7-21 崩壊へのカウントダウン Parte3
「フアナ。レジスタンスの連中に隣の部屋の奴ら縛らせといてくれ。暴れられると面倒だから、厳重にぐるぐる巻きにな」
「うん」
「あと、俺は書庫に移る。途中でダンテに会ったらそっちに来るよう言ってくれ。できれば、お前にもその時一緒に来て欲しいんだが」
「いいけど。ここ、誰も見張ってなくていいの?」
フアナが本棚を眺めた。
ジョエレはルクレツィアを指す。
「それはこいつにさせるさ。なんてったって、俺を軽くあしらえるくらい強えからな」
「え!? ルクレツィア、そんな強かったの?」
「どうかしら? エアハルトやユーキとまともにやり合える人より強いとは思えないけど」
ルクレツィアがゆったりと椅子に腰掛ける。直接言葉にはしていないけれど、見張りをしておいてくれるという意思表示なのだろう。
「王宮内はまだ衛兵が残っているかもしれない。外まで送ろう」
フアナを促し一旦外へ出た。
彼女を送り届けたジョエレは書庫に行き、イベリア半島の載っている地図を探す。
地層などの記されている学術的な物が多いが、今欲しいのはそれではない。ドライブで使うような道路情報が詳しく書かれた物。それも、できれば新しい物が良い。
一般人が車を持たないので、本屋でもそういった地図はほとんど並ばない。
けれど、この王宮は議会所有の施設だ。それも、他地域からの客を招待するような場所。
そんな施設の書庫には、その地域を紹介するような資料が収められていることが多い。道路地図もあっていいはずだ。
「おー、あったあった」
ようやく見つけ出した地図を持って椅子に座った。
百年ほど前の地図だが、そう問題はない。
道路は補修されるだけで増えはしないのだ。交通量が少なすぎて自然消滅している道が怖いが、幹線道路ならその確率も低いだろう。
(つっても、地盤沈下やら何やらで、何本か潰れてるんだろうな)
マドリードからジブラルタルまで、本命のルートと、周囲の道もいくつか頭に入れておく。合わせて水素ステーションの場所も覚えておいた。
途中で思いついたことがあり、不要そうなページを破って文字を綴る。折りたたんでポケットに入れておいた。
そうこうしていると、
「ジョエレ〜。旧フランス領側に難民キャンプ作るらしいわよ。細かい判断はこっちに任すって。あ、折り返し連絡しろって言ってたわ」
ダンテが戻ってきた。
地図を持ってジョエレは立ち上がる。
「分かった。んじゃダンテ、お前には次の仕事だ。俺の荷物を持ってヴァチカンに帰れ。途中でモンセラートの修道院に寄ってアンドレイナに伝言を頼みたいんだが、それで終わりだ。んで、帰り着いたら土産でも配っといてくれ。うちのガキ共と、お前んち用だから」
言いながら部屋の鍵を投げた。
「ジョエレも一緒じゃないの?」
受け取りながらダンテが言ってくる。
「俺はジブラルタルに行く。槍を戻せば時間稼ぎくらいはできるだろうからな」
「ワタシもついていった方が良くない?」
というか、ついてくるつもりのように青年が近寄ってきたので、ジョエレは槍の柄でダンテの胸を軽く突いた。
「駄目だ。今回お前を連れてきたのは少しでも外を見せるためだ。これ以上はリスクが大き過ぎる」
「でも」
諦め悪くダンテが言い寄ってくる。
「でももくそもない。これ以上俺を困らせるな」
青年の前からジョエレは槍をどかし、代わりに溜め息をついた。眉根を寄せてダンテを見やる。
「お前に何かあったら、俺はあいつにどんな顔で会えばいいんだ? それに、俺の荷にはお前の親父の遺品も入ってる。失くすわけにはいかないんだ。頼む、確実に持ち帰ってくれ」
頭を下げたふりをしてダンテの出方を観察する。
案の定、頭を下げた時点でダンテの足が止まった。そのままの姿勢でいると投げやりな声も聞こえてくる。
「あー! もう、分かったわよ。でも、1人で帰ったらステフになじられそうだから、戻ってきたら何かおごってよね」
「常識の範囲内の値段のものならな」
笑顔でジョエレは頭を上げた。渋面のダンテの近くへ行き、青年の手に先程走り書きした紙切れを握らせる。
「で、アンドレイナへの伝言なんだが、"今日から10日後に撤収"だ。絶対にそれ以上粘るなと釘を刺しておけ。あと、こいつを彼女に渡してくれ。お前は絶対に見るなよ」
真面目にそれだけ伝え青年の肩を押した。
ダンテは不服そうな顔をしていたけれど、文句は言わず去って行く。
