10-2 招かれざる客
保健福祉局局長室の入り口には規制線が引かれていた。部屋前には異端審問官が2人立っている。1人はアルドだ。
訓練にいなかったので死んだかと思っていたが、仕事中なだけだったらしい。
「よー、髭。生きてたか」
「うっせぇよクソ参謀。1人だけ長々サボりやがって。夜勤代われ」
「あぁん? んなもんやるかよ。クソだりぃ」
憎まれ口を叩かれながらジョエレは規制線をくぐる。
室内は綺麗に掃除されていて、既に血の跡はなかった。
レオナルドから渡されたファイルと見比べながら流しへ向かう。
(倒れていたのはここ。凶器は――)
素手でそこら辺に触ろうとして手を止めた。
ファイルには鑑識の拾った指紋も添付されている。注目すべきは、"比較的新しい物"の中にベリザリオの指紋があることだ。
30年近く前の指紋が残っているはずがない。新しいと識別されている時点で、どう考えてもジョエレの指紋だ。
(指紋も変わってたはずなんだけどな。表現型がこんだけ戻ってるんだから、遺伝子も完全に戻ってるか)
ハンカチを取り出し、指紋を付けぬよう流しの棚を開けた。
ジョエレが付けたと断定できる指紋を残さなければ、しばらく言い逃れはできる。その間に何か手を考えればいいだろう。
最悪木工用ボンドのお世話になるとか、指紋を隠して生活する方法は色々ある。
見慣れた棚の中を見ていき、ある場所で目を止めた。
(ナイフねぇし。順当にこれで殺されたな)
検死結果でも凶器はナイフだろうとされている。
(カップはエスプレッソマシーンに置かれたまま。珈琲でも淹れてる時に襲われたかね)
それで、近場にあったナイフを武器にしたけれど、敵わず殺されてしまった。もしくは、犯人がナイフを持ちだしてきて、抵抗虚しく死亡。そんなところだろうか。
(残ってたカップがメルキオッレ専用のやつらしいから、あいつもいたんだろうけど。巻き込まれたのか?)
それとも、本来狙われていたのは彼だったのをディアーナが庇ったのか。恐ろしく可能性は低そうだが、メルキオッレが犯人という線もある。
どうであれ、殺され方の予想はついても、情報不足過ぎて動機その他がさっぱりだ。
(にしてもこの文字)
写真には、ディアーナが血で書いたらしき文字が写されている。
――Ⅴ Nascondersi
一見するとよく分からない言葉だ。
特に先頭のV。これが大きな意味を持っているのだろうが、今一はっきりしない。いや、はっきりしていなかったというのが正解か。
(ずっとVだと思ってたけど、これ、ローマ数字のⅤなんじゃね?)
形が似通っているので判別がつかないが、そうだと仮定すると1つの文章が浮き上がってくる。
(教皇が隠された。いや、隠れている、か? この情報だけだと、そこまでは断定できねぇな)
メルキオッレの失踪を聞いて、なんとなくそんな考えが浮かんだ。
大アルカナには数字が割り振られていて、5番目は教皇を指す。
若干強引な推理だが、思考の方向としては間違えていない気がする。しかし、その先が続かない。
(ま。メルキオッレを探し出して、本人に色々聞けばいいか)
道標を残してくれただけでもお手柄だ。2つの事柄が別個と考えるか繋がっていると考えるかで、捜査の進め方はがらりと変わる。
ただ。
教皇を指すのになぜ判りにくい文字を使ったのか。少しひっかかりがある。
ここら辺にディアーナの意図が隠されているのかもしれない。
考えるのはそれで一旦止め、鑑識の見落としや、犯行のヒントになりそうなものがないか部屋を回った。
予想はしていたけれど、めぼしい物は見当たらない。
これでディアーナが不機嫌に執務していれば、よくある日常風景なくらいに。
「ここって、いつまで封鎖しとくんだ?」
「初動捜査は終わっているからな。お主が見終わったら規制は解いてよいと言われているぞ」
「ふぅん」
おもむろに窓を開けた。バルトロメオが慌てて窓際に走ってくる。
「おい! そんな事をしたら、現場保存が」
「もう掃除済みじゃねぇか。現場保存も糞もねぇよ。これといったものも今更見つかりそうにねぇしな。それよか、風でも入れ換えてやった方がすっきりするだろ」
ジョエレは窓枠に腰掛けて外を眺めた。
昔々、ジョエレの記憶がぼんやりしている頃。窓から身を投げそうになった事があったらしい。
