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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅸ.佳月の残光が照らししは

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9-2 憧れた世界

 おかしな巻き込まれ方をしたそっくりさん大会。

 素朴過ぎるディアーナと常識人過ぎるエルメーテ。彼らと共にチープな衣装で臨まなければならないとしても関係ない。

 本人なジョエレはベリザリオ部門で余裕で優勝し、チーム戦でも1位だった。

 というか、審査員にエステ卿がいて、ジョエレの顔を見るなり、他をろくに見ないで順位を付けていた。


「約束通り賞金は貰うけど、今さら文句言うなよ」


 表彰式が終わったので、衣装をさっさと着替える。


「もちろんです。自分らは副賞さえ貰えればいいんで」


 満面の笑みで鼻血男が衣装を受け取った。


 なんでも、稀代の三傑ステッラ・ブリッランテを題材にした舞台が製作されるらしい。

 製作責任者は、枢機卿の1人であるイザベラ・デステ。オペラ座の騒動に巻き込まれた時にインスピレーションが刺激されて、脚本を思いついたとかなんとか。

 稀代の三傑ステッラ・ブリッランテという存在自体闇に消してしまいたいジョエレとしては迷惑な話だ。


 それで、その迷惑極まりない舞台の出演者オーディションが開かれる。普通のオーディションとは違い、参加権が必要なタイプのものが。

 参加権を得られる機会の1つがこの大会で、成績優秀者に配られていた。

 ジョエレに絡んできた連中の目当てはもちろんソレ。


(そんなのに俺が代わりに出たら駄目だろうがよ)


 と思ったけれど、たかがオーディション権なのでどうでもいい。ズルして出ても落とされておしまいなだけだ。

 賞金だけ貰って彼らとは別れた。


「大聖堂、入場時間過ぎちゃったね」


 しっぽりと暗くなった広間で、扉の閉じられたサン・マルコ大聖堂をルチアが見上げた。


「だなー。まぁ、今日は移動で疲れたし、飯食ってさっさと休もうぜ。祭りは逃げねぇしよ」


 言いながら、ジョエレは先ほど手に入れたばかりの賞金をルチアに放る。

 彼女は慌ててそれを受け止め、


「ちょっとジョエレ、何してるの!?」


 頬を膨らませた。金の扱いが酷過ぎたせいだろう。

 説教は右から左に聞き流しジョエレは歩きだす。


「それだけあれば衣装も選びたい放題だろ。明日借りにでも行くんだな。謝肉祭カルネヴァーレのイベントは服装規定ドレスコードが仮装ってのもあるから、変装しといた方が楽しめるぜ」

「ジョエレやっさしーい」


 笑いながらルチアがジョエレを追い越し、下から覗き込んできた。


「あぶく銭は景気良く使うに限るだろ。ほれ、前見て歩かねぇと人にぶつかるぞ」


 目ぼしい食堂を探しに大通りへ向かう。

 ヴェネツィアでは、埋め立てた湾で海産物を養殖して名物として提供もしている。

 もちろん高価だが、臨時収入もあったし、たまには魚介類に舌鼓をうつのもいいかもしれない。



 ◇


 翌朝。

 貸衣装屋に行くのかと思いきや、ルチアの希望は、昨日行けなかったサン・マルコ大聖堂へのチャレンジだった。

 動きやすさ的に、観光するだけなら私服の方がいい。

 というわけで、真っ直ぐサン・マルコ広場まで来たのだが……。


 大聖堂入場待ちの長い列が既にできていた。


「なんで!? まだ10時だよ!」


 ルチアが叫ぶ。


「そりゃあお前、本気の皆さんとの気合の違いだろ。この広場、7時くらいには、本気度120パーセントで仮装してる連中の大撮影会とか始まるらしいし。みんな何時に起きてんだろうなー」


 ぼやきながらジョエレも列を眺める。

 進んでいくスピードから予想するに、軽く1時間は並ばないと入れなさそうだ。その上列はどんどん伸びていっている。出だしが遅くなるほど待ち時間は長くなるだろう。


「んで、並ぶ?」


 複雑な表情で列を見るルチアに視線を落とす。

 並ぶのが嫌な気配は彼女からありありと出ている。けれど、諦める踏ん切りもつかないのか、本気で悩み顔だ。

 黙って待っていてみたけれど、ルチアは中々決断しない。

 このまま放置してるのもなんだったので、


「金のモザイク画とか、宝石の散りばめられた扉を諦められるなら、穴場に連れていってやってもいいぜ?」


 他の案を出してみた。

 そうすると、目を輝かせたルチアがすぐに飛びついてくる。


「そんな場所あるの? そっちがいい!」

「ほんじゃま、行くか。歩いてて疲れたら言えよ。テオに背負わせるから」

「ジョエレが背負うんじゃないのかよ」

「飼い主の世話はペットの義務だろ」


 くだらないお喋りをしながら本島区を抜ける。しばらくすると、巨大ながら優美な佇まいの修道院が見えてきた。群島時代は"水上の貴婦人"と呼ばれていた建物に入り、本堂には行かず通路を左手奥へ向かう。

