1-7 背教の館 前編
夕食時になり、ルチアが忙しなく食事を作る。
机には、モッツァレラとソーセージのトマトソースニョッキに、プロシュートと葉野菜のサラダ、桃のコンポスタが置かれていく。
(あれに使われてる桃って、この間俺に投げ付けられたやつなんじゃね?)
その時の痛みを思い出し、ジョエレはなんとなく頭を撫でた。
(にしても、上手くなったもんだよな〜)
机に並べられた料理を見ながら思う。
2年前にこの家に来たばかりの彼女は簡単な料理ひとつ出来なかったものだが、元々が凝り性なのか、毎日料理をするうちにめきめき腕を上げた。本人には言わないが、プロ顔負けだとジョエレなど思っているほどだ。
「テオー、ご飯できたわよー」
ルチアが階段の上に向けて声を張り上げた。
ジョエレは冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出す。ワインセラーからは赤ワインを出し、水と共に机に置いた。
自分のグラスにワインを注いでいるとテオフィロが降りてくる。
「お前、どっち?」
「ワイン」
言われた通り、テオフィロのグラスにワインを注いだ。ルチアのグラスには何も聞かずに入れる。
その横で彼女も静かに席に着いた。
「ジョエレのワイン選びって、なんでかいつも外れないよね?」
「血がワインになるくらい飲んでるからな」
「飲み過ぎでそのうちぶっ倒れるんじゃね?」
テオフィロが苦い顔でニョッキにフォークを刺した。ジョエレは口をへの字にして青年にフォークを向ける。
「人生辛すぎて、酒くらい飲まねぇとやってら――」
『本日は可愛らしい猫ちゃんのいるお宅にお邪魔しています。なんと七つ子なんですよ! こちら飼い主のジーナ・ベアルツォットさんです。よろしくお願いします』
テレビから陽気な声が流れてきた。知った名前が聞こえたので見てみると、青空の下、白髪混じりの灰髪の老女が微笑んでいる。
「あ、ジーナさんね。やっぱり七つ子って珍しいんだ」
「あの猫達、全く見分けつかないな」
ジョエレと同じくテレビに意識が行ったらしい若者2人が呑気に喋る。
(そりゃ、クローンだからな)
心の中だけで突っ込み、ジョエレも番組を眺めた。
ジーナは朗らかに猫達を紹介し、家の中を移動していく。応接間らしき部屋に着くと、ソファに身を沈めインタビューに答えだした。
画面に嫌なものが映り込んでいて、ジョエレの眉間に皺が寄る。
「昼間の映像ってことは録画番組だな。これ、収録日はいつだか知ってるか?」
「え? えーと、前日か前々日に突撃取材がウリだったと思うけど。たまに、画が撮れませんでした! って平謝りしている時もあるし」
(……くそったれ!)
ジョエレは言葉を口内で噛みつぶした。
荒っぽく席を立つと、リビング横の自室に行き銃に弾が入っているか確認する。肩にホルスターを着け銃を突っ込んだ。それを隠すようにジャケットを羽織り、内側に"御守り"を仕込んでおく。
「ちょっとジョエレ、急に血相変えてなんなの? というか、何で武装!?」
ルチアとテオフィロが戸口から室内を覗き込んでいる。
予備の弾をジャケットのポケットに突っ込んだジョエレは、厳しい表情は崩さないまま答えた。
「あの婆さんがキナ臭い事に巻き込まれてる可能性が高いんでな。ちょっくら様子を見てくるだけだ」
「なんでそんなの分かるのよ?」
「黙秘だ。飯の残りは帰ってきてから食うから置いといてくれ」
実のところ、花瓶に白百合が活けられていたのに気付いただけだ。
ジーナがインタビューを受けていた部屋は、先日ジョエレ達が通された部屋だった。あの時花瓶には暖色系の花だけが活けられていたのに、先ほどの映像では白百合が増えていた。
番組収録が1〜2日前。
花が増えるタイミングと理由として、金髪眼鏡が手土産に持ってきた可能性が高い。
(偶然であってくれればいいんだけどな)
扉脇にいる2人を押し退け部屋を出る。その腕をルチアが掴んだ。
