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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅸ.佳月の残光が照らししは

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9-4 あなたとはここでお終い

 ◆


 局長室に着いたディアーナはとりあえず尋ねる。


「何か飲まれますか?」

「いいよ。長居するつもりはないから」


 そう言ってメルキオッレがソファに座った。

 ことさら気を使う必要性は無さそうだったので、ディアーナは何もせず対面のソファに座る。そのまま渡された手紙を開いた。



 ――親愛なるディアーナ・オルシーニ様

 最初で最後のお願いです。

 私どもの同志となっていただけませんでしょうか?



(勧誘には余裕があるんじゃなかったのかしらね)


 ジョエレの言っていた事との差異に胸の中で溜め息をついた。膝を組み、肘掛けに頬杖をつく。


 勧誘までの猶予が短かったことは、まぁ、そんな事もあるだろう。最近還幸会の活動は活発化しているし、あちらの事情も変わっているのかもしれない。


 しかし、手紙の配達人がメルキオッレというのがいただけない。

 確かに彼には還幸会に付け入られるだけの闇があった。

 それを作ったのはディアーナだ。


 還幸会の存在を知ってからというもの、ディアーナは自分まで目を付けられないように注意を払ってきた。

 復讐が出来なくなると思ったから。


 教皇庁での仕事からはなるべく身を引いた。不服な政策が出てこようとも、目に余りすぎるもの以外は従った。

 そんな片手間の仕事ぶりだというのに、国務省長官への昇進話はたびたび出てくる。そのたびに謙遜の振りをして断った。

 歳をとってからは教皇候補に上がってしまうという迷惑な事態も起こったが、それもなんとか切り抜けた。

 ひとえに目立たないためだった。


 けれど、そのために1人の青年が犠牲になった。

 ディアーナがいる限り新教皇になっても絶対権は握れない。それを嫌った連中が、繋ぎの教皇を持ち上げたのだ。


 自分達の権力を脅かす存在ではないこと。

 従順に扱えること。

 選帝侯の人間であること。


 そんな条件を満たしたのが入庁1年目のメルキオッレだった。

 彼自身が難色を示そうとも父親であるクラウディオは息子の教皇就任を推す。クラウディオ本人はすでに教皇庁にいなかったけれど、枢機卿の中には彼とつるんでいた者もいて、メルキオッレの教皇就任を推した。


 凡庸な青年にその立場は害にしかならない。


 分かっていながら、ディアーナはメルキオッレが担ぎ上げられていく様を眺めていた。

 哀れな青年のために出来た事といえば、ちょっとした避難場所になってやる事と、彼をなるべく肯定してやる事くらいだ。


(それでは足りなかったみたいだけど)


