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堕ちた枢機卿は復讐の夢をみる  作者: 夕立
Ⅷ.払われし代償が導く

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8-7 不協和音

 一月後。

 ジョエレが再びオルシーニにやってきた。

 宣言通りルチアは屋敷を追い出され、彼と暮らすしかなくなる。


「おまえ名前は?」

「ルチア。あんたは?」

「ジョエレ」


 最初に交わした言葉がそれで、家に着くまで会話が無かったのだから、今となっては笑える。

 あのお喋りな男がよく黙っていられたものだ。

 思い返してみれば、出会った頃のジョエレは、そう口数が多い方ではなかった気がする。


「ここがお前の部屋。最低限は揃えておいたけど、気に入らなかったり足りない物は自分でどうにかしてくれ。部屋が狭いって苦情は受け付けないから言うなよ」


 新居に着き、2階の1室を見せながらジョエレが言った。

 ルチアの部屋と与えられたそこには本当に最低限の物しかなかった。クローゼットは造り付けで、加えた物といえばベッドくらいなのではなかろうか。後は照明とカーテン。


 それでも特に不満はなかった。

 部屋は確かに狭い。けれど、それは、実家やオルシーニでの部屋と比べればであって、一般的な家庭ではこんなものだということくらいは心得ている。

 どうせルチアの荷物など大してない。

 これくらいの広さの方が身の丈に合っている様にも思えた。


「で。一緒に住む以上、家事を分担しようと思うんだが。お前はどうしたい?」


 部屋の確認も終わり、階段を下りつつジョエレが尋ねてきた。


「どうって、どういうこと?」

「飯当番とかどうするかってことだよ。別々でもいいし、当番制にしてどっちかが作ってもいいし」

「あー……」


 答えに窮してルチアは言葉に詰まった。

 家事なんてしたことない。そもそも、家事が何を指すのかもよく分かっていない。

 だから、やってくれる人がいないと困る。


「人を雇えばいいんじゃない?」


 なので、一番妥当そうな答えを返しておいた。

 けれど、ジョエレは呆れ顔で振り返って、


「それ、本気で言ってんのか?」


 と、返してきた。


「本気だけど。そうすればあんたも家事しなくてすんで楽でしょ?」

「じゃぁだ。お前、仕事は何してんの?」

「してない」

「……」


 少し黙られた。


「今までしていた仕事は?」

「働いた事なんてないし」


 今度の彼は壁に肩をぶつけ、ついでに頭もぶつけた。再び動き出したかと思ったら、


「なんでこれを俺に預けようと思ったんだ、あいつ」


 とかなんとかぶつぶつ言っている。そのセリフ、こっちだって言ってやりたい。なんでこんな男に預けられたのかと。

 終始仏頂面だし、ルチアの扱いは雑で優しくない。せめてダンテみたいに明るい人だったら、まだ、幾分かは楽だったのにと思う。


 1階に着くとジョエレが立ち止まり振り返った。そうして、


「働かざる者食うべからず。家事は全部お前の担当な」


 むすっと言ってくる。


「勝手になんなの!?」

「うるせえよ。一般家庭に使用人なんて置けねえし、決定は決定だ。絶対変えんぞ」

「そんなの出来るわけが――」

「出来ねぇよなぁ」


 はぁ、と、彼は深々と溜め息をついた。そうして玄関を指す。


「しばらくは俺がやってやるよ。とりあえず食材買いに行かんとならねぇから、お前もついて来い」


 全部勝手に決めて動き出してしまった。

 不服ではあったけれど、ルチアが何も出来ないのは事実だったので、大人しく従う。


 青空市場メルカートで食材を、本屋で基本の料理本を買って家に帰った。帰り着いた早々料理本がルチアに押し付けられ、勉強しろと言い渡される。

 その口で、


「じゃ、今から晩飯の用意すっから。お前助手な」


 なんて言われたものだから堪らない。


「今、これ読んで勉強しろって言ったばかりじゃない!」

「んなもん暇な時にやるに決まってんだろ。やらなきゃ覚えねぇんだから、やるんだよ」


 言いながら、ジョエレは買ってきた物を手早く収納していく。そうして、出しっ放しだった玉レタスを投げてきた。


「何これ?」

「サラダ作るから、それを洗うのがとりあえずのお前の仕事」


 言い渡した彼は他の食材を洗って切ってサラダボウルに放り込んでいく。

 一方で、手の中のレタスをルチアは睨んだ。


「これ、洗うってどうするの?」

「そこからかよ」


 呆れ顔のジョエレが包丁を置き、「かしてみろ」と、ルチアの手からレタスを引き取る。そうして、2人分の量はこれくらい、とか、外側から剥いて洗うとか、細々(こまごま)とやり方を教えてくれたのだった。



