地球編「トラックに息子を奪われた母ですが、『小説家になろう』と思います」その9(前編)
1
自己顕示欲とは、また違う――。
これまで嶋田フミエは“エフの小説部屋”の感想掲示板を開くたび、なんとも言えぬ寂寞を感じていた。
もしかすると、こんな素人の書いた小説なんてだれも読んでないかもしれない。インターネットによって全世界とつながっているはずでありながら、だれからも目を向けられていないのかもしれない。
そんな、このIT時代特有の――21世紀に入って人類が始めて味わう孤独感を、主婦フミエは体験させられていた。
ここまでは、珍しいことではない。
この現代、多くのアマチュア創作者が同じ悩みを抱えている。だれからも見向きもされない日記やイラスト、政治的主張など、広大なインターネット上にはいくらでも転がっていた。
――だが、フミエの心理は複雑だ。
ネット世界での孤独は、彼女にとって、
『広い世界に、息子とたったふたりきり』
という、ともすれば悦ばしいものですらあったのだから。
それは、まるで星々のみが煌めく空間に投げ出された、宇宙最後のアダムとイブ。壮大な神話のワンシーンのよう……。
ただし、その一方で、
『タカシのしている冒険を、他の人たちにも知ってほしい』
そういった想いも芽生えてはいた。
前者と比べれば、ずっと普通の人間らしい感情であるだろう。
息子のことを……遠い遠い、だれも知らない異世界で、人々のために旅をする、たったひとりの地球人のことを、自分以外に教えたい。――そんな気持ちがほんの小さく、しかし確かに、地中で芽を出す花の種のように、胸の奥で生まれていたのだ。
(タカシは、こんなにがんばってるのに……)
ファンタジー世界を救うために、恐ろしい敵と戦っているのに。
だが現実にはアクセスカウンターはほとんど回らず、掲示板も広告以外は白紙だった。
そんな、電子の凪での漂流中に、
件名:いつも読んでいます 名前:YOSHI
はじめましてYOSHIといいます。『タカシの冒険』毎回楽しく読んでいます。あなたのファンです。応援しているのでがんばってください。
この短い書き込みを読んだ歓喜は、いかばかりであったのか。
それは想像に難くあるまい。
2
翌朝――。チカが起床し、寝不足の目をこすりながら台所に行くと、
「ふんふふんふ、ふ~ん♪」
母親が、鼻歌を歌いながら朝食の仕度をしていた。ガス台ではじゅうじゅうという目玉焼きの音が鳴っていた。
「ふわぁぁ……。お母さん、おはよー。今朝はずいぶん機嫌いいね?」
「えっ? うふふっ、そうかも。――あっ、そうだ。今朝は特別に、テレビ見ながら朝ごはん食べていいわよ?」
ひと目でわかる上機嫌だ。
フライパンを覗き込むと、ハムエッグにハムが四枚も入っている。いつもは『あんまり体によくないから』と一枚か、せいぜい二枚だけなのに。
理由は、あまりに明白だった。
「お母さん……。感想もらったの、そんなに嬉しかったの?」
「うふっ。まあね。それはそうでしょう?」
母は隠そうともしていない。
自分の小説が――いや、タカシとその冒険が、見知らぬだれかに褒められた。そんな喜びに満ち溢れていた。
「ねえチカ、あの感想をくれたのって、いったいどんな人なんでしょうね? YOSHIさんと書いてあるけど男の人かしら? あの手のアクションものって、男の子のためのものだものね。タカシと似たような年ごろの男の人なのかしら?」
「かもね」
「それとも女の人かしら? 男の子向けの作品が好きな女の子もいるでしょうしね。――どっちにしても、きっと立派ないい人よ。それに頭もいい人だと思うわ。だって『あなたの作品のファンです。応援してるのでがんばってください』なんて、普通はなかなか言えないもの」
「まあね」
「そんな人が『毎回楽しく読んでいます』ですって! ああ、なんて素敵なの! YOSHIさん、タカシとお友達になってくれるかしら?」
「たぶんね」
チカは適当なあいづちを打ちながら、もしゃもしゃとハムを食べていた。
(まったく……。なにが『普通はなかなか言えないもの』よ)
そのくらい、だれでも言えるに決まっている。
時候の挨拶みたいなものではないか。
この母親は、あんなに短く殺風景な文面で、よくもこれだけ大喜びできるものだ。
――少女は呆れを通り越し、逆に感心すらしつつあった。
それにしても許せないのは片山青年だ。
(あの馬鹿、どうして感想なんか……。こんな風に浮かれるのは想像つきそうなものじゃない! あの馬鹿! あの馬鹿! あの馬鹿!)
あとで文句を言ってやらなければ。彼女は怒りを胸に秘め、ハムを半熟の黄身にからめてもう一枚食べた。
「そういや、お母さん今日出かけるんでしょ? いつもの“母親の会”。第三火曜日だから」
母親の会――正式名称は“家族を失った母親の会”。
その名の通り、事故や病気で家族を失った母親たちの会合だ。市役所主催で一ヶ月に一度のペースで集まり、お喋りやレクリエーション、簡単なカウンセリングなどをする。フミエは新聞でその存在を知って以来、毎月欠かさず参加していた。
チカは話題を変えるつもりで、この会の話をしたのだが――、
「ああ、あれは……今回は、お休みにするわ」
どうやら余計な質問をしてしまったようだ。逆に、後悔することになる。
「どうして? いつも楽しみにしてるのに?」
「なんとなく行きたくないの……。あの会って辛気臭いわりには、どこか不真面目で――本当にみんな、亡くした家族のこと考えてるのか疑問になることもあるし。とにかく、今月は行かないわ。お仕事や学校じゃないんだから、ずる休みしてもいいでしょう? それに……そんなのに出る時間あったら、小説の続きを書きたいもの」
まるで習いごとをやめる子供のようなことを言う。
しかも主な理由は、きっと最後の部分だけ――『小説の続きを書きたいから』だ。
「ファンがいるってわかった以上、これまで以上にがんばらなきゃ! ねえねえ、チカ、YOSHIさんって女の人ならどんな人だと思う? 美人かしら? 若い子? タカシの彼女になってくれそう?」
結局、母親は強引に話題をもとのものへと戻し、チカは最後のハムをもぐもぐとしながら、
「まあね」
と、また適当なあいづちを打った。
このハムエッグ、砂の味しかしなかった。