 哀れみを多分に含んではいたが、目はかけていた。だから嘆かわしい。


「この答えを聖下に言えばよろしいと?」

「うん」

「では、断るとお伝えください」


 ディアーナは立ち上がって流しに向かった。


「珈琲でも飲んでいってください。お話するのも最後になるでしょうし」


 エスプレッソマシンのスイッチを入れ、カップを1つ用意する。


「還幸会の人間を教皇にしたままにはしておけませんから」


 流しに備え付けられているナイフを袖に隠した。

 銃の方が殺傷力は高いし確実だが、音がする。誰かがすぐに駆けつけてくるだろう。

 凶器を処分する時間は無い。硝煙反応を調べられたらその時点でアウト。枢機卿の地位を追われて監獄行き、下手したら死刑になるのが目に見えている。

 彼を始末した上で工作時間も作れ、ディアーナを殺人犯と断定もできないナイフが今の場合最適だ。


「僕が組織の人間だって通報する? それこそ兄さんにでも」


 メルキオッレも席を立ち流しに来た。

 彼が横に立ったので、首筋を狙ってディアーナはナイフを突き出す。


 狙いは完璧。

 メルキオッレの首筋にナイフが触れた――ところで、ディアーナの腕が掴まれた。


「やっぱり、手近にある武器で、静かに確実に殺せる方法を選んでくるよね。予想して構えてなかったら危なかったかも」


 薄皮が切れ細く血は流れているけれど、メルキオッレは何ともなさそうだ。逆に、力技でディアーナの手からナイフをもぎ取りまでしてくる。


「ディアーナが歳とって動きが鈍っててくれたのと、僕の方が力が強かったお陰かな。助かったの」


 奇襲が失敗したのなら逃げねばやばい。

 なのに、メルキオッレが腕を掴んだままなので離れられない。


「正体を明かしちゃった以上、そのままでいられるだなんて僕も思っていないよ。ただ、ディアーナの側は居心地が良かったから。それだけが残念かな」


 メルキオッレの息の根を止めるはずだったナイフがディアーナの胸に突き刺さる。


「!!」


 痛みと苦しさで、ディアーナは声を出せず喘いだ。


「ごめんね。断られたら殺せって言われてるから」


 差し込まれたナイフが回され、激痛で何も考えられなくなる。身体からは力が抜け、ディアーナはその場に崩れ落ちた。


「おやすみディアーナ。これで、ベリザリオやエルメーテと仲良く眠れるね」


 ナイフを抜き彼は去って行った。


 傷口から一気に血が流れ出ていく。手で押さえても止血効果が薄い。


(誰かに連絡を)


 駄目だ。電話までが遠い。それに、電話は事務机の上だ。身体が起こせない。声だってまともに出ないだろう。


(せめて情報を)


 自らの血を指で床になすりつける。線が掠れたら傷口に手を突っ込み、濡れた指で続きを書いた。

 直接的な言葉は書けない。そんな事をしてはレオナルドにまで影響がいって、彼の力が弱まってしまう。

 ヴァチカンの守りをこれ以上弱めては駄目だ。


(ジョエレなら分かってくれるでしょうし)


 真意が伝わらない心配をしないでいいだけ自分は幸せだ。


 最低限の文字を書き終えディアーナは力を抜いた。

 血が流れると共に感覚が鈍くなっていく。頭も、もう、何か考えようとはしてくれない。


 不思議と古い記憶が思い出されてくる。

 馬鹿みたいな青春を送って、馬鹿な友達と夢を追って。

 エルメーテとアウローラ、ベリザリオも喪ってしまったけれど、代わりにダンテとステファニアを得れた。

 子供達が小さい頃はジョエレも一緒に暮らしてくれていて、仮初めとはいえ穏やかな、家族みたいな時間も過ごせた。


(復讐に引きずり込んでおいて、先に脱落したらあなたは怒るかしら)


 普通に怒るだろう。

 勝手に生き返らせておいて、自分だけ死ぬなと言いそうな気がする。

 けれど、どんな形であれ、彼に生きて欲しかったのだ。1人ではあまりに心細かったから。


(ジョエレ。あなたもそろそろ、復讐以外の生きる目的を見つけられたかしら?)


 昔のように無邪気な笑みを見せてくれるようになるだろうか。


 せっかく命を救ったベリザリオだったのに、アウローラ達の死と共に彼の心も死んでいた。

 強引に立ち上がらせても、半分借り物の心は過去に縛り付けられたまま。笑ったと思っても、見せるのは自虐的な嘲笑ばかりになってしまった。


 もういいではないか。

 戻らない過去なんて捨てて生き直せばいい。

 そのために、少しでも現在にしがらみができるように、自分ディアーナ以外ともつながりができるように振り回したのだから。


 死に場所を求めて惰性で繋ぐ生なんてやめろ。代わりに笑ってくれ。アウローラが何より愛した甘く優しい雰囲気で。

 ああ、その笑顔を一目でいいから見たいのに――。




 ごめんなさいベリザリオ。

 先に逝くわ。

 覚悟して死ぬのって意外と穏やかね。

 昔のあなたもこんな気持ちだったのかしら。


 あなたの苦しみは私が持っていきましょう。

 だから笑って。

 あなたの命が尽きたその時に、私達が笑顔であなたを迎えられるように。

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