 ◇


 ジョエレという男は愛想は無いし態度も悪いが、冷たい人間ではないのだと思う。

 愚痴は言いながらも家事一通りをルチアに教えてくれたし、危ないと言って、包丁を持たせたり火を使わせてくれるのは遅かった。


 極めつけは、初めてルチアが1人で料理を作った時だ。

 ひと口食べたジョエレの眉間に深々と皺が刻まれた。作った本人でさえ、あまりの不味さに半分しか食べられなかった品を出してしまったから。

 なのに、ジョエレは何も言わずに完食してくれた。

 かなりの苦行だったと思う。


(駄目だなぁ、あたし)


 食事を終えたルチアはリビングのソファでひっそり膝を抱えていた。テレビを見ている振りをしながら駄目な自分に凹む。

 作ったのは基本の料理本に載っているくらい簡単なものだったはずなのに、それすら満足にできない。


 そんなルチアの前にジョエレがマグカップを置いた。その後は、自分のマグカップ片手にソファで新聞を読み始めている。

 白い液体を満たされたマグカップ。なぜそれが出されたのか分からなくて、ルチアは尋ねた。


「何これ?」

「口直し」


 にべもない言葉にぐっと拳を握りこんだ。けれど、作ったのが産業廃棄物並の何かだったのは確かだ。

 口から出そうだった言い訳を堪え、代わりに口直しとやらを飲んでみる。


「あ……」


 途端に、ほっと息が漏れた。

 ジョエレの態度も言葉も酷いのに、与えられた飲み物だけはどこまでも優しい。ただのホットミルクかと思いきや、仄かに甘くて飲みやすいぬるさだ。

 失敗を気にするなと慰めてくれている気がした。

 作った本人は何も言わないので、都合の良い勝手な解釈なのだけれど。




 それから何度も失敗し、それでも、これぞ! という物が作れた日。


「美味くできてるじゃねぇか」


 料理を食べながらジョエレが褒めてくれた。それに、今まで仏頂面しか見せなかった彼の顔が柔らかく笑っている。

 その表情にルチアは驚いてしまい目を瞬かせた。その間にもジョエレはどんどん料理を食べてくれて、それが嬉しくてルチアも微笑む。


「お前も早く食わねぇと冷めて不味くなるぞ」


 珍しく笑顔を向けたジョエレが、目が合ったとたん表情を曇らせた。そんな気がした。のだが、次の瞬間には普通の顔に戻っている。

 気のせいだったかなと、その時は思った。




 ルチア1人で色々できるようになってからも、手が空いている時はジョエレも一緒に買い物に行ってくれる。

 その時にそれとなく彼を観察して、1つの特徴に気付いた。

 笑っていても突然表情が陰る時がある。それもほんの一瞬だ。多分無意識で、本人も気付いてないのではなかろうか。


 金髪に緑の目をした若い娘を見ると彼の表情が曇る。いつもではない。ほんのたまに、ではあるのだ。


(昔酷い振られ方でもしたのかな)


 鏡に写る自分にルチアは問いかけた。金髪に緑の目をした自分の顔。

 最初よりは打ち解けてきたけれど、ジョエレが距離を縮めてくれない原因はこれにあるのではないかと思えた。


 ルチアが歩み寄ろうとしていない部分も多分にある。そうは言っても、捻くれている性格は簡単に矯正できない。それなら、手っ取り早く潰せる原因から除く方が楽だ。


「髪を黒に変えると、雰囲気ずいぶん変わりそうですよね」


 美容師がたわいない話をしながら染色液を髪に塗っていく。

 染髪を終えると眼鏡屋に行き、黒のカラーコンタクトを買って、その場でつけさせてもらって家に帰った。


「ただいま〜」

「おー。早かったな」


 リビングで雑誌を読んでいたジョエレが顔を上げる。その姿勢のまま固まった。


「お前、その髪」


 とか言いながら、口をあんぐりさせている。


「気分を変えてみたんだ。悪くないでしょ?」


 見てみなさいよと、ルチアはくるんと回る。

 色を変えたのはジョエレのためだけではない。

 古い知人から気付かれ難くしたかったのと、これまでの自分から変わりたかったのだ。

 そんな簡単にいかないのは分かっている。

 でも、どうしようもない自分から変わるのは、今がチャンスだと思えた。

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