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20「ううん。別に」


「こら」


 しがみつくアルマが、ブランカを見上げる。


「使っちゃダメでしょ。大丈夫?」

「うん、大丈夫。心配させてごめんね。でも、アルマが危険なときに使うって言ったもの。最後のやつなんだから、ちゃんと持ってないと」


 ブランカはナイフを「はい」とアルマの手に渡した。

 ナイフを受け取ったアルマは、ブランカを見上げたまま瞬きを繰り返す。

 そして、きゅっと目を細めた。ふふ、と笑う。


「んー。やっぱりわからないなあ、僕の女神さまは」

「女神さまじゃありません」

「諦めて。君は僕の女神さまなんだから」


 受け取ったナイフを腰にさっとしまいながら「減っちゃった」とアルマが口を尖らせる。シャツの隙間から、ベルトのようなものが見えた。差し込まれていない部分を指でなぞっている。アルマはいつもブランカと同じ色の大きなシャツを着ていたが、これを隠すためだったのかもしれない。


 なるほどなあ、とブランカは感心する。

 オーバーサイズで作ることをいつも不思議に思っていたが、理由があったのだ。


「あーあ、街に出て買ってこないとなあ」

「いいよ。私が守るから」

「だーめ。嬉しいけど、僕に君を守らせて」

「――アリス」


 ヴィートから呼ばれて、ブランカとアルマは未だにレオとヴィートがいたことを思い出した。再びアルマが手を回して横から抱きついてくる。


「あれ、まだ帰ってなかったの?」

「アリス」

「なに」

「あなた、魔法を」

「使えるのか。花を咲かせる以外の魔法を」

「ううん。使えないよ」


 ヴィートに次いでレオまでが驚いて聞いてくるので、ブランカはあっさりと否定した。二人が顔を見合わせる。


「でも」

「今、ナイフを」

「使えないよー」

「うん、使えないね」


 アルマが幸せそうに笑う。

 その笑顔のまま、立ち尽くす二人に向かってひらひらと手を振った。



「あなたたちは何も知らなくていいんだよ。さあ、帰って」



 ふいに、レオとヴィートの足下の草が風もないのになびく。

 レオが一歩前に出ようとするのを、ヴィートがぱっと止めた。

 耳元で何かを告げたらしく、レオは諦めたようにその場からブランカを真っ直ぐに見る。


「アリス」


 呼ぶ声が、今までとは違うのは気のせいだろうか。

 鬱陶しそうな「アリス」でも、仕事を振られるときの「アリス」でもない。その昔、孤児院で初めて会ったときに初めて呼ばれた「アリス」に似ているような気がした。

 どこか自信と気高さのある声で呼ばれる「アリス」だ。

 あの声は、安心させようとする優しさが滲んでいた。


「アリス」


 けれど、今はそれ以上の何かが含まれている気がする。

 レオがにっと無邪気に笑う。


「また来る!」

「来なくていい」


 アルマがそう言ってもどこ吹く風で、レオは笑っていた。

 その明るい笑みを残して、森は再び静けさに包まれる。




    ○




 ぎゅぎゅっと後ろからしがみつかれて、ベッドの上のブランカは、おなかに回された手をとんとんと撫でた。


 レオとヴィートが帰り、二人はいつものように畑で収穫後の手入れをして、さらに家の中の掃除をした。夜は丸ごとキャベツのトマト煮。味付けはアルマだが、ブランカが初めて最初から最後まで作ったものだ。

 潰したトマトにタマネギのざく切りを入れて煮込み、そこにキャベツをどんと入れて蓋をして煮ただけだが、それでも、役立たずではないと思えたような気がして、ブランカは心が軽い。


 夕食後の片づけをキッチンで二人でしているときも、アルマが水を捨てに行ったときも、機嫌が悪そうになんて見えなかった。

 二階に上がるまではいつものように裁縫をしていたし、むしろ楽しそうにすら見えたというのに、ベッドに入った途端にこうだ。



「アルマさーん?」



 アルマの手のひらを撫でながら、ブランカは笑う。

 こんなにしがみついていても苦しくはない。

 アルマの優しさに触れた気がしてくすぐったいくらいだった。


「今日は大変だったねえ」

「……ん」

「守ってくれてありがとう」

「……魔法、使わせてごめん。あいつらに知られちゃった」

「気にしないで。私、嬉しかったんだ」

「――嬉しい? あいつらに他の魔法を使えることを知ってもらえたのが、嬉しいの?」


 薄暗い部屋の中で、アルマの声が冷たく響く。

 鋭利なそれに、ブランカは「ふふっ」と嬉しそうに笑った。


「アルマは面白いこと言うんだねえ」

「……面白い?」

「うん。私はアルマを守れたことが嬉しいんだよ。ずっと名前を呼ばないように気をつけてくれていたし、何度も前に立ってくれた。今までは消費されるだけだった魔法でアルマを守れるなんて、嬉しいに決まってる」


 自分の意思で、誰かを守るために使ったなんて初めてだ。

 アルマがもぞもぞと背中で動いている。

 これはきっと、照れているのかもしれない。

 ブランカはこっそりと笑いながら、アルマの指に触れてぱたぱたと動かす。


「……あのブーケ」

「ん?」

「床に転がってたやつ」

「ああ」


 アルマの言う「ブーケ」とは、この寝室にレオとヴィートが乗り込んできたときに落とした荷物から転がって出ていたものだ。赤い花をバランスよく束ねてあって、緑色のリボンが巻かれてあった。


 二人で薄暗い寝室に戻ったときにそれに気づいたが、荷物の中身はそのブーケと、ブランカが屋敷の自室でよく読んでいた本が数冊。

 つまり、天国への差し入れというやつだろう。

 アルマは何も言わずに、ブーケをドアノブにぶらんと逆さまにつり下げている。


「あのブーケは? 嬉しかった?」

「ううん。別に」


 ブランカがあっさり言えば、背中にくっつくアルマは「ふっ」と嬉しそうに笑った。ヴィートが咲かせた花なんだから、ちゃんとお金に換えて欲しい、と言えば、さらに笑う。ブランカはアルマの手をぎゅっと握った。


 ついでに気になったことを聞く。



「そういえば、アルマはヴィートと知り合いなの?」




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