7-32 支える手
アンドレイナが鞭を打ち付けた部分から、前方に向けて大電流が走った。地下水を伝って地中に入り込んだ電流が、岩盤の結びつきを強引に解いていく。
結果、地が割れた。
ここは狭い登山道だ。
片側は奇岩の聳え立つ絶壁。もう片側は深い崖。
そんな場所の地面が割れれば、土砂は崖に向けて一気に流れる。
岩も木立も雪も人も。等しく全てが空中へ投げ出されていく。
「何をしている、早く無事な場所に走――」
悲鳴が終わらぬうちにクラウディオも崩落に巻き込まれ、崖下へと落ちていった。
修道院へ向かうための道は塞いだ。
指揮官と大量の兵を失った残兵では、迂回路を見つけたり作る気力は湧かないだろう。これで、ジョエレの指定してきた期日まで槍を守れるはずだ。
最初からこうすれば被害を出さずに済んだだろうけれど、援軍が登ってくるかもと考えていた間は決断できなかった。
それでも、ここまで粘ったからこそクラウディオを引っ張り出せたのだと思えば、決して多すぎる被害ではない。
(あなた達の命、有意義に使わせてもらいましたよ)
笑みを浮かべながらアンドレイナは地に膝をつく。
それで気付いた。
〈神の鞭〉の余波が足元にまで及んできていた。ひとまずやるべきは離脱だ。
なのに身体に力が入らない。立ち上がれすらしなかった。
(余力を根こそぎ持っていかれましたか)
励起状態を解除してみたが、体力が戻るわけではない。
――そうしてついに足場が割れた。
「ヴァチカンに帰って、デートしなければならないんでしたか」
連鎖崩壊に巻き込まれながら鞭をしならせる。
上手いこと何かに巻きついてくれないかと。
足掻きもせず諦めたら、ジョエレに怒られそうだったから。
結果、襲ってきたのは何も掴めなかった浮遊感。
――と、ちょっとした衝撃と、上方向へ腕を引く感覚だった。
「隊長なに諦めてるんすか! 踏ん張りどころですよ!」
馬鹿なと思って上を向くと、アンドレイナの腕をアルドが掴んでいた。半分ずり落ちかけている彼の身体は、また他の部下が押さえている。
鞭をたぐって他の部下も顔を見せた。
「あなた達、なぜ?」
茫然と、アンドレイナの口からそんな言葉が漏れた。
「隊長だけ残して行けるわけがないじゃないっすか! 比較的元気な奴だけ引き返してきたんですよ!」
気合の入った声を上げながら、彼らがアンドレイナの身体を引き上げる。
その時、アンドレイナのポケットから小さな塊がこぼれ出、崖下へと落ちていった。
あれは、バルセロナに着いた初日にジョエレと食べたパンに入っていた陶器の人形だ。今年1年幸運を運んでくれるという物なので、お守り代わりにポケットに忍ばせていた。
(役目を終えて去っていきましたか)
そんな気がした。
これまでの幸運はあの人形が運んできてくれたのかもしれない。けれど、もたらされた幸運は大き過ぎた。だから、力を使い切って早々に失われた。
随分と乙女チックな解釈だが、そちらの方がなんか素敵だ。
「隊長歩け……そうにないですね」
雪上に投げ出されたままのアンドレイナをアルドが背負う。他の部下は《女王の鞭》を束ねてベルトに吊るしてくれた。
「戻ってくるなんて命令違反ですよ」
情けなくおぶわれながらアンドレイナは呟く。
「絶対そう言われると思ったんですよね。だから、隊長が本格的にピンチになるまで隠れてたんですよ。余力があると、隊長、自分達に気を使いそうだったし」
「助けに来たのに守られてちゃ格好悪いっすからね〜」
そんな事を言いながら部下達が笑う。
「隊長、もっと俺らを頼ってくださいよ。そりゃ、俺らは参謀ほどは頼りにならないでしょうけど、あなたの盾になったり、こうやって背負ったりくらいはできるんですから」
「そんなことは――」
「気付いてないんですか? 参謀がいる時は穏やかにしてたのに、1人になってから、超肩肘張ってたじゃないですか」
そう見えるのだろうか。いや、そうなのだろう。だから指摘されているのだろうし。
「あなた達にそんな事を言われるようでは、私もまだまだですね」
アルドの背の上で、アンドレイナはふっと微笑んだ。
「実力は足りない、あなた達との信頼の築き方も弱い。だから命令違反者も出させてしまった」
「え? あ、いや、あのですね?」
アルドの声が大いに狼狽えている。そんな彼の後頭部に、アンドレイナは自分の頭をこつんと当てた。
「ヴァチカンに戻ったら懲罰で戦闘訓練ですね。私も規則違反していますから、一緒に」
クラウディオの言葉ではないが、自分はまだ小娘なのだ。なのに、周囲の先輩達と同じくあらねばならぬと、ずっと背伸びをしていた。
ジョエレについ甘えてしまったのは、彼が教理省の人間でないから、弱音が言いやすかったのかもしれない。
足りないものがあるのなら、それを認め、周囲に補ってもらえばいい。幸いアンドレイナにはこうして手を差し伸べてくれる部下達がいる。
彼らと共に精進すれば、いつかは幾分ましな人間になれるだろう。
「不服ですか?」
「いや。むしろ望むところですよ。なら、尚更ヴァチカンに戻らないといけませんね」
アルドは嬉しそうに言うとアンドレイナを背負い直した。
背で揺られるだけの立場ながら、アンドレイナは呑気にこれからの進路を告げる。
「司教達と合流したら全力でピレネー越えです。それも結構な訓練になりそうですね」
「は!? ピレネー山脈超えるんですか!? 徒歩で?」
屈強な男達が明らかに動揺した。
気持ちは分かる。
元気な時ならともかく、こんなボロボロの状態で、満足な装備も無く冬山縦断だなんて、アンドレイナだってしたくない。
「乗り物はありませんしね。民間人が歩きなんですから、我々だけ贅沢も言えませんし」
「というか、なんでピレネー山脈なんです?」
「ジョエレがそう言っていたので。従っておけば間違いはないでしょう」
イベリア半島が沈む事は言えない。
そう言っておけば誰も反論できないと思ったので、ジョエレに責任をなすりつけておいた。ちょっとした責任転嫁ではあるが、この程度で彼は怒らないだろう。
「参謀っていえば、あの人なんであんな色々知ってるし、できるんですかねぇ」
思い出したようにアルドが言った。
「さぁ? 彼は本来オルシーニ卿の私的な駒なので、私にもそこまでは」
言われてみればその通りだ。
ジョエレ・アイマーロ、彼は何者なのだろうか。ヴァチカンに戻ったら、素性を洗いなおしてみてもいいかもしれない。




