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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅸ.佳月の残光が照らししは

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9-6 折り合いのつけ方

 ◇


 ディアーナの葬儀が終わり、夕食は外で食べてきて。

 帰宅したジョエレは喪服のままワインセラーを開けた。

 "飲むな!"と書いた紙を巻きつけておいた1本を掴み、グラス2つと共に屋上に出る。

 物置のプレハブから折りたたみ椅子を2脚出して、片方にグラスを置いた。


「予定より早く開けるハメになっちまったなぁ」


 ボトルを包む紙を剥ぎコルクを抜いた。それをグラスに注ぐ。


 シャトー・マルゴー 2728


 ディアーナとジョエレ、2人が60歳になった時に共に飲もうと仕入れておいたのだけれど、無駄になってしまった。

 それなら取っておく必要はないので、さっさと無くした方が後腐れもない。

 ひと口含んで……顔をしかめた。


「きっちり開くにはもうちょっとだったな」


 予定より早く開けたのもあって苦味が強い。

 とても美味い良い品なのに、手間をかけなければ本来の味を楽しませてくれない。

 その様がまるでディアーナみたいだなと思いながら、苦みを取り除くため、空気に触れさせるようにグラスを揺らす。


 実はこれ、2728年――8歳のベリザリオがエルメーテやディアーナと共にル・ロゼに入学した年――に作られたものではない。

 いくら良質のものでも、50年以上となるとほとんどのワインがもたない。

 だから、ちょうど飲み頃になるように、20年前の当たり年に製造された品を確保して、エチケットだけ張り替えておいたのだ。


 ワインは思い出を楽しむもの。それでもやはり美味しい方がいい。

 だから小細工をした。

 ディアーナの好きな銘柄の味と思い出、両方を楽しんでもらえるように。復讐だけでは辛いから、たまには楽しかった頃を思いだすために。


「どう思うよディアーナ」


 グラスの1つを残したままの椅子にディアーナが座っていた。身体が透けていて、30歳の頃の見た目の彼女だが。


「お前さ。死んで肉体の枷が無くなったからって、若返って出てくるってどうなのよ」

『あなたが歳をとってないんだから、私も若返るくらいいいでしょう?』


 やや不機嫌そうに彼女が言った。

 以前も視ていたから分かる。これは、《死神ラ・モルテ》の毒が見せる幻覚だ。

 ディアーナの死顔を見た翌日くらいから気が付いたら視えるようになっていた。完治したかと思っていたけれど、中々しつこい。


(精神的に参ってるってことなのかね)


 けれど、これはこれで悪くない。

 今のところ身体に不具合は感じないし、幻覚と現実の区別もついている。寂しさを紛らわせてくれる恩恵だけを受けている感じだ。


「なぁ、ディアーナ。ヴェネツィアに行く前、月が綺麗な夜に月見酒でもしようって言ってたじゃねぇか。俺が受けてたら、約束を守るためにお前は生きていたのか?」


 グラスを掲げた空には見事な月が浮かんでいる。それでも、満月には少し足りない。完璧な月を待つならあと数日は生きておかなければならない、そんな形だ。


『さぁ。どうかしらね』


 幻覚なら耳当たりのいい言葉をくれればいいのに、彼女は生前と変わらない。

 けれどディアーナだし、これでいいのかもしれない。



 ◆


 1人グラスを傾けるジョエレを扉の影から覗き見ながら、ルチアは溜め息をついた。


「声、かけられる雰囲気じゃないよね」

「ん」


 肯定とも否定ともつかない言葉がテオフィロから返ってくる。


 ディアーナが倒れてから、喪服を取りに来た以外、ジョエレはずっとオルシーニに行きっ放しだった。葬儀で喪主だったダンテとステファニアが平然としていたのは、彼が近くにいたお陰かもしれない。

 慰めつつも尻を叩いて、葬儀の間だけでも平静を取り繕わせたのだろう。


 ジョエレ本人は最初ちょっと感情を荒げただけで、それ以外は無表情を貫いている。

 けれど、たぶん、平気なんじゃなくて我慢しているだけだ。


(だって、じゃないと、あんなやるせない空気なんて出さないよ)


 それはなんとなく分かるのだけど、どう接すればいいのか分からない。散々面倒をみてもらっておきながら情けない話だ。

 けれど、どうしろというのだろう。

 今のジョエレの背中は全てを拒絶している気がする。声をかけても、本心を隠していつもみたいに馬鹿な反応をするだけで、逃げられてしまいそうだ。


 ルチアが悩んでいる横でテオフィロが動いた。

 何を考えているのか、彼はジョエレの方へ歩いていく。


(ちょっとテオ!)


