の警備には来ていますので、気になった人がいたら後日場を私が整えて、」
「カトレア」
「はいっ」
びくびくしながら続く言葉を待つ。似たような条件を出したが、やはり偶然出会った運命的なシチュエーションと比べれば圧倒的に見劣りするだろう。
「今は一人にしてちょうだい。それと、明日からちょっと外に出かけるわ」
「お姉さま」
「詮索不要よ。早く」
こちらを見ることなく扉を指さしたパトリシアに二の句も継げず、すごすごと退出することとなった。機嫌を上向きにすることすらできなかった私は、とばっちりを食らうだろう使用人やシンデレラに心の中で謝罪した。
とぼとぼと自室へと向かっていると偶然廊下でシンデレラと声をかけられた。
「カトレアお姉さま、」
「ああシンデレラ……しばらくはパトリシアお姉さまに近づいてはいけませんよ」
「え、ええ! お昼にお話ししたときはとても元気そうでしたのに……。体調がすぐれないのですか?」
「ええ、まあそんなところです」
巣穴を荒らされた狼のよう、あるいは地獄に落とされたてのルシフェルのような機嫌のため近づかないよう、とは言いづらく、シンデレラの推測に乗っておく。
「ではお見舞いに」
「いいえ、シンデレラ。人には誰しも一人になりたいときというのがあるんです。そしてお姉さまにとっては今がその時」
「そんな……では私がうかがってもお邪魔になってしまいますね」
「話が早くて助かります、シンデレラ。今はお姉さまをそっとしておいてあげてください。お姉さまもシンデレラも舞踏会をすぐに控えているんです。お互い体調を整えることに専念しましょう」
悲し気な表情を浮かべるシンデレラの肩を慰めるようになでる。頼むからおとなしく、今は火に油を注ぐような真似を控えてくれ。
前回の人生の時も思ったが、シンデレラは人の負の感情の機微にあまりに疎い。気が利かないとかそういうわけではないのだ。ただ自分の行動、あるいは自分の存在が他人を不快にする可能性というのがきれいさっぱりすっぽ抜けている。だからこそ他人の悪意にも気づかず、平穏無事で怒ったり恨んだりしない人格なのだろう。もっとも、シンデレラの代わりに周囲のネズミや鳥たちが全力でその負の感情を代弁しに来るのだが。
シンデレラがうっかりパトリシアのもとへ行かないよう部屋まで送っていく。
何とか何も起きずに一晩過ごせそうだと思ったとき、ふと疑問がわいた。
「シンデレラ、妙なことを聞くのですが、最近外の方から何かもらったりしましたか?」
「何か、ですか? そういえば昨日食材を買いに行ったらおばさんからリンゴをおまけしてもらいました」
「そういうのではなく」
この子は使用人の仕事も手伝っているのかと頭が痛くなる。人を助ける。それは美徳だ。だが一応シンデレラを含め私たちは雇用主、使用人たちは被雇用者なのだ。この関係性にいおいてはあまり褒められたことではない。が、それは主題ではないため今はおいておく。
「たとえば、おまけとかではなく突然誰かから何かもらうとか。……そうですね、魔法使いから何かもらうとか」
自分で聞いてから、何を言っているのかと自嘲する。突然他人から何かもらう、そんなこと普通はないし、常識的に考えて受け取らない。魔法使いに関しては私自身が宮廷魔法使いなのに、彼らから何か受け取ったかと聞くのも妙だ。
「あっそういえばもらいました!」
「もらっちゃったの!?」
「ええ! 知り合いの魔法使いさまが、よかったら舞踏会のときに使ってくれって」
激しい頭痛が私を襲う。あまりにも突っ込みどころが多すぎる。知り合いに魔法使いがいるなんて話はたった今初めて聞いたし、とっくに野良魔法使いがシンデレラへの接触を果たしていたことにも頭痛がする。
だがそれ以上に私は寒気を感じていた。そもそも私は勘違いしていたのだ。私は舞踏会の夜に突然魔法使いが屋敷を訪れシンデレラに魔法をかけたと思い込んでいたのだ。だがシンデレラは一度も“初対面の魔法使い”とは言っていないのだ。母親の知人だという魔法使い。であればシンデレラの実母が存命の間にも会ったことがあったのかもしれない。そうでなければ、突然の来客を使用人たちがシンデレラに取り次ぐことは決してないし、さすがのシンデレラも迎え入れたりはしなかっただろう。
野良魔法使いはとうに動き出していたのだ。シンデレラを王太子妃にするために。そんな野良魔法使いは本当に、知人の娘への善意だけで動いていたのだろうか。シンデレラが王太子妃になったあと、野良魔法使いは何を望み、何を得たのか。途中で死亡した私たちには知りえない、未来。
「……いったい何を頂いたんですか?」
「とってもきれいな、ガラスの靴を」




