10話《ぎゅっと強く、苦しく》
「ここまでくればいいかな」
人通りが少ない場所へとやってきた歌恋。薄暗い館内は他の客のシルエットは見えても、表情までは見ることはできなかった。
「ルミ、大丈……」
振り返り、彼女の顔を見ようとした時、ルミは手にした袋を離し、そのまま歌恋に勢い良く抱きついた。胸に顔を埋め、腰に腕を回し、体はわずかに震えていた。
「ルミ……」
そっと彼女の頭に手を添え、歌恋もぎゅっと彼女を抱きしめる。
「ごめん……ごめんね……怖かったね」
「う…うぅ……」
彼女を一人にしたのは歌恋の不注意だった。今日はただのナンパだったが、もし例のストーカーが彼女に声をかけていたらと思うと、歌恋は自分に怒りを覚えた。無警戒すぎると。
「落ち着いたら帰ろうか。それまでは泣いてていいからね」
まるで子供をあやす母親のように、歌恋は彼女の頭を優しく撫でた。
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「……静かだね」
「……そうですね」
ベンチに腰掛けて、ぼーっと目の前の水槽を見つめる二人。互いの気持ちが落ち着いた頃に、自分たちが今クラゲのコーナーにいることに気づいた。
互いの昂ぶった気持ちを落ちかせるように手を握り、水槽の中でフヨフヨと浮いているクラゲを見つめる。
あたりには他の客の姿はなく、遠くからわずかに賑やかな声が聞こえる。
「そろそろ帰ろうか」
「すみません、先輩……」
「いいんだよ。私こそごめんね、一人にして」
いつものように頭を撫でると、ルミはそのまま歌恋の胸に顔を埋め、ゆっくりと頭を左右に振った。
「ルミ?」
「落ち着きます……」
「そう?」
先ほどと同じように、歌恋は落ち着くように頭を撫でてあげた。長い髪をなぞるように、何度も何度も、優しく……。
「あっ、そうだ。ルミ、ちょっと後ろ向いて」
「え、なんでですか?」
「いいからいいから。ほら、後ろ向いて」
特に何かを企んでいるような様子はなく、不思議に思いながらもルミは歌恋に背を向ける。すると、歌恋はルミの髪に触れて何かをしていた。
「よし、できた」
「……髪、束ねたんですか?」
「うん。暑そうだったからね」
「……これだけですか?」
「これだけだよ」
なんだか満足そうな表情を浮かべる歌恋。ルミは何をしたのだろうと思いながら髪留めに手を伸ばす。
「えっ……」
不意に、水槽に映った自分の姿にルミは驚いた。自分が今触れている髪留めは、イルカの形をしたヘアゴムだった。
「先輩のお土産探してる時に見つけてね。可愛いなぁってね」
「い、いいんですか?」
「いいよ。私がルミにあげたかったから」
髪留めに触れ、ルミは嬉しそうに笑みを浮かべ、歌恋の方を向いた。
「ありがとうございます、歌恋先輩」
ドクンッとまた胸が苦しくなった。軽く咳払いをすると、歌恋は「良かった」と口にした。
「じゃあ帰りますか。先輩がお土産待ってるだろうし」
「はい」
手を繋ぎ、二人は水族館を後にする。
並んで歩くルミはご機嫌で、先ほどからずっと笑っている。そんな幸せそうな彼女を見て、歌恋も笑みを浮かべた。




