1-5 眼鏡と善人の関係性
「あら、私に用? ああ、彼女は家政婦です。少し失礼しますね」
ジーナが家政婦に続いて部屋を出ていく。けれどすぐに戻ってきた。かと思うと金髪の男を連れている。
ジョエレとルチアが疑問満載な顔を浮かべたからか、
「彼、この子達のブリーダーなの。猫繋がりで、一緒にもてなしても問題ないと思ったのだけど、ご迷惑だったかしら?」
彼を紹介してくれた。
「あ、いえ。むしろあたし達こそ長居しちゃってすみません。もう失礼するので、お気になさらないでください」
ルチアが立ち上がり、隣に座っているジョエレまでせっついてくる。
「ほら、ジョエレもいつまでもくつろいでないで、帰るわよ」
「へいへい」
珈琲を飲み干しジョエレも立った。庭から帰ろうとすると、慌てた様子でジーナがジョエレに包み紙を渡してくる。
「あの子を拾ってくれたお礼。追い出すみたいになってしまってごめんなさいね」
「どうにも訪問のタイミングが悪かったようで。申し訳ありません」
隣の男が浅く頭を下げた。ルチアが慌てた様子で手を振る。
「本当に気にしないでください。珈琲ご馳走様でした。美味しかったです」
「眼鏡に悪人はいねぇからな。あんたも悪気は無かったんだろ? 気にすんな」
ジョエレも言ってやると、金髪男は軽く眼鏡を押し上げ笑った。ジョエレも笑い返し、それで邸宅から去る。
「眼鏡に悪人がいないって、どういう理屈なの?」
ジーナ宅から離れてしばし。ルチアが話しかけてきた。
「そりゃ決まってるだろ。俺も昔は眼鏡だったからだよ。特にさっきのあいつの眼鏡、学生時代の俺が付けてたのとそっくりでよ。ありゃ絶対に善人だね」
「なにそのトンデモ理論」
疲れたように少女は頭を抱える。
「で、今眼鏡じゃないのは何で?」
「彼女に眼鏡してない方が好きって言われれば、外すしかねぇだろ?」
「彼女いたことあるんだ? いつも振られてるだけかと思ってたのに」
「そりゃ、彼女の100人200人くらいいるだろ」
「なのに今は独身彼女無しなわけ?」
「……」
事実過ぎてジョエレの言葉が詰まる。ルチアは「あ」という表情になった。
「捨てられた過去なんてほじくり返したら、さすがのジョエレでも傷付くよね。もう聞かないから」
「さらに傷抉ってくれてるけど」
ジョエレが恨みがましく彼女を見ていると、ルチアは一瞬ジョエレの方を向いたにも関わらず、すぐに顔を逸らす。
「いや、お前、悪いと思ったなら謝りなさいよ」
「何で? それにジョエレ、普通に目いいじゃない。学生時代の眼鏡の話、本当なの?」
「まぁそうなんだが。伊達眼鏡っつーのもあるだろうがよ」
言ってみたが、ルチアは足を速めただけで振り返りもしない。もっとも、彼女の毒舌も謝らないのもいつものことなので、通常の反応ではあるのだが。
むしろ、しおらしく謝られたりした方が怖い。きっと大きな雹が降ってくる。
「まぁいいや。俺ちょっとぶらついてくるわ」
どうでもいい話題を早々に切り上げ、ジョエレはそれまでの進路から逸れた。後ろからルチアが尋ねてくる。
「どこに行くの?」
「ナンパ」
振り返らずに返した。
「晩ご飯は?」
「おー。いるぞ〜」
「晩ご飯家で食べる予定って、最初から失敗する気満々じゃない」
小さく聞こえたルチアの声はなんとも呆れ気味だ。
(そういやそうだな。ま、気にするまでもないか)
どうせ落ちるのは、既にゼロといってもいいジョエレの威厳だけだ。両手をズボンのポケットに突っ込み、彼は雑踏に紛れた。
それからジョエレは"熊"との仲介者に会いに行った。
アパートの一室で青年に向き合い、ポケットからハンカチを出す。畳んだまま差し出した。
ハンカチを開いて中身を確認した青年が小振りなサンプル袋を取り出す。
「何かしらこれ。動物の毛?」
「例の婆さんの所で飼ってる猫の毛だ。そいつを遺伝子鑑定に回してくれ。あと、HRMAっつー分析があるんだが、それもだな。研究所の連中に言えば通じるはずだ」
「随分と大雑把な依頼ね」
「今のところはな」
話をしながらも青年は手袋をはめ、手早く小袋に毛を回収していく。
「急ぎかしら?」
「早いにこしたことはないな。明後日結果を聞きに来る」
要件の済んだジョエレは席を立った。
そんな彼にハンカチを返しながら、青年が苦い声を上げる。
「明後日って、全く遊び時間なくない? 研究所から文句言われそうなんだけど?」
「できない期日じゃないだろ? 手順を知ってる奴が依頼人だと、誤魔化しがきかなくて大変だな」
ジョエレはハンカチを受け取り軽く払うとポケットにしまい込んだ。頭を抱える青年に上辺だけの激励をし、部屋を出る。
(さぁて、どうしたもんかね)
これからのことを考えながら歩いていたら、結局ジーナの家の前に戻ってきてしまった。下手に足を止めて不審者と通報されても困るので、そのまま通過しようとしたところに1人の男が家から出てくる。
「おや、あなたは」
金髪眼鏡もジョエレに気付いた。
「確か、眼鏡に悪人はいないと仰っていましたよね。私もそう思います」
彼が微笑みながら眼鏡の位置を直す。動きに違和感がないのは眼鏡歴が長いからだろうか。
「こんな所で同志に会えるとは思ってなかったぜ」
「良い出会いに感謝ですね。では、これで」
男は軽く会釈して去ろうとする。そんな彼の横にジョエレは並んだ。
金髪眼鏡が不思議そうにジョエレを見てくる。
「俺もこっちに行こうと思ってたんだ。途中まで一緒に行こうぜ。ここで会ったのも何かの縁だろうしよ」
ジョエレが気さくに言うと、男は少しだけ困った表情を浮かべた。けれど、それ以上苦情は言ってこないし、歩みも止まらない。
「まぁ、そんな縁もあるかもしれませんね。あなたがお嬢さんならもっと良かったですが」
「同感」
大袈裟に頷いておく。
同行を断られればこっそり尾けるつもりだったが、必要なさそうで手間が省けた。このまま情報が引き出せれば尚良い。




