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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅰ.老婆と7匹の猫達

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1-6 疑惑

「その眼鏡どこで買ったんだ?」


 ジョエレはとりあえず無難な話題を振った。金髪眼鏡の手が眼鏡のフレームに行く。


「これですか? どこでしたかね? どこかで偶然見かけて買った気がしますけど」

「そういや俺も、どこで買ったとか覚えてねぇな」


 過去の自分を思い出してみて同意した。

 眼鏡にはまっていた学生時代、気に入った物を見つけては適当に買っていた。1つ1つの購入場所などもちろん覚えていない。逆に、持っているのを忘れている物があったくらいだ。


 ただ、男が今着けている眼鏡は、ジョエレが気に入ってよく着けていた物と似ている。上半分しか銀縁のない眼鏡なのだが、最近の流行には合わない。

 金髪に青緑の瞳をした男は30歳そこそこに見える。年齢を重ねている分だけ、渋い物に興味があるのだろうか。


(って、いけね。眼鏡どころじゃなかった)


 ジョエレは軽く頭を叩き、


「それはそうと、あんた今日、婦人のとこに何しに来てたんだ?」


 強引に話題転換した。それでも金髪眼鏡は何とも思わなかったようで、普通に答えが返ってくる。


「今日ですか? あの猫達の様子をみに来たんです。出荷後のモニタリングも業務の一環ですから」

「手厚いアフターサービスだな」

「それも今回で終わりなんですがね。餞別代わりに栄養剤を射っておいたので、元気になり過ぎた猫達の相手に、あのご婦人達では苦労なさるかもしれませんが」


 手にしている鞄を男が叩いた。中に栄養剤とやらが入っているのだろう。

 ジョエレの認識では、栄養剤は弱っている人や動植物に使うものだが、免疫力を上げるための薬剤などもあるのかもしれない。


「あれジョエレ、こんな所にいたの?」


 ルチアの声が聞こえた。振り向いてみると、食材の詰まった袋を抱えたテオフィロとルチアが道の向こうから歩いてきている。

 同居人の青年もいるのは、荷物持ちにかり出されたパターンだろう。


「おや、彼女も先程一緒でしたね。お邪魔してはなんですし、私はこちらなので、この辺で」


 金髪眼鏡は小さく会釈して去っていった。そこにルチアとテオフィロがやってくる。


「女の人がナンパできないからって、ついに男に声をかけるようになったの?」

「俺、そっちには興味ないつもりだけど?」

「どうだか」


 冗談だか本気だか分からない、素っ気ない態度でルチアが返してきた。


「おいテオ。俺はそんなことしないって、お前も言ってやれよ」

「否定できる要素が無いし」

「お前ら冷た過ぎて、おじさん冷え性になりそう。あー。こんな俺を温めてくれるダイナマイトバディのお姉さんはいないもんかね」


 ジョエレはルチアの不毛の大地を見て手で膨らみを作った。そして呟く。


「お前の胸があと2カップ大きければ、俺の好みの範疇なんだけど」

「死ね、オッパイ魔人!」


 ルチアの投げた桃缶がジョエレの頭に直撃した。



 ◇


 2日後。

 ジョエレは喫茶隣のアパートの一室で分析データを受け取っていた。書かれている数値に目を走らせ、読み取った内容を要約していく。


「出てきた遺伝子配列は1種類のみ。高解像度融解曲線分析(H R M A)までかけても、1つのピークしか出てこなかった、と」

「つまりどういうこと?」


 中性的な青年が首を傾げた。ジョエレは懐からジッポを出し、データの羅列されている紙に火を点ける。


「7匹の猫は七つ子なんかじゃないってことさ」


 結論だけを言った。けれど、青年がよく分からないといった顔をしたままだ。説明を付け加える。


「母親の腹の中って言っても、上とか下とか、生育環境は違うだろ? 産まれて外に出れば尚更だ。歳を重ねると因子が蓄積されていって、同じ遺伝子を持った連中でさえ違いが出だすんだよ。DNAの二重螺旋構造が解ける温度がずれてくるって形でな」


 青年が机の上の灰皿を滑らせてきたので、そこに紙を捨てた。


「それを調べるのがHRMAっていう分析なんだが、こいつらは分離ピークが1つしか出ていない。6匹分の毛を混ぜておいたってのにだ。ここから導き出されるのは、つい最近まで同じ環境で人工的に育成されていた試験管生物クローンってことだろうな」

「へぇ。そうやって解析していくのね。あら? でも、クローン技術なんて、選帝侯しか持っていないんじゃなかったかしら?」

「もう1カ所、持ってそうな連中がいるだろう?」


 燃えゆく紙切れを眺めながらジョエレはぼやいた。青年も火を見ながら顎を撫で、思いついたように呟く。


「……組織」

「そういうこと。選帝侯が噛んでる可能性は残るけど、一般人が依頼できるようなもんじゃねーし」


 選帝侯と呼ばれる家がある。

 様々な技術を一手に掌握している連中なのだが、昔で言う貴族階級のような立場にいる。普通にしていれば一般人との接点は皆無だ。


「善人そうな婦人だったんだがな。彼女から接触したのか、あちらから近付いてきたのか。どちらにせよ、黒って見ていいだろうな」

「標的は黒、と。とりあえず、それだけは"熊"に報告して良さそうね。で、彼女への対応はどうするの?」

「どうするかねぇ」


 考えがまとまらず、ジョエレは机に頬杖をついた。

 ジーナが愛猫可愛さに代わりを求めただけ、というのなら、さしたる害は無い。放置でいいだろう。組織に金が渡ってしまうのはいただけないが、既に支払いは済んでいるだろうし、どうしようもない。


 けれど、何かの目的で組織の側から働きかけたのであれば――これだけで終わるとは思えない。


「もう1度彼女に接触してみるのが一番かもな。んで、そっちの方で、彼女に猫を提供した企業だか個人だかを調べられるか?」

「了解。その、猫の斡旋業者? に関して、あなたが今持ってる情報ってあるかしら?」

「30くらいの男が来てたな。金髪で目は……青か緑か、そんなだった。背は俺より少し低くて中肉。で、銀の上縁眼鏡をしてる」


 眼鏡の男を思い出しながら答えた。


「それで名前は?」


 紙にペンを走らせながら青年が尋ねてくる。


「そういや名前聞かなかったな」


 そういう話の流れではなかったので仕方ないのだが、今となって悔やまれる。といっても、あの連中が尻尾を簡単に掴ませるとも思えない。成果は期待しておかない方がいいだろう。


「ま、身が危険にならん程度に探ってくれ」


 用の済んだジョエレは席を立った。

高解像度融解曲線分析(High-Resolution Melting curve Analysis)

参照:

Analytical Biochemistry, "Differentiating between monozygotic twins through DNA methylation-specific high-resolution melt curve analysis" : Leander Stewart, Neil Evans, Kimberley J. Bexon, Dieudonne J. van der Meer, Graham A. Williams


ジョエレと中性的な青年の会話は、『猫がクローン』の意味さえ取れていれば、分析の名前を覚えたり内容を理解する必要はありません。細かい説明もわざと端折ってあります。

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