8-15 お裾分け
◆
部屋を追い出されたテオフィロが歩いていると、廊下の向こうから車椅子を押したバルトロメオがやって来た。
「テオフィロ・バンキエーリではないか。このような所で会うとは奇遇だな」
「それ、俺のセリフ」
挨拶をしつつ車椅子の人物に目を向ける。
黒髪にパーマをかけている女性だ。ただ、顔を含め全身に包帯を巻いているので、人相が分からない。
「そこにテオフィロがいるのですか?」
車椅子の女性が口を開いた。声と話し方には覚えがある。
「えーと。アンドレイナさん?」
「はい。このような姿で申し訳ありませんが、アンドレイナです」
使徒アンドレイナ。
ジョエレと共に旧スペイン領に出張と聞いていたが、彼女も帰ってきていたらしい。
けれど、この、包帯ぐるぐる巻きの状態は何なのだろう。
「凄い格好だね」
「恥ずかしながら醜態を晒しています。ジョエレは帰ってきましたか?」
「帰ってきたよ。すぐにいなくなったけど」
「彼に……ジョエレに怪我などは?」
「無かったと思うよ。体調は悪そうだったけど。それがどうかした?」
なぜそのような事を聞かれるのか不思議だった。
同じ仕事であれば共に帰ってくるのが普通だろうに、途中から別行動にでもなったのだろうか。それに、10日で帰ってくると言っていたジョエレの帰宅が少し遅れた。
ただの外遊のはずが、向こうで何かあったのかもしれない。
アンドレイナが教えてくれないかと見つめてみたけれど、
「いいえ。ありがとうございます」
彼女は何も言わず、ぎこちなく頭を下げた。それから、後ろを見上げるような仕草をする。
「すみませんブラザー。少し立ちます」
そう言うと彼女は立ち上がり、ふらついていたところをバルトロメオが支えた。
「テオフィロ、こちらに近寄って背を向けてもらえませんか?」
「何?」
何故そんなことを要求されたのか分からない。けれど、怪我人の願いなので聞いてみる。
すると、背に手が添えられた。細くて、どこか繊細な感じがするから、きっとアンドレイナだ。
「そんなに心配しなくても大丈夫。あなたはあなたらしくしていれば、周囲は自然と落ち着きますよ」
「何でそんなこと言うのさ?」
不安を見透かされた気がして、テオフィロはわざとつっけんどんに返した。
最近のごたごたにテオフィロは何もできていない。ただそこにいて、周囲がどうにかしてくれるのを待っているだけだ。
テオフィロにもう少し何かできれば、ジョエレだって、あんな体調で無理しなかったかもしれない。
「背を誰かに支えられているという認識は落ち着きますよ。旧スペイン領で不安定だった私はジョエレに支えられました。だから、そのお裾分けです。治療中で視覚を閉じているせいか、あなたの不安が感じられる気がして」
お節介かもしれませんが。そう笑いながらアンドレイナは座る。
「もう良いのか?」
「はい。ブラザーも良ければ行きましょう」
「うむ。ではな、テオフィロ・バンキエーリ」
バルトロメオが再び車椅子を押し始めた。
彼らと逆方向にテオフィロは進む。
(俺は俺らしくしてればいいって言うけど、このままじゃ駄目だよな)
そうは思ったけれど、何をどうすればいいのか分からない。今別れたばかりの2人を追うため、テオフィロは身を翻した。
◆
「だから某が言ったであろう? あの男なら殺しても死なないと」
車椅子を押しながらバルトロメオは言った。
「はい。ですが、ジョエレの方が私達よりリスクの高い仕事をしてくれたのは確かなのです。教皇庁の人間ですらない彼に何かあったとしたら申し訳なくて」
皆がイベリア半島から逃げる中、ジョエレだけは、逆にジブラルタルに向かったらしい。そこで仕事をしてから逃げ始めるとなると、避難が間に合わない可能性だってあっただろう。
けれど、それを決めたのが彼自身であるのなら、外野が言う事はない。自ら大変な仕事を引き受けた分だけ男らしいと、バルトロメオとしては褒めてやりたいくらいだ。
「もう気に病むのは止めた方がいい。医者も、マイナス思考は治りを悪くさせると言っていたではないか。そんなことでは、いつまでたっても職務復帰できんぞ」
アンドレイナはバルトロメオと違って視野が広い。それに、強がってはいるが繊細だ。だから、余計な事にまで気を回しすぎて己が傷付く。
◇
3日前。
アンドレイナが帰還したから迎えに来いと、バルトロメオはレオナルドから呼び出しを受けた。
長官室に行ってみて驚いた。アンドレイナが土下座していたのだ。それも、涙を流しながら。
部下を失ったことをひたすらに彼女は詫びていた。
戦闘で弱り切った部下達に冬山越えなどさせて、ほとんどを脱落させてしまった。隊長である自分がもう少し考えてルート選定していれば、避けられた犠牲だったのではないかと。
