7-29 モンセラートの攻防 伝令
防衛を始めて3日目。
陽が落ち始めて視界が最も悪い時間帯にダンテがやってきた。
「ジョエレってば、ちょっと伝言とか軽く言ってくれたけど、危うく死ぬかと思ったんだけど!?」
顔を合わせたアンドレイナが聞いた第一声はそれだった。
その日の攻防も終わり、ゆっくりはできるのだが、話すだけだと時間がもったいない。食事をとりながら相手した。
パンとシチューにハムやチーズといった簡単なものだが、食べられるだけでもありがたい。ダンテも腹が減っていたのか、喋るより、口の中に物を詰め込む方を優先させているように見える。
「それでジョエレは何と?」
「10日後に撤収ですって。えーと、今日って、言われてから5日目だったかしら? ってことは、あと5日? あ、でね、それ以上は絶対に粘るなって」
「あと5日ですか」
槍を抜くという最悪の事態だけは回避できたらしい。あと5日防衛するのも決して楽ではないが、終わりが見えただけでも心理的負担は減る。
心配事がいくつか解消されて、アンドレイナは胸をなでおろした。
「分かりました。あと5日、《十三使徒》の名誉にかけて守りましょう」
「よろしくね。あ、で、ねぇ、アンドレイナさん。今晩だけここで寝ていっていいかしら? 久々に落ち着いた所で寝たいのよね」
「構いませんよ」
安全は保障できないけれど。
それでもダンテは諸手を挙げて喜んでいた。
「それで、あなたはジョエレのもとに戻るんですか?」
尋ねてみると、彼は「ないない」と手を振る。
「ヴァチカンに撤収よ。ジョエレの荷物持って帰れって言われてるし。それに、あの人ってばジブラルタルに行くって言ってたから、こっちと真逆じゃない? あんな所まで戻ってこいって言われてたら涙がちょちょぎれるわ」
「ジブラルタルに向かったんですか? あの状態から?」
「じゃない? 槍を戻せば時間を稼げるとかなんとか言ってた気がするけど。何が起きてるのか説明しないで仕事だけ押し付けてくれるもんだから、凄いもやもやするのよね」
(起きてる事の詳細を教えられていない?)
ジョエレらしくない行動に引っかかりを覚えた。
アンドレイナやフアナにさえ、必要と判断すれば彼は情報を開示していた。彼と近しく動いていたダンテなら、情報を与えられている方が自然なはずだ。
その方がダンテは状況に応じて動いてくれて、ジョエレ自身の負担は減るだろう。
ジョエレがそのような行動をとった理由を考え、
(心配をかけたくなかったのでしょうか?)
ダンテを眺めていてそう思った。
大地崩壊が始まっている状態でジブラルタルに行くなど、ある意味自殺行為だ。下手をすれば避難が間に合わず、自身が命を落とすはめになる。
なのに、目の前の青年に、そのことを心配している様子は見られない。ジョエレに対する信頼も大きいのだろうが、知らないがゆえの態度の方が割合は多く感じられる。
「確かに彼は隠し事だらけですね」
だから、アンドレイナも詳細を伏せた。
「ちょっと待っていてもらえますか? ヴァチカンに戻るついでに頼みたい仕事があります」
自室に行きバスの鍵を取る。それを持って食堂に戻りダンテに渡した。鍵を見る彼は不思議そうな顔をしている。
「えーと、車の鍵?」
「私達が乗ってきたバスの鍵です。あなた、運転は?」
「ジョエレに教えてもらってるけど、バスは知らないっていうか」
「それなら大丈夫です。私もバスは初めてでしたが、オートマだったので何とかなりました。勘でいけます」
「……なんか、運転してけって言われそうな」
何か感じるものがあったのか、ダンテがバスの鍵を机に置こうとした。
アンドレイナはその手に自らの手を重ね行動を阻止し、にこりと笑いかける。
「正解です。山の麓の駅に停めてあるバスに私達の荷が乗っているんです。ジョエレの荷物ついでに持って帰ってもらえると、買い込んだ品が無駄にならず助かります。撤収する時に、あそこに戻れるとは限りませんから」
「なんでワタシの周りって、無茶苦茶言ってくる人種ばっかりなのかしら」
ダンテががっくりと肩を落とした。けれど、文句を言いながらも、鍵は受け取ってくれたまま去っていく。
不思議と、その態度にジョエレの影がチラついた。
行動が似るほど、普段からジョエレの近くにいるのかもしれない。
