6-4 《悪魔》からの挑戦状
観劇もそこそこにジョエレは話の続きに戻る。
「で。ジュダのやつ、なんであんな事しでかしたんだ?」
純粋に不思議だった。
僅かに言葉を交わしただけだが、彼はレオナルドと同類、まっすぐに正義を追求するタイプに感じられた。それが、あんな反社会的な事をするとは思えない。
エアハルトは復讐と言っていたが、ならば、何の復讐だというのだ。
「それはね――」
ディアーナがレオナルドとジュダの因縁を語る。
その間も劇は進む。
ある日、王子と従者が男爵家を訪れた。
実はこの2人中身が入れ替わっていて、従者が王子の姿を、王子が従者のふりをしている。
そうと知らない2人の姉が媚をうるのは偽王子だ。一方で、チェネレントラは本物の王子と知り合い、互いを想うようになっていく。
「いいな〜。ステフの事も、アモーレ見つけてくれないかな?」
後ろを向いたステファニアがちらちらと視線を向けてきた。
当然のようにジョエレは無視し、話のひと段落したディアーナの方に顔を向ける。
「レオナルドの奴、糞親父がしでかした事の罪滅ぼしでもしたかったのかね」
クラウディオがジュダの父の命を無駄に奪ってしまったから、何がなんでもジュダだけは助けた。そんな感じを強く受ける。
哀れといえばジュダもだ。
彼にしても、還幸会が接触さえしてこなければ、復讐なんてしなかったかもしれない。
あんな事が無ければ、彼らは腹に逸物を抱えながらも、教理省を回す両輪であり続けられただろう。
(戦力的なダメージだけじゃ済んでねぇな、これ。レオナルドが潰れなけりゃいいが)
ぼんやりとそう思った。
人が強くあれるのは、それを支える何かがあるからだ。
ベリザリオの柱は2つ。妻を幸せにする事と友の夢を叶える事だった。そして、その両方が折れたとき生きる意味を見失った。
(レオナルド、お前は何の為に戦っている?)
真剣に還幸会の事を尋ねてきた彼が何かの目的を持っているのは分かる。けれど、それは逆に弱点になりえた。
支柱となるものは誰かの為であってはならない。
己が為のものを1つは持っていないと、周囲が削られたさい容易に動けなくなるから。
考え事をしながら劇を眺めていると場面が流れた。
王子主催の舞踏会に自分も連れて行ってくれと、継父にチェネレントラが頼み込んでいる。しかし、彼は首を縦に振らない。
着飾った姉達と継父は出掛けて行き、ボロしか持たないチェネレントラは1人泣いた。
そこにいつぞやの哲学者が現れ、彼女にドレスを与え舞踏会に連れて行く。
城では、入れ替わったままの王子が偽者だと気付かずに、姉達と継父は彼に取り入ろうと躍起になっていた。
そこに、美しく着飾ったチェネレントラが現れる。
その時、講演場全ての明かりが落ちた。
記憶にはないけれど演出の一環なのだろう。ジョエレが思っていると、明らかに場違いな声が流れてくる。
「チェネレントラは美しい娘なんだから、僕がもっと美人に変えてあげるね」
無邪気に声は言った。
違和感を覚え、ジョエレは席を立ち前に向かう。オペラならセリフは全て歌であるべきなのに、声は普通に喋っているだけだ。
それに、声に覚えがある。
以前会った時も奴の言い回しはふざけていた。あの時は、ド派手なピエロの格好とかいうふざけた格好もしていたが。
さすがにおかしいと思ったのか、観客席の方も騒がしくなってきている。
「主役の変更に伴って哲学者役も僕に変わるね。身内は《悪魔》って呼ぶから、みんなもそう呼んでくれていいよ?」
ふざけた自己紹介が終わると再び明かりが点いた。
同時に、変わり果てた舞台の惨状が視界に飛び込んでくる。
倒れたチェネレントラ役の女優。転がっている哲学者役の俳優。後ろに無造作に捨て置かれている脇役達。
彼ら全てが血を流し、舞台を赤く汚している。
「ひぃっ!」
最初に悲鳴をあげたのは平土間席の観衆だった。声につられるように舞台前に陣取る楽団員達がふり返る。悲鳴が増えた。