雪中行軍は中々に過酷だったらしい。
まともな防寒装備が無かったのもあって、弱っていた者からどんどん脱落した。動けなくなった者の衣類を剥いで生きている者の装備を補ってもまだ足りない。
休憩の時にアンドレイナが震えていたら、周囲に部下達が集まってきて、彼女が少しでも寒くないように風雪を防いでくれた。
休憩を終えた時に、冷たく動かなくなった部下を見るのは辛かった。
それが申し訳ないと、自らも全身に凍傷を負いながら彼女は泣いていたのだ。
「死んだ者の事をお主が気に病む必要はないぞ」
自力歩行さえ厳しそうなアンドレイナを病院へ運びながらバルトロメオは言った。
途中脱落は鍛え方が足りなかったせい。休む時にアンドレイナを優先してというのも、統率者を守っただけで当たり前の行動だ。
そう割り切らなければ、人の生き死にに直面する現場で上官などしていられない。
「はい。部下達の前ではこんな無様な姿は晒しません。ですから、今だけ、病院に着くまでだけでいいので、亡くなった彼らのために泣かせてください」
バルトロメオの腕の中でアンドレイナが静かに泣く。
宣言通り、病院に着いた時に彼女は泣き止んでいて、その後は一切涙を見せなかった。
今まで弱い姿を見せなかったアンドレイナの涙だったから、彼女の変化をバルトロメオでも感じた。
◇
言葉少なに車椅子を転がし温室に着いた。
ここだけは冬でも花が咲いていて、アンドレイナの放つ空気が軽くなるのだ。だから、見舞いに来たら、必ずここに連れ出すようにしている。
「ブラザー。お客さんのようですよ」
ぽつりとアンドレイナが言った。
「客?」
バルトロメオが振り返ってみると、先ほど別れたばかりのテオフィロが立っている。彼がアンドレイナの言う客なのだろうか。
「おっさん。ちょっと聞きたい事があるんだけど、いつなら時間空いてる?」
「時間か? 面会時間後なら――」
「ブラザー」
バルトロメオの答えをアンドレイナが遮る。
「私は大丈夫なので、彼の話を聞いてあげてください。話が終わったら病室に連れて帰ってもらえると嬉しいですけど」
最後は少し冗談めかしながら彼女が笑った。
そんな風に笑われたら従わぬわけにはいかない。
温室の中でも特に良い香りが漂う場所にアンドレイナを連れて行き、
「すまぬな。少し待っていてくれ」
彼女を残してテオフィロのいる場所に戻った。
「聞きたい事とは何だ?」
「俺、できる事を増やしたいんだけど、どうしたらいいと思う?」
わざわざ何かと思えば、そんな事を青年は言う。
「なぜそれを某に聞くのだ。自分でやりたい事をするなり、ジョエレ・アイマーロに相談するなりすれば良かろうに」
「俺、特にやりたい事は無いし、ジョエレは今いないし。それに……なんか、あいつに聞くのはもやっとするっていうか」
「だからって、某に聞く話ではなかろう」
「おっさん、俺と同じで単細胞馬鹿っぽいじゃん? 似た人にアドバイス貰うのが1番かなって」
「単細胞馬鹿は否定せんが」
少しくらい言葉を選んでくれてもいいと思うのだ。身近な男の影響か、テオフィロの言葉も全くオブラートに包まれていない。
けれど、アンドレイナにさえ脳筋と言われているのに今更である。
馬鹿と呼ばれた事はすぱっと忘れ、問われた事の答えを考える。
けれど。
気の利いた答えが出てこない。
もう少しだけ頑張ってみたけれど、やはり、無理は無理だ。
「某にできるのは戦う事だけだ。だから、教えられるのは戦いしかない」
正直に答えた。
「昔、お主に、某の下で働かんかと言ったのを覚えているか?」
旧スイス領でテオフィロと会った時、彼には仕事の邪魔をされた。ある意味敵対していたのだけれど、根性に光るものを感じて勧誘してみたのだ。
「あー。そんな事、言われたような、言われてないような」
「言ったのだ。だが、すぐにというのは無理だろう。とりあえず、教理省の訓練にでも出てきてみるか?」
「訓練って、ジョエレが毎朝文句言いながら行ってるアレ?」
「文句なぞ言ってるのかあいつは。けしからんが多分それだ」
ジョエレに今度会ったら説教だなと思いつつ拳を握る。それを軽くテオフィロの方に突き出した。
「喧嘩しかできぬ馬鹿でも、極めればどうにかなる事もある。それに、教皇庁では普段と違うあやつも見れて面白いかもしれぬぞ」
「ジョエレって、嘲笑するか、調子こきながら銃ぶっ放す以外ってあんの? オペラ座ではちょっと違ったけどさ」
「それは自分で確かめてみるのだな。来る気なら、長官に某から話をしておこう」
少し迷っていたようだがテオフィロが頷いた。
バルトロメオも頷く。
自分達のような人間は、どう逆立ちしても悩むのに向いていない。困った時には身体を動かして、その中で何かを悟るのが1番だ。