「待って。それならあたしも行くから」
「あたしもって、お前」
「知り合っちゃったんだから無視できないでしょ? 準備してくるから置いて行かないでよ!」
そう言うと、彼女は2階へと駆け上がって行った。
階段を登るルチアの靴音を聞きつつ、ジョエレはテオフィロに目を向ける。案の定、こちらも何か言いたそうな顔をしている。
「何? お前も行きたいって言ったりする?」
「そうだけど? ていうか、元々猫探しの依頼受けてたの俺だし。関係者だし。資格は十分じゃね?」
「その屁理屈どこで覚えてきやがった」
テオフィロが一瞬ジョエレを見て、すぐにあらぬ方へ視線を逃した。
ジョエレを見習ったとでも言いたいのだろうか。
「ったくよぉ。どいつもこいつも、危ないかもしれねぇって分かってんのかね。親の顔が見てみたいぜ」
嘆息したジョエレは自室に戻り、1丁の自動小銃を手に取った。それを近くに転がしていたリュックに詰め、テオフィロに押し付ける。
「ほれ、持ってけ。使い方は前に教えたな? お前射撃下手だから、本当にヤバイ時以外使うなよ」
「マガジンの替えは?」
「中に入ってる。ただし3つだ。それ以上必要そうになったら、下手すぎる自分の射撃を悔やみながら全力で逃げろ。お得意の殴り合いをしようとかすんなよ?」
「りょーかい」
そんなやり取りをしていたところにルチアが降りてきた。黒くて動きやすい服に着替えまでしている。
「いいな? お前達は安全優先だ。俺が逃げろと言ったら絶対逃げろよ。約束を破ったら来月の小遣い無しだ。化粧品代が足りないって泣いてもやらんからな」
ルチアとテオフィロが頷く。ジョエレも頷き返して、ぱん、と手を打った。
「よし、んじゃ行くか。取越苦労であってくれればいいんだけどな」
◇
ジーナの家は夜だというのに明かりが点いていなかった。
「暗いね」
「留守かしら?」
「さて、どうかねぇ」
ジョエレはインターフォンを押す。しばらく待ってみたが、返答は無い。
「いないんじゃない?」
「その可能性もあるが」
皆まで言わずジョエレは柵を乗り越えた。
「ちょっとジョエレ、不法侵入!」
「見つからないか、後から住人に了承を取れば問題無しだ」
軽く手を振って返事をしてやる。
「もう、知らないんだからね!」
人を止めておきながら、ルチアも柵を越えた。テオフィロも付いてくる。
3人揃ったら玄関まで移動した。ドアノッカーを叩いても反応が無い。ノブに手を掛けたらすんなりと開く。
「不用心ね」
「もしくは、施錠できなかった、かだな」
開口部を少しだけ広げたジョエレは屋内に滑り込んだ。
途端に、周辺に立ち込める臭気に顔が歪む。
腐敗臭と錆臭と、獣臭。そんなものが混ざり混ざったような生温い空気がまとわりついてくる。
(強烈だな、おい)
思わず呼吸を浅くした。
「臭っ」
すぐ後ろからテオフィロの声が聞こえる。ルチアは何も言わないが、思っていることは同じだろう。
ジョエレは振り返らず、後ろに軽く手を掲げた。
「テオ、さっさとドアを閉めろ。また猫に逃げられると困るからな」
後ろで扉の閉じた音がした。
その間にジョエレは胸元からペンライトを出し足元を照らす。照らし出されたものに気分が悪くなったが、とりあえず放置してライトを動かす。
玄関照明のスイッチはすぐに見つけられた。
明かりがつくと、若者2人が息をのむ。
「この人って、家政婦さんだったよね?」
「ああ」
足元に家政婦が転がっていた。正確には、元家政婦と言うべきだろうか。
身体のあちらこちらや衣類は噛みちぎられ、近くでベタついている肉片もある。床にある血の筋から、這ってでも逃げようとして、それが叶わなかったのだと知れた。
血の筋の続いている先、廊下の奥には青灰の毛並の動物が座っている。
この屋敷にいる動物で連想されるのは猫だが、それにしては大きさがおかしいし、先日より毛並がごわついている。
「ナァーゴ」
低い声で一鳴きし、大型犬並みの大きさのそれが振り返った。