 そのまま進むと鐘楼に昇るエレベーターがあるので、乗り込んだ。


「こっちの教会はあんまり人いないんだね」

「派手な美術品を収蔵してなきゃこんなもんじゃね? 教会なんてどこにでもあるし。ま、俺は、こういう静かなトコの方が好きだけど」


 エレベーターが上階に到着したので降りた。

 そこから360度ヴェネツィアの街を臨む。

 かつてのヴェネツィアの栄華を象徴するバロック式やルネッサンス様式の建築物群は、千年の時を経た今でも一見の価値がある。


「うわぁ、凄いね」


 ジョエレの横に来たルチアが感嘆の声を上げた。

 そんな彼女と、黙って景色を見ているテオフィロに分かるように、ジョエレは北側の一角を指す。


「あそこの、でかい鐘楼の辺りがさっきまでいたサン・マルコ広場。また人が増えてきてやがんな。見てるだけで人酔いしそうだぜ」

「なんか人が多過ぎる上に小さくしか見えないから、蟻みたいなんだけど」

「遊び呆けてる蟻ばっかだけどな」


 俺らも大して変わんねぇけど、と呟きつつ、ルチアの持つガイドブックをめくる。


「で、その前にあるのがドゥカーレ宮。あそこ昔は総督府だったから地下牢があるらしくてな。満潮時は水没して囚人はお亡くなりしてたらしいぞ。夜にあの辺に行けば、楽しい体験ができたりしてな」


 けけっと笑いながら、ガイドブックに載っていない与太話を補足してやった。そうしたら、


「その情報いらない!」


 ルチアに思いっきり背を叩かれた。

 このまま悪ふざけを続けると本気で怒られそうな気配だったので、ジョエレは咳払いを1つして空気を変える。


「んで、西側に見えるのが、サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会。このページのこれだ。あとここから見える目ぼしいものは――」


 ぱらぱらとページをめくってみたけれど、そのまま本を閉じた。


「やっぱアドリア海だな」


 そうして東に目をむける。

 埋め立てられた湾の向こうに澄み渡ったセルリアンブルーが見えた。

 原初、全ての生命を産み出した場であったのに、今は奪うだけの存在となってしまった海。


「綺麗だよなー、海。近付くと死ねるけど」

「ジョエレ海好きだったんだ?」

「海が好きっちゅーか。その先の世界がな、見たかったんだよ」


 海の向こうには、世界地図と古い記録でしか見た事のない世界があったのだ。何がしたいというわけではない。多くの人に囲まれる生活に嫌気がさして、真逆の世界を求めた。


「夢でかすぎ」

「俺も、俺の周りも馬鹿だったからな。馬鹿みたいに大きな夢を見れたんだよ」


 三傑だ、天才だ、超人だとおだてられ、実際成績だけは良くて、共に歩んでくれる仲間がいたものだから夢が見れた。

 その最大の壁が放射線だ。

 海が死んでいるのと同様、バルカン半島の半分以東は人が安全に暮らせる放射線量ではない。

 時間が経てば暮らせるようになる――と誤魔化す政治家もいたようだが、そんなの甘言だ。セシウム程度なら300年も経てば概ね消えるが、プルトニウムの半減期は2万年を超える。それが完全に無毒化されるまでの時間となると考えるだけ無駄だ。


 だから、除染技術を高められないかと、主にそちらの開発に力を割いた。

 自然の復元能力にも期待して、放射性同位体を分解してくれるバクテリアでも発生していないかと、僻地を調査してみたりもした。

 その過程で見つけてしまったのが名付けすらしなかったウィルス。

 今にして思えば、あれも、遺伝子変異の末に生まれてきた何かだったのかもしれない。


(無邪気にそんな事に励んでた時期もあったんだよなぁ)


 アウローラとエルメーテを喪った衝撃が大き過ぎて、その後の生活も一杯一杯だったせいで、すっかり忘れていた。


「今から頑張ればいいんじゃないの? ディアーナに言えば協力くらいはしてくれそうだけど」

「かねぇ。代わりにアホみたいに働かされそうな気がするんだが」


 けれど、もし復讐が叶ったのなら。

 余生でディアーナと夢を再び追いかけてみるのも悪くないかもしれない。

半減期:

放射性同位体の放射能が半分になるまでに要する時間。固有値。環境や化学処理による数値の変化は起きない。


放射性同位体:

同位体の中でも放射能を持つもの。

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