9-3 教皇の背負うもの
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教皇庁の深部にある図書館。そこには、枢機卿以上の位がないと入れぬ禁書架がある。更に奥には、教皇にしか立ち入れぬ部屋も。
今まで1度も入ったことのないその部屋にメルキオッレは足を踏み入れた。
すると、入室者の居場所を感知して照明が自動で点く。光量が抑え気味なのは、収蔵品を痛めないためだろうか。
想像していたより広い部屋の、入り口付近の棚にはびっしりと本が収められている。他には、何が書かれているのかよく分からない大判の紙。模型もある。
博識者、それこそ稀代の三傑レベルの人物なら、ここに収められている資料が何だか分かるのだろう。けれど、メルキオッレには無理だ。そもそも興味が無い。
命じられたから来ただけ。
指定された場所に行くと聞いていた通りのものがあった。
「本当にあっちゃうんだ」
教皇庁での業務を支えているメインコンピュータ。それとよく似ているけれど、少し小ぶりなものがそこにあった。メインコンピュータと同じ頃に作られたものなのだろう。
仕事をするため、コンピュータの電源を入れた。
立ち上がるのを待つ間に、これからの操作が書かれたメモを取り出す。
この部屋にあるものや操作手順を教えてきたのは聖母還幸会の総主教だ。
あの老人がなぜこんな事を知っているのか分からない。
多少気にはなるけれど、今考えても仕方がない。
気持ちを切り替え、ログイン画面に、代々の教皇に引き継がれてきている文字列を入力した。
無事ログインを果たすと、〈第三種永久機関〉というファイルを開く。
その直下からセキュリティのタグを選び、全項目を停止。施設通路を解放状態にした。
それで設定を保存し、シャットダウン。
すべき事は終了したので部屋を出た。
「調べ物ですか? 聖下。お疲れ様です」
そうしたら、すぐそこにディアーナがいた。彼女はいつもと変わらぬ穏やかな笑顔を浮かべているけれど、眼差しには微妙な厳しさがある。
「私で分かる程度の事でしたらお教えしたのに。何を調べていらしたんです?」
なのに、いつもの会話と同じ調子で尋ねてきた。雰囲気で騙されてしまいそうだが、これは探りだろう。
(これって、ディアーナは、この書架に何があるのか知ってるからこその行動だよね。さすが、権力の上に胡座をかいてるだけの枢機卿達とは違う)
総主教が言っていた。正しい意味で、今のヴァチカンとヨーロッパを守っているのは彼女だと。
仕事のために動きだした途端に遭遇すると、その考えが正しいのだと実感する。
(ま。もう賽は投げられちゃったし、今更どうでもいいけど)
全ては動きだしてしまった。
いっぱしの教皇になろうと、組織から抜けようと足掻いてもみたけれど、時間切れだ。
「エネルギー供給機関について少し? びっくりしちゃったよ。ヨーロッパには〈第三種永久機関〉は無いって聞かされてたんだけど、教皇庁が持ってるんだからさ」
世間話のように返した。
ディアーナの眉の角度が僅かに急になる。いつも穏やかな顔を保っている彼女にして、その反応は珍しい。
それだけ、触れてはならない話題に触れたという事だろう。
少しだけ、してやったりという気持ちになれて嬉しい。
メルキオッレは顔に微笑を浮かべ、懐から1通の封筒を取り出した。裏に白百合の封蝋のしてある品だ。
これをディアーナに渡して、答えを貰うのも与えられた仕事の1つ。
「ディアーナ。これを読んで答えをもらえるかな?」
「わざわざ手紙ですか?」
ディアーナが封書を受け取り、裏返した途端に表情を凍りつかせた。俯きがちになりながら口をわななかせて言ってくる。
「私の部屋で話しましょうか」
そうして身を翻した。歩きながら小さな声が流れてくる。
「聖下。あなたはただの配達人ですか? それとも還幸会に籍を置いておられる?」
「一応幹部の1人かな。《教皇》って呼ばれてる。皮肉だよね」
「そうですね」
その声は、彼女に似合わず弱々しかった。




