39「誤解ってなんだよ」
「お前、本当は知ってるのか?」
レオを散歩に連れ出し、家から離れて早々言われたのはこの言葉だった。
ブランカは先を歩きながら「なにが?」と返す。
「いや……なんか知ってる風だっただろ」
「だから、なんのこと?」
「アルマのこと」
「知らないよー」
「聞いてねえの」
「うん」
後ろをついてくるレオは、戸惑っているように言葉を詰まらせた。
きっとこれ以上は聞いてこない。
ブランカがそう思ったように、これ以上レオは聞いてこなかった。
黙って歩くのも暇なので、時間をつぶす散歩の為に、最近聞いた情報を頼りに話題に出す。
「結婚するんだって?」
「ヴィートか」
「うん」
「ふーん。で、お前、この前は俺はいないのかって聞いてくれたって?」
「ヴィートだね?」
「おー」
二人で話すこの温度は、どうしても妙な感じがする。
懐かしいというか、気安いというか。
奇妙な関係性であることを二人が受け入れている、そんな雰囲気がある。
「俺のことを許したのかよ」
そう後ろから聞かれて、ブランカは小さく笑った。
「言ったでしょ、恨んでないって」
「そうじゃない。俺の存在を許してくれたのかってこと」
「それ、何か違う?」
「全然違うだろ。お前の中に俺がいることを許してくれたから、俺がいるかどうか気にしてくれたんじゃないのかよ」
「レオとヴィートはセットだからだよ」
「ふん。言っとけ。いるよ、お前の中に俺は」
確信めいた話し方をする。
レオに反論してもどうしようもないと思ったブランカは、いても問題はないと「そうかもね」とだけ返事をした。また後ろが静かになる。
「で、どうだったの? お見合いは」
「別に」
「うまくいきそうなんだね。よかった」
「……お前の言った通り、新しい婚約者は必要だってだけだ」
「いい人なんでしょ。ヴィートが厳選してるはずだもん。うまくいくよ。大丈夫」
「俺は嫌だ」
レオが立ち止まった気配に、ブランカはようやく振り返る。
自分のつま先を見ていたレオは子供のように「嫌なんだよ」と呟いた。
森の中はまるで息を潜めているように静かで、ちょっと視線を感じるほどだった。はらはらしているというか、どちらかというとレオを気にしている感じすらする。
足下の草が、ブランカに何か言いなさいと言わんばかりに踝くすぐった。
「えーと、何が嫌なの?」
ブランカが聞くと、レオは「本気か」と言うように顔を上げた。
怒っているような目でブランカを見て、大きな歩幅でブランカの目の前に立つ。
「俺はな、お前のことが好きだと言っただろ。なのに他のやつと結婚なんかできると思うのか」
と、ぐっと手を掴まれたので、ブランカは手首をくるっと返すようにしてその手から逃れる。
「……アリス」
今度は左腕を掴まれたので、右手で下から弾き上げて、ついでにあらぬ方向にねじった。レオが小さく呻く。
「あ、ごめん、痛かった?」
「……痛くない」
「そっか、よかった」
「アルマだな?」
「うん」
「なるほどな、おとなしく見送るはずだ」
手をぶらぶらと振って、レオは苦笑した。
先ほどまでの苛立ちのこもった目も、どこか熱を帯びた目でもない。
これが普通のレオだ、と思える顔だった。
「急に近くに来るからだよ。アルマがいたら嫌がるでしょ。ダメだからね?」
「アルマがいないから近くにいったんだよ」
「レオは、私のことが好きだって言うけど、誤解してる」
「……はあ?」
顔をしかめたレオをおいて、先にブランカは歩き始めた。
追いかけてくる足音が、距離を保って聞こえてくる。
「誤解ってなんだよ」
「そういうところ。ちゃんと守って離れて歩いて、そうやって私に聞くでしょ」
「……俺は本当にお前を」
「うん。わかってる。本当に好きでいてくれたのはわかってる。けど、違うことに気づいたんだ」
ふと、視界が開けた。
ぽっかりと丸く空いた空間は何もないが、日が射し込んでいて明るい。
ブランカはその光景を見ながら、隣にレオが立つのを待った。
二人とも、これ以上足を踏み入れることができない。
なんとも静謐で穏やかな光が、手を伸ばすように生い茂る緑色の草を照らしている。
「レオ」
ブランカは小さな声で話す。
「私は、アルマが誰かといることに、気にしないなんて言えないよ。アルマがもし、ここから出ていって、ようやく見つけたときに他の誰かを大事にしていたら、私は絶対に気にしないなんて言えない。その人の名前なんて死んでも口にしたくない。でも、レオはそうじゃないでしょ」
ここから出て行ったアルマが、誰かを愛していたら。
考えただけで体の中の色んなものがひっくり返って、気分が悪くなる。
「気にしないって言えるのはね、レオが好きでいてくれるのは、昔の私だからだよ。今の私じゃない。昔の、レオが知っている私が好きだから、今の私がアルマといることに何とも思わないの」
「……何とも思わない訳じゃない」
「でも、アルマのことだって嫌いじゃないでしょう?」
ブランカが優しく聞くと、レオは黙った。浅い息を吐いて、前を向いたまま、何かをゆっくり押し出すように言葉にする。
「俺は、本当にお前が好きだよ」
ブランカの心臓の端が揺れた。
目の前の神々しく感じる何もない空間の光がぐっと増す。
光の粒が見えるほどに。
「うん」
ブランカはレオの横顔を見ぬように、前を向いたまま尋ねた。
「ねえ、レオ。レオに必要なのは、妻として愛する私なのか、それともこうして同じ場所を一緒に見ながら話す私なのか、どっち? 本当はわかってるよね?」
決定権がないことや、敷かれたレールにしか乗れないことに苛立ってたこと、色々なものが窮屈に思ってことも、今のブランカにはよくわかった。
だからこそだ。
レオがわかっていないはずはない。
「私のことだけは――魔女を助けることだけは、自分で決められた。私が欲しいんじゃなくて、きっと、そのころの自信が欲しいんだよね。そうなら、今の私もそういう存在になってあげられるよ。だから、レオが決めて。私に自由をくれるのかどうか」




