10-12 動機善なりや
血で汚れたままの手でジョエレはルチアの髪をくしゃっとした。いつもの調子で彼女が怒りだしたのに満足して若者2人から離れる。
「待たせたな」
そうして、足元に横たわるベリザリオに話しかけた。
「お前、言葉では世界の敵になるとか言っておきながら、俺が有利になるように動いてただろ。増援に挟み撃ちにされないようにとかよ」
「気付いていたのか」
億劫そうにベリザリオが仰向けになった。血のシミがまだらな背部とは違って、下になっていた腹側は真っ赤に染まっている。
これだけ服を染めるほどの出血は明らかに致死量だ。顔色だって、真っ青を通り越して白くなっている。
ここまでなっていると体勢を動かすのすら苦痛だろう。
それでも仰向けになったのは、話をするためか、多少でも貫禄を保つための意地か、妻達のいる天でも見たいのか。
「俺まで誤魔化せるかってーの。てか、協力してくれるならもっと穏便に協力してくれよ」
「仕方がないだろう? 行動制限を騙すには、上辺だけでも従っているように見せかけないと駄目だった」
喋っている途中でベリザリオが咳込んだ。横を向いた彼の口から血の筋が流れる。苦しいだろうに彼は言葉を続ける。
「今の私には何が善で悪なのかわからない。けれど、《十三使徒》と共に動いているのなら、正義はお前達にあるのだろう? 少しは善行をしておかないと、私のような背徳者は、友と同じ所に逝けないから――」
声は段々小さくなり聞こえなくなった。
まぶたも両方下りている。泣けないくせに、両目から流れる赤い筋が涙のようだ。
「最期まで偽善かよ。俺らしくて悲しくなるな」
ジョエレがぼやきながらベリザリオの喉に槍を刺しても、クローンの彼はぴくりとも動かない。
槍を抜き、励起して閃光で亡骸を消しとばした。
ベリザリオの遺体は残しておけない。下手をすれば、エアハルトのようにクローンを作る馬鹿がまた出てきて混乱の元だ。
骨すら残さず消滅させたので、クローン体が悪用される事態は防げるだろう。
「あばよベリザリオ。もう生き返ってくるんじゃねーぞ」
吹き抜けていった乾いた風につられるように空を眺め、呟いた。
「っ……」
大きな障害が1つ減って気が抜けたのか、ジョエレの傷の痛みが酷くなった。患部近くを触れてみると服の濡れ方が酷い。ベリザリオではないが、あまり傷を放置していると、失血死とかいう笑えない状態になりそうだ。
けれど、治療できる道具も施設もありはしない。
(さっさと終わらせて病院に行くしかねぇか)
痛みを我慢してチヴィタへ向かおうと決める。なのに、数歩もいかないうちにエアハルトに腕を掴まれた。
「ジョエレさん、傷を診せてもらえませんか?」
「なんで」
お前に診せにゃならんのだ、という言葉は口にできなかった。
許可をだす前にエアハルトが傷口に触れてきて悶絶したくなる。手を払い除けるまではできたけれど、痛すぎてジョエレは地に膝をついた。
エアハルトも横にしゃがんできながら、肩から掛けた鞄を前方に持ってくる。
「軽くはないでしょう? 応急処置しましょう。途中で倒れられても困りますし。ああ、あなた達、ジョエレさんが暴れないように押さえておいてもらえませんか?」
鞄から消毒液と脱脂綿をとり出しながらエアハルトが振り返った。
指名されたルチアとテオフィロは容赦なくジョエレを拘束しようとしてくる。
「お前ら俺の味方じゃないのかよ!?」
「怪我してるなら治療してもらう方がいいに決まってるじゃない!」
「それでもこいつにやられるのだけはいーやーだぁああああ!」
ジョエレも抵抗してみたものの、健常者2人に敵うはずもなく。あっさり拘束され、エアハルトに消毒液をかけられた。
傷に染みて喚きたかったけれど、ちっぽけなプライドにしがみついて耐える。
荒地の向こうからバルトロメオが走ってきている姿も確認できているのだ。情けない姿は見せたくないし、もう、意地だ。
「縫った方がいいんでしょうけど。さすがにここじゃ無理なんで、直接圧迫で止血してやるくらいが精々ですね」
そう言うとエアハルトは傷にガーゼを数枚重ね、上から包帯を巻いて固定する。鎮痛剤を注射して作業は終了した。
治療中は激痛で泣きそうだったけれど、終わってみれば楽になっているのが悔しい。
「そういえば、お前は俺がベリザリオだと分かっても驚かなかったな」
立ち上がりながらジョエレは尋ねた。
「ええ、まぁ。予想していた事態の1つでしたから」
「ふぅん」
ジョエレがベリザリオであることも予想していながら、作ったクローンを嬉しそうに見せてくる根性がわからない。科学馬鹿に常識を期待するのが間違いなのだろうか。
