4-9 さようなら
◆
1週間後。
「何考えてるのかしら、あの男!」
ぷりぷりしながらディアーナは車を降りた。
機嫌は最高に悪い。けれど、この先は人目がある。仕方なしに上辺だけ平静を装う。
化学研究所に入るため、入り口横にある警備員待機室の小窓を叩いた。
「お疲れ様ですディアーナ様。本日もベリザリオ様の所で?」
ベリザリオとの共同研究のためにちょくちょく訪れているので、警備の人間も気さくなものだ。
「ええ。呼びつけられたものだから」
「ベリザリオ様なんですが、最近根を詰めていらっしゃるようなんですよ。ディアーナ様から注意していただけませんか?」
「そうなの? 言っておくわ」
開けてもらった入り口をくぐって建物内に入った。そのまま、指定された彼の個人区画へ向かう。
(まったく、好きな事ばかりしてるんじゃないわよ。ベリザリオがずっと休んでるせいで、国務省がどれだけてんやわんやしてるか分かってるのかしら)
注意どころかシバいてやろうと決意して、個人区画入り口の扉を開いた。
ベリザリオがいるはずだが、周囲はしんとしていて気配が無い。
(根を詰めてるって言ってたし、寝てるのかしら?)
休憩室を覗いてみたが、そこにも彼はいなかった。
となると、やはり、指定されたP2実験室なのかもしれない。
そちらに向かうと、扉に明らさまな封筒が貼り付けられていた。
(何これ。とりあえずこれを読め? ここまで来て悪戯でしただったら、本気で切れるわよ)
訝しがりながらも指示に従う。
読み進めていくに従いディアーナの眉間に皺が刻まれ、手が震えてきた。
「馬鹿なこと言わないでよ」
震える唇で言葉を絞り出し、手紙をポーチの中に押しこむ。P2実験室の空調ランプが汚染無しなのを確認して、
「ベリザリオ!」
部屋に飛び込み、大声で呼んだ。
探すまでもなく彼の姿は見えている。クリーンベンチを開け放ち、作業台にうつ伏せとかいうあり得ない格好でだが。
「ちょっと。起きなさいよベリザリオ!」
乱暴に彼の肩を揺するが反応がない。どれだけ呼んで叩こうが、彼は無反応だった。
「ふざけるんじゃないわよ」
拳を握ると爪が皮膚に食い込んだ。
なぜ自分だけが残されなければならないのか分からなかった。
誰も、死ななければならない人物などいなかったはずだ。
なのに、現実はこれ。
泣き喚きたかったけれど、託されたものがある。せめてもの手向けに、最期の願いくらいは聞き届けてやろうと決めた。
だが、彼の格好が非常によろしくない。
頭がクリーンベンチの中なので防護服頭部を外せないし、着衣部分は、ベンチと身体の間にファスナーを挟み込んでしまっている。身体の確認をしないことには何も進まないのにだ。
「後処理を頼むなら、私が仕事しやすい格好で死になさいよね」
とりあえず、ベリザリオの体勢を動かさなければ話にならない。
彼の脇の下に自らの腕を入れ抱えようとしてみた。けれど、重い。その上彼の方が背が高いので、抱え上げるにも無理がある。
無理な体重の移動をさせようとしたからか、ベリザリオの座っていたキャスター椅子が転がってしまった。彼の身体が傾ぎ、半分落ちるように床に倒れる。
「あ、ごめん。痛かったわよね」
つい、そんな声を掛けてしまい、自らの言葉に気付いて顔をしかめた。
気をとりなおしてベリザリオの傍に膝をつき、彼の身体を仰向きにさせる。
まずは防護服頭部を外した。
その拍子に、彼の鮮やかな金髪がごそりと抜け落ちる。肌も、ただれたような酷いことになっていた。モデルや俳優のようだと褒め称えられていた見た目だったのに、面影の欠片も無い。
正直、見るに耐えない有様だ。
(まずは……死亡確認)
感情を押し殺し、やるべき事を確認した。
新種ウィルスは極端に弱い。一定環境以外ではすぐ死滅するという特性は、生物の体内に入れても変わらなかった。用さえ済めばすぐに無毒化する性質があるので、ベリザリオもこのウィルスを使ったのだろう。
感染する症状ではないと分かっているので、素手でベリザリオの首筋に指を当てる。
「は?」
思わず声が出た。
勘違いだろうと思い、逆の首筋に指を添える。
けれど、やはり、指に伝わってくるリズムがあった。
(かなり際どい状態みたいだけど、まだ生きてる)
ディアーナは指を引き、天井を見上げて息を吐いた。
嬉しいのか泣きたいのか残念だったのか、よく分からないけれど、なんとなくほっとした。
(最後の最後で詰めが甘いだなんて、まるでエルメーテじゃない)
何も言わずとも卒なくこなすベリザリオ。大口を叩いておきながら、微妙に何かが足りなかったりするエルメーテ。全く違うように見せて、やはり、親友同士似た部分があったようだ。
けれど。
ベリザリオに息があるのなら、これからの方針を選ばなければならない。
止めをさすか、生き延びさせるか。
延命を彼は望まないだろう。
思うところは多々あったようだが、ベリザリオは敬虔な教徒だった。そんな彼が、教義に背くと分かっていながら選んだ道だ。
手紙に書かれていた内容も合わせると、下手に生存させるのは好ましくない。
この状態で、最善手は――
(ベリザリオを殺す)