あちらこちらから悲鳴が上がる中、選帝侯達は一様に静寂を保っている。
選帝侯に割り振られているVip席はいかんせん舞台から遠いのだ。臭いも熱も伝わってこないので、凄惨な状況だと認識はできても劇の一場面のように感じてしまう。
もっとも、選帝侯なんて、どの家でも権力闘争のために裏では汚い事をやっている。冷静でいられるのはたんに耐性があるだけかもしれない。
「観衆さん達落ち着いて。楽団の人達もね。僕達オペラを邪魔しに来たんじゃないんだよ。ちょっと役をやりたくなっただけ。だから席に戻ってくれない?」
我先に逃げようとする平土間席の客達に、哲学者の衣装に身を包んだ男が語りかけた。それでもパニックは収まらない。
銃声がして、照明の1つが甲高い音を立てて割れた。
「だから、大人しく劇を最後まで見ろって言ってるじゃん? 聞き分けが悪いようだと消すよ」
静かになった会場に男の声だけが響き渡る。
逃げようとしていた客達は震えながら席に戻った。
「テオ、ちょっと双眼鏡貸せ」
ジョエレはテオフィロから双眼鏡を受け取り舞台を眺める。
舞台をきちんと見ようとするなら双眼鏡は必須だ。舞台のすぐ前に配されている平土間以外の席では、持っていないと役者の顔が見えない。
舞台袖に立っている哲学者もどきは、やはり、ペスト騒動の時のピエロと同一人物な気がする。前回のピエロといい、今回の哲学者といい、仮装趣味でもあるのだろうか。
(こっちはいい。問題は――)
倒れたチェネレントラの隣に立っている金髪の女性に双眼鏡を向け、ジョエレは固まった。
流れるような細い金糸の髪。まつ毛の長い緑の瞳。ふっくらと、柔らかそうな唇。全てが、失くしてしまった彼女と一致する。
他人の空似にしては似過ぎていて、見るのが辛くて、双眼鏡から目を離した。
動揺のためか鼓動が早い。手にも一瞬で汗をかいている。
「なんか見えた?」
テオフィロが聞いてきた。そんな彼に双眼鏡を返す。
「いや……。よく、わかんねぇ」
なんとか返事ができた。けれど、本当に、何が起きているのかよく分からない。
「ねぇ、選帝侯さん達。僕とゲームしようよ」
《悪魔》と名乗った哲学者もどきが楽しそうに言った。
「劇が終わるまでにここに辿り着いて、僕に勝てれば彼女をあげるよ。ベリザリオの奥さんのクローンなんだけど。彼女の親友だったディアーナ卿、もしくは嫁ぎ先だったデッラ・ローヴェレ家。欲しくてたまらなくない?」
選帝侯のブースの1つから悲鳴と怒号が聞こえた。
声からして、おそらく、デッラ・ローヴェレの弟と妹達。
「ステフ、オペラグラスを貸しなさい」
いつの間にやらジョエレの横にきていたディアーナも舞台を覗く。
眼鏡をどけた彼女の表情は非常に厳しかった。
「ふざけた真似をしてくれるわね。ジョエレ、あなた――」
ディアーナがジョエレを見上げた。唇が大丈夫? と動く。
「大丈夫だ」
そう答えはしたものの、手が、無意識に首元のネックレスに行ったのは、落ち着くための拠り所が欲しいからかもしれない。
《悪魔》が舞台の上を歩く。
「チェネレントラが舞踏会に現われる所で第1幕は終わり。普通ならこれから40分休憩で、第2幕は50分なんだけど、それじゃ、ここまで来てもらえないかもしれないんだよね。だから、休憩時間を30分伸ばしてあげる。あと2時間でクリアしてみせてよ」
そうして大仰に天井を仰いだ。
「クリアの手段は問わない。オペラ座にいる誰の力でも使えばいいし、何でもすればいい。でもさ、僕も待ってるだけじゃ暇だから、抵抗するね」
不穏な言葉に会場がざわめく。
《悪魔》は声の調子を少し低くして冷徹に言葉を紡いだ。
「どこからかは内緒だけど、僕の手駒を送り込むね。そいつらは君達が僕の所に来るのを邪魔するし、この中の人間を殺すんだ。それを掻い潜って僕の所まで来てよ。こんな温い劇じゃなくて活劇が見たいんだ」