お陰で、ディアーナはジョエレが窓際に近寄るのを随分警戒していた。だからというわけではないけれど、冗談でちょっと危ない事をして、めちゃくちゃ怒られて面食らったものだ。
(怒ってくれる奴も、もういねぇか)
口やかましくされるのは嫌いだけれど、言ってくれる相手がいなくなると寂しい。
しばらくぼぉっとしていると、横のバルトロメオも外を向いた。
「そこから何か見えるのか?」
「うんにゃ。考えてる振りしながらサボり」
「おいっ!」
「そうカッカすんなって。きちんと考えはするからよ。始末書片付けた後でだけど」
ジョエレはひょいっと窓から離れ、出口へ向かう。
「俺が使っていいPCってあるのかね?」
「お主、捜査より始末書の処理が優先だと?」
「そりゃそうだろ。他の事しながら考える方が時間の無駄にならねぇし」
「始末書を書きながら他の考え事などできるのか?」
「できるできる。俺天才だから」
はっはーと馬鹿みたいに笑って流したけれど、できるわけがない。けれど、全く関係のない事をしている時に、ふと思い付きがあるのは確かだ。詰まっている事を考え続けるより、やらねばならぬ事を片付けていく方が効率はいい。
「しっかり頼むぞ。某は小難しい話は苦手だし、お主を守るようにとしか言われておらんのだからな」
「ん?」
思いがけない言葉にジョエレは振り返った。そうして自らを指す。
「守んの? お前が俺を? 俺より弱いのに?」
「弱くはないっ! 相性が悪いだけだ」
「ソウデスカー」
「棒読みするな!」
「おい糞参謀。俺らもあんたの警護言われてんだぞ。こんなアホな仕事とっとと終わらせろ」
廊下から顔を覗かせて、アルドまでそんな事を言ってきた。
犯人とやり合えではなく、ジョエレを守れという命令が出ているなんて、何かがおかしい。
「お前らが揃いもそろって脳筋だから、考えられる奴を死守って感じかね?」
「脳筋は否定しねぇけど、もう少しオブラートに包んでやれよ」
「男用のオブラートなんざ常に欠品に決まってんだろ。ほれ、規制テープさっさと回収して解散すっぞ。俺は忙しいんだ」
わざと油を注いだらアルド達の声は大きくなったけれど、切り込み方が単純でつまらない。
やはり喧嘩というものは、同レベルで出来る相手とがいい。
◇
情報不足なディアーナ殺人犯の捜査は一時棚上げした。代わりにメルキオッレを捜してみたのだけれど、こちらも清々しいまでに彼の足取りが掴めない。
兄であり、共に暮らしているレオナルドですら、何も知らないと頭を抱えたくらいだ。男兄弟なので大した情報は期待していなかったけれど、本当に情報ゼロだと2人の関係が逆に心配になる。
(つーか。メルキオッレの奴、私生活謎過ぎんだろ)
その日も何の進展もなく、ジョエレは帰途についていた。
調べれば調べるほどメルキオッレの異常性が見えてくる。
教皇庁の誰に聞いても、メルキオッレと仕事外で関わりを持つ人間がいないのだ。それだけだったら、立場もあるし、ありえなくもないだろう。
けれど、休日、外で彼が何かをしている姿を見かけている人間まで全くいない。かといって家にもいない。
これでは捜査場所の候補すら上げられない。
「あー、わかんねぇ」
思っていた以上に手詰まり気味で、ジョエレはボヤきながら頭を掻いた。
「何が分からないと?」
すぐ横から、あまり聞きたくない声が聞こえてくる。
嫌々そっちを向いてみると、眼鏡越しにエアハルトと目が合った。
「あれでしょ。オルシーニ卿を殺した犯人」
逆の方向からはユーキの声まで聞こえてくる。振り返るとパーカーを深く被った男がいた。顔はみえないけれど、まず間違いないだろう。
状況としては両隣を敵に挟まれているわけで、非常にまずい。それも往来というのがとれる行動の幅を狭める。
こちらが戦闘姿勢を見せた場合。
人なんてゴミくらいにしか思っていない彼らのことだ。周囲を巻き込んで暴れかねない。
「何か用か」
仕方がないので、ジョエレはそのまま普通に会話を続けた。
「それがさー。ちょっと総主教殺したら総主教に殺されかけちゃって。帰る場所がなくなったから、かくまってくんない?」
世間話よろしくユーキが言ってくる。
頭が痛くなってジョエレは立ち止まった。
殺した相手に殺されそうになるって何だ。
敵にかくまえと言える性根も突っ込んでやりたい。
この場合、どこから指摘するのが正解なのだろうか。




