10-1 からめ手 ◇
私は言おう。私の兄弟、友のために。「あなたのうちに平和があるように」
私は願おう。私たちの神、主の家のために。「あなたに幸いがあるように」
(詩篇122:8-9)
堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる
Ultimo Episodio 超人座せし世界の特異点
◆
イベリア出張の報告書を書こうとしてジョエレは頭を抱えた。
聖槍ロンギヌスについては洗いざらい書いてもいい。これまでひた隠しにしていた槍の存在も、今となっては何の価値もないから。
問題は帰路だ。
潜水艦を使ったなんて書けない。しかし、それだと帰りの部分が書けない。かといって、陸路を想像で書いては絶対ボロが出る。
仕方がないのでダンテを捕まえて道中の話を聞き、適当にアレンジして穴を埋めた。
書類の用意ができたのはディアーナの葬儀2日後。
翌日、朝、遅刻ギリギリの時間に男2人で家を出たら、テオフィロは途中からジョエレを置いて走って行った。
(なんだよあいつ。俺なんかよりずっと真面目じゃねぇか)
少し感心しながらも自分はマイペースに登庁する。遅刻スレスレに滑り込める予定なので、急ぐ必要はない。
と、思っていたのに、
「度重なる無断欠勤の挙句、出てきたと思ったら遅刻とは何事だ!」
訓練場に入った途端レオナルドに怒鳴られた。
「遅刻じゃねぇだろ! ギリだけど」
「よく見ろ。10秒遅刻だ」
「はぁ!?」
反射的に時計を見たら既に1分経過していた。そもそも10秒の遅刻なんて、そのとき見ないと確認できない。それ以前に、10分遅れくらいまでは時間内とみなすのが人情というものではないのか。
「丸めれば7時半ってことで、お咎めなしだな」
開き直ったジョエレは腕を組み、ふんぞり返ってやった。
「そんな理屈があるか! 反省が見られん罰として、始末書を提出するように」
「10秒遅刻で始末書とか聞いた事ねぇぞ!」
「私も初めてだ。ああ、そういえば、イベリアで随分好き勝手したらしいな。独断専行の始末書も出すように」
「はぁあああっ!?」
思わぬ方向からの攻撃に不平しか出なかった。
独断専行は確かにその通りなのだが、罰するならもっと早くてよかったはずだ。このタイミングで思い出したように始末書を要求される意味が分からない。
(嫌がらせか!? 嫌がらせだよな? 嫌がらせだ)
頭の中でそう結論付け、言い返してやろうとして……止めた。
この流れで反論しようものなら、身に覚えのない罪まででっち上げられそうな気がする。今ならまだ可愛い被害だ。泥沼にはまる前に撤収するに限る。
それは分かっていたけれど、
「なんで臨時職員の俺が、そこまで縛られにゃならねぇんだ」
ムカつきのせいか、うっかり愚痴が漏れてしまった。
レオナルドが生真面目な表情を崩しもせず言ってくる。
「聞いてなかったのか? バルセロナに出発した日付で正式な庁員として登録されているぞ。出張中は保健福祉局扱いだったが、今は異端審問局所属。私はお前の上司。教理省では上司には絶対服従。覚えておくように」
聞いていない。
現実を否定したくて、ジョエレは笑顔で首を横に振った。
出張時に仮登録したのは分からなくもない。籍が無ければ不都合が出るかもと、ただの保険だろうから。
それが継続されていて、転属している意味が分からない。
それも、古巣の国務省ではなく教理省。主にクラウディオのせいだが、仲のよろしくなかった部署に、なぜ自分が配属されねばならないのか。
「退職届を――」
「保釈金」
「……」
目の前が暗くなって、がっくりと項垂れた。
この感覚には覚えがある。きっとディアーナの入れ知恵だ。ならば、ここで蹴り飛ばすと、もっと不利な条件が突きつけられる可能性がある。
無駄なあがきは止めた方がいい。
「自分の立場は理解したようだな。訓練の組だが、イベリア出張組はほとんど殉職してしまった故、再編した。使徒アンドレイナと同じ組なので、当面彼女の指示に従うように」