なんとも言えない気分になったけれど、深く考えると負けな気がする。
「まぁ、治療、ありがとよ」
礼だけ言って色々忘れる事にした。
「んで、バルトロメオ。戻って来たってことは、増援の相手終わったのか?」
「今のところ沈黙しているな。あの閃光がほとんど倒してくれて大分楽できた。当たっていたら某が危なかったが」
「んじゃ今のうち進もうぜ。また増援が出てくると厄介だし。ルチアにテオ、しょうがないからお前達も一緒に来い。ここに放り出していくより安全だろうからな。けど、俺かバルトロメオから離れんなよ」
一般人2人に釘を刺し、チヴィタへの歩みを再開させる。
バルトロメオはハラハラしたようだが、閃光が彼に当たらなかったのは当然だ。
《穿てし魔槍》の閃光は着弾地点を全て設定できる。軌道演算が追い付く範囲で、という制約付きだが、ベリザリオのことだから全て狙って落としている。
(チヴィタにも何条か飛んだんだよな)
ならば、排除しておくべきと彼が判断した何かがあったのだろう。
気にしながら進むと、チヴィタへ続く橋の入り口に治安維持軍の遺体が転がっていた。銃で急所を撃ち抜かれたらしきものが点々とだ。
転がる遺体と破壊された集落を見比べて、目的の1つがぼんやりと見えた。
(狙撃手か)
破壊されているのは高い建物ばかりだ。
高所には狙撃手がいた。ベリザリオはそれを知っていながら居場所は見えないから、いると推測される場所を全て潰した。
そんなところだろうか。
集落内部は静かだった。治安維持軍も警戒しているだけで戦闘は行われていない。
ジョエレ達が集落に入ると、治安維持軍の隊長が駆け寄ってきて敬礼する。なぜかジョエレの方に。正体がバレてしまったせいで、彼らの中での位階認識が変わったのかもしれない。
「報告します! チヴィタ・ディ・バニョレージョ内部は制圧済み。伏兵がいないか現在確認中であります」
「被害は?」
「閃光の直撃、瓦礫の下敷き、戦闘による死亡、合わせて100名ほどです」
「結構削られたな」
ベリザリオの助力があったのでもっと少ないかと思っていたのだが。
ベリザリオの行動はジョエレが進むための手伝いだった。そのために妨げになるものを、自分含め排除していただけ。
必要とあれば兵は使い捨ての駒と割り切っていたフシがあったので、敵の排除を優先させて、兵の安全は切り捨てたのかもしれない。
「お前達はそのまま哨戒で。還幸会の連中だけはここに入れるな。で、エアハルト。地下への入り口どこよ?」
「こちらに」
エアハルトが瓦礫を乗り越え集落を進む。そうして小さな教会の扉を開いた。
「まさか、ここか?」
「そのまさかですよ。考えてみれば、教皇庁の施設なんですから、教会が守護してるのが自然ですよね」
エアハルトは聖堂を進み、正面に設置されている十字架の裏へと手を回す。
「確か、ここをこうやると」
ぶつぶつ言っている横で、少し離れた場所に人1人が通れそうな入り口が現れた。
「凄いね。こんな仕掛けあったんだ。知らないと絶対見つけられないよね、これ」
ととと、と駆けて行ったルチアが興味深そうに中を覗き込んでいる。
「遊びに来たんじゃねーんだぞ」
「わかってるよ」
「ただ、私も、このちょっと先までしか知らないんですよねぇ」
エアハルトが眼鏡を弄りながら現れた入り口へ消えていった。それにジョエレも続く。後ろにはルチアがついてきた。
そこで入り口が閉じた。
突然つるつるの壁が現れて、入ってきた口を塞いでしまっている。
道が閉じた時の感じだと、壁を上に押し上げてやれば開く。けれど、壁と床の間に指を入れる隙間すらない。
「おい、どうなってんだ!?」
こちらからではどうしようもなくてジョエレは壁を叩いた。
「ジョエレ・アイマーロ無事か!?」
向こうも焦っているのか、どんどんと壁を叩く音だけが伝わってくる。
「こんな風になったのは初めてですね」
「なんだよそれ。ってか、総主教の妨害の可能性もあるか」
それなら進むべき道が合っている証明だ。来られたくないから妨害してくる。
「某が斬り捨ててもよいが」
「いや。まだそれはいいわ。他の仕掛けに影響するといけねぇし。お前達、穏便な方法でここが開けられないか探しておいてくれ。俺達は先を調べてみるからよ。詰まったら戻ってくるわ」
そう言ってジョエレは壁から離れた。
「ってわけだから行ってみようぜ」
出口は塞がれたけれど道は生きている。後ろを振り返るのは、どうしても進めなくなってからでもいいだろう。