「よー、ダンテ。来てたなら挨拶くらいしてけよ」
「あら。もじゃ髭アルドさんこんばんは」
「髭は余計だ。参謀みたいに呼ぶんじゃねーよ。てか、おめぇも生えるだろ!」
途中でアルド達に絡まれていた。憎まれ口をたたきながら、すぐに周囲に溶け込むあたりもそっくりだ。
あの様子なら寝床の世話までしてもらえるだろう。
しなければならない仕事は終わった。自室に引き上げようとアンドレイナも席を立つ。その時、
「あ。忘れてた」
ダンテが間抜け声を上げた。
アンドレイナが振り向くと、彼はこちらに来て折り畳んだ紙を渡してくる。
「これ、ジョエレから。うっかり渡し忘れたら殺されるところだったわ」
にっこり笑った彼は不穏な事を言ってアルド達のもとに戻った。
渡された紙をアンドレイナが開いてみると、性格に似合わず綺麗な文字が綴られている。
「ジョエレが、全員生きて帰れと言ってきましたよ」
紙を折り畳みなおしながら、書かれていた内容を部下達に伝えた。
一瞬広間が静かになる。けれど、次の瞬間には、
「そんなの当然だろうがよ!」
豪快に笑いながらアルド達がダンテを叩いた。
仲良さそうに騒いでいる様子を見ながらアンドレイナは苦笑する。
そんなの誰だって望んでいる。人的被害が出ないように最大の努力は払っているつもりだ。
けれど、犠牲を恐れていては仕事にならないのも事実。
今、1人の修道士が生死の境を彷徨っている。まともな治療もできない今の状況ではおそらく助からない。
全員に疲労と怪我は蓄積していっている。日を重ねるごとに犠牲は増えるだろう。
アルド達にしてもそれは分かっているはずだ。
それを隠してあの態度をとっているのは、強がりと、ささやかなプライドだろうか。
「ジョエレと連絡が取れるのなら善処すると伝えてください。ですから、あなたも無事に私達の荷を持ち帰ってくださいね」
無理だとは分かっていたが、建前だけでも承諾し、アンドレイナは食堂を去った。
自室のベッドに寝転がり天井を見上げる。
(周囲の生存率を上げようと手は打ってくれているようですが、自分用の保険もかけているんですかね)
5日前に別れた男を思い出しながら問いかけた。
全員生存なんて言って寄越したのは、きっと、無益な突撃を抑制するためだ。
生き残れと言われれば、そのために努力せざるをえないから。ヴァチカンに帰ってジョエレに「なめんな!」と言うには、生き残るしかないから。
(こんな事まで書いて寄越して。私に興味なんて欠片も無いくせに)
ジョエレからのメモを開いて綴られている文章を追った。
全員生きて帰れ
そんで、ヴァチカンで再会した時に心置きなくデートしよう
後ろの、明らかにアンドレイナ用の1文。言葉のままの意味ではないだろう。
この集団の中でアンドレイナの心が一番脆いから。それを嗅ぎ取って、わざわざ文字を割いたのかもしれない。
こちらに来てからジョエレには弱いところばかり見られている。それを考えれば心配されるのも当然……なのだろうか。
嬉しいような、情けないような。複雑な気持ちでメモを折り畳む。手の中に握りこみ、そっと額に当てた。
(ダンテにも仕事を増やしておきました。あれだけの人数の物を頼めば、間違って戻ってくることはないでしょう)
読み間違えていなければ、ジョエレはダンテを極力安全に逃がしたかったに違いない。
荷物など、緊急時には捨て置いても仕方のないものだ。それを持ち帰るのが仕事だなんて、ふざけているとしか思えない。
けれど、人手が足りなくて、彼にも伝令をさせるしかなかった。
そんなところだろうか。
本当は、ダンテが来たら戦力に組み込もうと思っていた。
けれど、先に別の仕事を入れ込まれている上に思惑が見え隠れしていたら、そんな事できやしない。
あとの頼みの綱はヴァチカンからの増援だが、彼らがいつ来るのか不明なのが痛い。ダンテから話題が出なかったので、近くにはいないのだろう。かといってヴァチカン経由で動向を知ろうにも、電話線は戦闘2日目に切られた。
それに、登山道をクラウディオが押さえている以上、そこを飛び越えて援軍が修道院に来るなんてありえない。
援軍が来ようが来まいが、こちらはこちらで乗り切るしかない。
「あと5日、きついな……」
弱音は部下に吐けない。
だから、自分1人の今のうちに呟いておいた。
――今晩は胸が疼く。