「へいへい」
色々疲れて、足取り重くアンドレイナの元に行く。
ジョエレを見た彼女は口元に手をあて苦笑した。
「色々と落ち着きましたか?」
笑っているのは今のやり取りだろうが、問われている色々は、きっと、ディアーナ死去による双子のゴタゴタだ。彼女はディアーナの眠る部屋の警護をしていたから、ステファニアの乱れっぷりも見ているだろうし、それとなく気にはしてくれていたのだろう。
「んあー。たぶん」
「では訓練に集中できますね。この班は、イベリアでの服務違反懲罰で訓練内容が厳しくなっています。頑張ってください」
では走り込みに行きましょうか、と、アンドレイナ達が訓練場を出て行こうとする。
「ったく、だりいなぁ」
ぼやきつつジョエレも続こうとしたら、
「アイマーロ。訓練が終わったら長官室に来るように」
レオナルドが声をかけてきた。
さっきのムカつきが残っていたので聞こえなかった振りをしてやったら、大音量の怒声が飛んでくる。
「返事は!」
「分かったよ!」
半分やけっぱちで怒鳴り返した。
さようなら、自由奔放な日々。
こんにちは、窮屈でストレス満載なこれから。
訓練内容どうのより、そちらで胃が痛くなった。
訓練後。
教理省長官室の執務机にジョエレは書類を置いた。
「とりあえず、旧スペイン領出張の報告書」
「おおよそはアンドレイナから聞いている。何かと大変だったようだな」
レオナルドがそれを手に取り、これから処理する書類入れにそのまま移す。
「分かってるなら俺に優しくしてやれよ」
その様をジョエレはげんなりと眺めた。
「それとこれとは別だ」
ある意味予想通りの答えが返ってきて、溜め息すら出ない。
「で、俺はなんで呼ばれたんだ?」
「ディアーナ卿を害した犯人の調査なんだが、お前にも加わってもらおうと思ってな」
「俺、ある意味ディアーナの関係者だけど。いいわけ?」
殺人事件の捜査では、通常、被害者の親族などは捜査チームから外される。
親しかった者ほど犯人への恨みを抱いていて目が狂う。それに、いざ犯人を前にした時、復讐に走らないとは限らない。
誤認逮捕や復讐の連鎖を避けるための措置だ。
ジョエレとディアーナの関係は、ある意味家族より強い。レオナルドは詳細を知らぬだろうが、何らかの繋がりがある事くらいは掴んでいるだろう。
なのに、ジョエレを捜査に加えるのは少し不思議だ。
「家族ではあるまい? 愛人やパクス関係であったとも聞かぬしな。お前は知らぬだろうが、聖下もあの日以来行方不明になっててな。捜査の人手が足りんのだ」
話をしていると扉がノックされた。
「バルトロメオです」
「入れ」
バルトロメオが入ってきてジョエレの横に並ぶ。
レオナルドは引き出しからファイルを取り出し、ジョエレの前へと差しだしてきた。
「ディアーナ卿の殺害犯捜査の主任にバルトロメオを置いている。後は彼の指示に従うように」
「捜査にバルトロメオって、不向き過ぎんだろ」
ジョエレはそれを受け取りぱらぱらとめくる。最初に目に入ったのはディアーナが刺されていた現場写真で、葬式の夜にダンテから見せられたものだ。
既に見たのがバレると説明が面倒なので、初めて見たふうを装う。
「ディアーナ卿を害したほどの犯人だ。ある程度手練れを配置せんと返り討ちにあいかねん。それに、頭を使う部分は、お前が入れば埋められると思っているのだが?」
「んまぁ。確かにそうだけど」
言っている事に間違いはない。特に突っ込みどころも無かったので、ジョエレは黙ってファイルを流し見、パンと閉じた。
見計らったようにレオナルドが言ってくる。
「分かったようだな。では退室するように」
PACS:
ざっくり言うと、共同生活を送っている相手と結婚はしていないけれど、結婚しているのと同等の権利を得られる制度。
◾管轄は役場でなく裁判所
◾別に永遠の愛を誓うわけではない
◾別れる時に離婚ほどめんどくさくない(どちらか一方の申し立てで契約解消可能)
みたいなあたりが結婚との大きな違いになります。日本にはありません。