 ハラハラと小声で制止を求めてみたが、彼の歩みは止まらない。

 それどころか、


「ジョエレ」


 呼びかけながら殴りかかっていた。


「ちょっと、何考えてるの!?」


 ルチアは戸口から身を乗り出して叫ぶ。

 落ち込んでいる人に追い打ちをかけるなんて何事だ。すぐに止めて説教をしなければならない。

 そう思って飛び出そうとしたのだけれど、目の前の光景に足を止めた。


「何しやがんだテメェは。折角の酒が台無しだろうが」


 テオフィロの拳はジョエレに届かず、逆にグラスワインを顔にかけられていた。


「知るかよそんなの。湿っぽい顔でいられるとムカつくから、殴ってやろうかと思って」

「俺のどこが湿っぽいってんだよ。それに、お前ごときが俺を殴れるとでも?」

「俺、最近、バルトロメオのおっさんに鍛えて貰ってんだよね。今までの俺だと思うなよ」

「かーっ。怪力馬鹿のバルトロメオについたくらいで俺に勝てる気か」


 グラスを置いたジョエレが、来いよ、とばかりに指を動かす。

 そうして、挑発にのって踏み込んだテオフィロを、呆気なく蹴り飛ばしていた。


「殴りには殴りで返せよ!」

「殴ると俺の手が痛いだろうが」


 もっともな意見だけれど、なんか酷い。

 こんな事に意味なんてないし、止めさせよう。ルチアがそう思った矢先に玄関のチャイムが鳴った。


「もう、こんな時に誰よ!」


 取り込み中の2人が出るわけがない。後ろ髪を引かれながらルチアは1階に降りた。


「はいはい、どなた?」


 乱暴にドアを開ける。

 すると、ダンテとステファニアが笑顔で立っていた。着替えくらいしてくればいいのに喪服のままで。


「はぁい、ルチア。ジョエレいる?」

「いるにはいるけど、屋上で――」


 取り込み中。

 言う前にダンテはルチアの横を抜けて階段を登って行った。ステファニアもひょこひょこ続いたので、溜め息をついたルチアは玄関を閉めて、自分も屋上に戻る。

 なんでこう、騒ぎが起こる時はまとめて起こるのかと喚きたくなる。

 いつもだったらなんやかんや言いながら火消しに回るジョエレが、火に油を注いでいるのもいただけない。


 屋上に出る扉の前に着くと、先ほどのルチアみたいな格好をステファニアがしていた。


(ダンテどこ行ったんだろ?)


 彼女の横から屋上を覗いてみると、騒いでいる馬鹿が3人に増えている。


「ちょっと、ワタシは届け物に来ただけなのよ!」

「やかましい! 取り込み中のトコに割り込んで来たお前が悪いんだろ!」

「ご愁傷様」

「クソガキ共、今日という今日は本気でぶっ飛ばすから覚悟しろ」


 ジョエレがテオフィロとダンテの頭を掴み、2つをぶつけた。

 衝撃で目を回している2人を尻目に、本人は「やっぱ俺が最強だな」とか言って笑っている。


「マンマがさー、男っていうのはどいつもこいつも馬鹿だっていつも言ってたんだけど、やっぱ馬鹿だよね」

「どういうこと?」

「女相手にならいくらでも甘い言葉吐いて慰められるのに、男同士だとアレじゃん? すんごい非効率」


 呆れ顔のステファニアが外を指した。

 アレというのは、やはり、あの馬鹿騒ぎを指しているのだろう。


「あれ、ひょっとして慰めてんの?」

「だと思うよ。アモーレ分かってて付き合ってるみたいだけど。ほら、目は笑ってるし、投げとばす時、2人が怪我しないように気を使ってるよ」


 そう言われて見てみると、罵りと逆でジョエレの眼差しは優しい。テオフィロとダンテが大きな怪我はしていないのも、きっちり手加減しているからかもしれない。


 そんな3人の様子をルチアが見ていると、横から腕をつつかれた。


「ね、ルチア。お喋りに付き合ってよ」

「はぁ?」

「いいじゃん。私はあんなの嫌だしさ。かといって1人でいたくないし。ほら、マンマのワインセラーから1本貰ってきたんだ。おつまみ何か出してよ」


 ステファニアが手にしていた袋からワインボトルを出した。見たことのないエチケットが貼られていて、なにやらリボンがかけられている。


「ディアーナの秘蔵品だったら高いんじゃないの?」

「どうだろ? でも、駄目になる前に飲んじゃえばいいと思うんだ。これさ、ちょっと前に届いてたと思うんだけど、凄く古いんだよね。マンマが死んだワインなんて置いとくとは思えないから、きっと特別な何かなんだよ!」


 特別な物であれば手を付けない方がいいと思うのだが、特別だからこそ、美味しくいただいてあげる方がいいのだろうか。


 アルマン・ルソー=シャンベルタン・クロ・ド・ベーズ 2728


 いつも適当――最近ではジョエレの選んだ物を飲んでいるだけのルチアには、品の良し悪しは分からない。


(あれ? そういえばディアーナ、ジョエレの好きなワインが手に入ったとか言ってなかったっけ?)


 リボンがしてあるのならそれ用な予感もするのだが。一応、心の中だけで謝っておいた。

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