そんな彼の後姿を見送りフアナがこちらへやってきた。ジョエレの持つ槍をじっと見つめ、
「槍を戻しには、本当は私が行くべきだよね」
言ってくる。
ロンギヌスを抜いたフェリペは彼女の兄だ。槍を守らねばならぬ身でありながら、愚行をしでかした身内を持つ負い目もあるのだろう。
責任を取ろうという気の持ちようは好ましいが、事態はそんなもので好転してくれない。
「そうだな。でも、お前にはもっと適任がある」
「え?」
ジョエレは窓辺に行き、引いたままのカーテンを少し開けて外を眺めた。
王宮周辺の空気は落ち着いてきているが、少し遠くへ目をやればたなびく煙が見える。レジスタンスとの抗争で荒れた部分もあるが、建物の倒壊といった大規模なものは地震によるものだ。
プレート境界にあるイタリア半島ならともかく、イベリア半島では普段地震など起きない。
不安に思っている者は多いはずだ。
詳しい理由を教えずに半島外への非難を促せば、人心はさらに荒れるだろう。
「教会を通じて避難勧告を出してもらうが、住民の間ではパニックが起きるだろうな。きっと、司祭や修道士達だけじゃ対応しきれない」
だから、と言葉を繋ぎながら、顔をフアナへと向ける。
「レジスタンスを地元に戻して避難誘導を手伝ってやって欲しい。半島が沈むなんてバラしたらパニックが拡大するから、そこは伏せてな。彼らにそれをお願いできるのはお前だけだろう?」
フアナが何度かまばたきし、ジョエレの横に並んだ。
「確かにそれは私にしかできないね」
「いい子だ。ただ、いいな? お前達も10日後にはイベリア半島から出ているようにしろ。で、避難民達がある程度落ち着いたら、お前達母娘はヴァチカンのオルシーニを訪ねればいい。面倒みてくれるよう話を通しておく」
「私達だけなの? それに、今回の騒動を起こしたのはそもそもうちの家なんだよ?」
「誰だって縁故があれば頼るもんだろ? お前達は仕事上の関係とはいえオルシーニと繋がりがあるんだ。持っているものは使え」
「でも」
彼女の表情が曇った。
複雑な気持ちは分からなくもない。
けれど、フェリペはフェリペ、フアナはフアナなのだ。愚兄のために、彼女の人生まで棒に振る必要はない。
「教皇庁と避難民との橋渡しとか、オルシーニにいる方が楽なこともあるだろうけどな。ま、行く行かないは自由だ」
「……うん。分かった」
フアナが静かに頷いた。
選択肢は与えた。何を選ぶのかは彼女の自由だ。
それからはフアナも黙って外を見ていたけれど、
「ね。ジョエレさんはジブラルタルまでどうやって行くつもり?」
こちらを見上げてきた。
ジョエレは持ったままだった道路地図を軽く叩く。
「車だな。議会所有の奴を借りてこうと思ってるんだが。だからダンテと一緒にお前も来てもらったわけで」
主に鍵の都合で。そこに聞きたくない言葉が聞こえてくる。
「公用車、大司教サマが全部持ってったわよ」
「……――。はぁっ!?」
間抜け声が出た。
声の方に顔を向けると、いつの間にやらルクレツィアまで部屋にいる。
彼女の行動を制限なんてできないから、それはどうでもいい。
それより、車は、公共交通機関が死んでいる今の状態で、ジブラルタルに素早く移動できる唯一の手段だ。それをあっさりと潰され、込み上げる怒りに、つい、ジョエレは壁を殴りつけた。
「あんの糞爺が!!」
分かってはいたが、自分の手の方が痛い。
横でフアナがおろおろとしていて、そんな彼女の肩にルクレツィアが後ろから手を回した。そうして、しゃらりと何かをぶらつかせる。
「まぁ落ち着いて。これ、なぁんだ?」
親指と中指で摘まれたそれは銀色の金属で、じゃらじゃらとキーホルダーがついている。
「鍵、だな」
それも車のだ。
ルクレツィアが笑った。彼女はキーホルダーの輪っかに人差し指を入れ、くるくる回しながら言う。
「こんな事もあろうかと思って、フェリペさんから失敬しておいたの。でもね、アタシ、運転できないのよね」
「鍵を寄越すだけでいいぞ」
むしろ寄越せとジョエレは手を出した。けれど彼女は鍵をくれず、勿体振るように見つめてくる。
「行きたい所があるの」
還幸会の人間と取引だなどまともではない。けれど、それしか手がないのも確かだ。
しばらく2人で視線を交わし合っていて……ジョエレが折れた。
「分かった。槍を戻した後で連れて行く。それでいいな?」
ルクレツィアの艶かしい唇の両端が上がる。
「物分りのいい人、好きよ」




