7-31 生きてこそ 後編
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言いつけ通り、司教達は陽が昇る前に修道院を発った。
動く行為自体が酷な者もいたが、生き残れる可能性に賭けるか、誰かに看取られる方が幸せだろう。
それすらも厳しい者達数人は打ち捨てるしかなかったが、こればかりは仕方ない。
「大丈夫。ここに敵は踏み込ませません。あなた達は安心して眠りなさい」
優しく言いアンドレイナは修道院を出た。登山道へ行き、哨戒に当たっていた者達も逃す。自らは敵を迎えるために登山道の真ん中に立った。
1人になったので、電磁フィールドは己を囲める範囲だけでいい。消耗を抑えるために励起段階を10パーセントまで落とした。
幸いにも昨夜は夜間襲撃が無かった。
こちらの消耗にあちらも気付いていて、今日一気に押し切るために兵を休ませたのかもしれない。それとも、援軍の相手に手一杯だったのか。
何にせよついていた。
部下達もそこそこ休憩が取れて、多少は体力が回復しただろう。
凍てつく真冬の夜が明ける。
陽が昇ると降り積もっていた雪に光が反射した。微かに降りくる粉雪もきらきら煌めいてとても綺麗だ。戦いに追われていて、景色さえ今まで見えていなかった。
最後にこんなにも心穏やかな時間を与えられた事こそ、神の祝福かもしれない。
ゆっくりと太陽の高度が上がり、気温も上がって身体が温まってきた頃。イベリア軍が現れた。
敵にも負傷者は多い。人数だって、最初遭遇した時よりかなり減った。
それでも、こちらよりずっと元気であった。
数の暴力。その言葉の意味を痛感させられる。
「なんだ。今日はついに貴様1人だけか?」
敵の誰かが言ってきた。アンドレイナは答えない。ただ、相手がこちらの間合いに入ってくるのをじっと待つ。
「何とか言えよ糞女! 許して下さいって土下座して俺達の言う通りにするなら、お前だけは助けてやってもいいんだぜ?」
下品な笑いを上げながら彼らは近付いてくる。ここにいるのがアンドレイナ1人だからか、全体的に油断ぎみだ。
(初日に私1人に掻き回された事は、もう忘れましたか)
めでたい頭だと思いながら鞭を握り直した。励起段階は20パーセントまで上げる。
敵の最前列が間合いに入った。
アンドレイナは即座に敵集団の懐に飛び込み、周囲を鞭で凪ぐ。
「あなた方の相手など私だけで十分だから1人なのですよ。さぁ、もう話は不要でしょう。戦いは始まっているのですから」
相手が立て直す前に出来る限り踏み込みなぎ倒した。横を抜かれそうになったら周囲に電流を放出して感電させる。
なるべく小技で、消耗を抑えながら敵を削っていく。
(大技で一気に削りたいところですが……。やはり、指揮官クラスが見えるまでは控える方が賢明でしょうね)
力の分配を誤ってはならない。
1人だからこそ、大物が出てきた時に、確実に仕止められるだけの体力を残しておくなどといった細かな調整が重要になってくる。
(少し、引いてみますか)
不利を装ってじわじわと後退してみた。
これで敵が調子付いて指揮官が突撃指示でもだしてくれれば、声が聞こえた場所や兵の動きで指揮官の居場所を特定できるかもしれない。
後退を続け、これ以上さがるわけにはいかないラインまで来てしまった。
これ以上は待てない。攻勢に出なければ任務失敗に直結する。突撃命令が出そうな気配がないので、アンドレイナは諦めて反撃に移ろうとした。
そこに、
「《十三使徒》といっても弱いものだな。こんな若い女を就かせるからいかんのだ。レオナルドの奴は何も分かっていない」
マドリード王宮で聞いた嫌な声が聞こえた。
目を向けてみると、クラウディオが大儀そうにこちらを見下ろしている。兵達に担がせているのか、彼の姿があるのは頭一つ分高い所だ。そこから、蛇のようにアンドレイナを睨みつけてきている。
いつぞやは気迫に負けそうになった目だ。
けれど、今はそうではない。
背は、ジョエレが支えてくれている。アンドレイナを信じてここの守備を任せてくれた。
後ろには守らなければならない者達もいるのだ。彼らのためにも強くあらねばならない。
泣いて求めれば叶う願いなんてない。
本当に欲しいものは全力で勝ち取るのみだ。
「そんな見識の狭い事を仰っているから、あなたはご子息に負けたのですよ」
クラウディオを挑発するようにアンドレイナは嗤った。
今さら不利を演じる必要はないので、目の前の兵をなぎ倒しながら前に出る。
ついている。
クラウディオの首まで取れるとは思っていなかったのに、むざむざ彼の方から出てきてくれた。最後の一仕事として、彼の抹殺以上に相応しいものがあろうか。
誰よりも高い所にいるクラウディオ。
その場所は皆を見下ろせて、さぞ気持ち良いだろう。
けれど、気付いているのだろうか。狙われやすい場所でもあるのだと。
(さすがにそれくらいは分かっているでしょうが)
それでも姿を見せたのは、銃が使えないという先入観があるからだろう。
電磁フィールドを切って銃撃してもいい。アンドレイナだって銃は持っている。
けれど、構える段階で気付かれて避けられる可能性が高い気がして、それは止めた。
折角の機会を無駄にしてはいけない。やるならば確実に仕止めるべきだ。
とりあえずクラウディオまでの道を切り開くため、《女王の鞭》を握り直し、振るう。
「ある人が言っていました。あなたは癌だと」
初期の段階で取り除かなければ癌細胞は際限なく増殖し、最後には宿主を殺す。
クラウディオという男はまさしくそれだ。
教皇庁内で権力を握り富み肥え、左遷された――病に例えるなら転移先というのだろうか、そこでも勢力を広げ、挙げ句の果てにこの地は沈もうとしている。
「あなたをのさばらせていた方々が悪くなかったとは言いません。ですから、せめて、尻拭いは後輩の私がしましょう」
これ以上彼の毒牙にかかる者を増やしてはならない。そんなことにならぬよう、彼にはこの大地と共に消えてもらうべきだ。
だというのに、だんだんと雑兵がしぶとくなってきて、アンドレイナは違和感を覚えた。
(ダメージの入りが悪いですね)
クラウディオに近付くにつれて傾向は顕著になっていく。《女王の鞭》で打ち据えれば感電するはずなのに、普通に立っている者が増えてきた。
怪訝に思いながらも鞭を振るい続けると、やたらとしぶとかった兵の軍服が破れた。
そこから見えているのは、一般的な耐刃弾繊維のインナーとは質感が違う布地だ。
「ゴム……ですか」
ゴムは電気を通さない。
クラウディオは腐っても前教理省長官。聖遺物の特性も知っていて、対応策を考えていたのだろう。
「電流さえ無効化してしまえば、《女王の鞭》は少し強力なだけの鞭だ。小娘などに負ける私ではないぞ」
勝ち誇ったように彼が笑った。そうして、周囲に前進と指示を飛ばしている。このまま一気にかたをつけるつもりのようだ。
「私はあなたの事はよく存じていませんが」
向かってくる兵達をアンドレイナは鞭の柄で殴りつけた。
「以前、チヴィタ・ディ・バニョレージョで快勝していたのに、突然敵の手に落ちた事があったそうですね?」
アンドレイナが入庁したとき教理省の長官はクラウディオだった。けれど、彼が興味を示すのは大きな権力を持つ者だけで、彼女にはなんの接点も無かった。
レオナルドがクラウディオを追い出した時でさえ、アンドレイナの認識としては他人事だ。上が変わろうと、自分の仕事には関係ないと思っていたから。
どこまでも興味のない男だったけれど、使徒ジュダが騒動を起こしたとき事件に連なる過去を調べた。お陰で少しだけ知識がある。
「それがどうした? お前も私を人質にでもしてみせるのか?」
「いいえ。人質になど意味はありませんから、そんな事はしません」
ただ――、と、アンドレイナは息を吐く。
「目の前の餌を我慢できずに考えなしに食いつくから、身を滅ぼすのですよ」
鞭の励起段階を一気に50パーセントまで上げた。重くなり過ぎた負荷に気持ちが悪くなったけれど、堪えて前を睨む。
この状態でクラウディオを仕止めるには、励起段階50パーセント以降から解放されてくる技が必要なのだ。大望のためになら規則などいくらでも破ろう。
「馬鹿が! 励起段階を上げたところで我々に電流は――」
「融通の利かなさと、物事の表面しか見ない事もあなたの欠点ですね」
アンドレイナは修道院側に少し退き、敵集団を見据えた。そうして地面めがけて鞭を振り下ろす。
「さようならバレンシア大司教。喰らいなさい、〈神の鞭〉!!」




