7-10 ボルボンの少女
随分と失礼な態度を取られているような気がするが、それよりも、突っ込みどころが多過ぎて反応に困る。
そんな槍など知らん、と、突っぱねればいいのか。
教皇庁の物に手を出すとはけしからん、と、怒ればいいのか。
お願いします返してください、と、へりくだればいいのか。
どうせ偽物だろうが、下手に動くと面倒臭くなりそうだ。
結論、ジョエレは無反応で顔をそらした。すると、顔を向けた先で何かが動いた気がする。
「何やら言っているようですが、どう思います?」
「さぁな。ハッタリじゃねぇの?」
席を立ちバルコニーの端に行く。少し身を乗り出してみると、物陰に隠れるように娘がいた。
地面から木箱を積み上げて、その上に乗った状態での、だが。
「こんな所で何してんだ?」
尋ねてみたら娘がこちらを向いた。
「ヴァチカンから偉い司祭様が来るって聞いたから、見てみたくて」
「ふぅん」
可愛らしい笑顔を見せた娘はセーターにハーフパンツといった格好で、随分と薄着だ。動きやすい格好だから木箱に登れたのだろうが、寒くないのだろうか。
軽い質感の黒髪をツインテールにした彼女の年齢は、見た感じ20代前半。興味だけでこんな向こう見ずな行動をとる年齢かと問われれば微妙なラインだ。
それに、
「見てみたいだけにしては物騒だな」
彼女が先程から後ろに隠そうとしている左手。微かにだが柄らしき物が見えた。果物ナイフか何か、そういった類の物を持っているのだろう。
ジョエレがナイフのありそうな場所を指すと、彼女は小さく舌を出す。
「ごめん、嘘ついちゃった。司祭様、ちょっと人質になってくれない?」
「あ?」
ぽかんとしているジョエレに娘がナイフを突き出してきた。
といっても、半分予想していた動きだ。ジョエレは難なく避け、逆に、娘の腕を締め上げナイフを叩き落とす。
「遊びでこんな物を持ち出すもんじゃねぇぞ?」
「遊びなんかじゃ!」
娘の叫び声と周囲で上がった悲鳴が重なった。
「ジョエレ、下が大変です!」
指摘され、ジョエレは娘を掴んだまま大通りへと視線を移す。
目出し帽を被った集団がフェリペの山車へと群がっていた。警官隊が駆け付けようとしているようだが、観客が邪魔で動けないでいる。
そうこうしている間に目出し帽の1人が山車を登り切った。
響く発砲音。
撃たれたのは山車を登りきった人物で、血に塗れて転げ落ちた。
それを皮切りに警官隊が発砲を始める。山車に張り付いている者達が撃ち落とされ始めた。
「良くありませんね。妨害します」
アンドレイナが服の隠しから《女王の鞭》を取り出す。
そのとき猛烈な横揺れがきた。
机の上から珈琲カップが滑り落ちる。バルコニーに置かれている鉢もバランスの悪い物が倒れた。
アンバランスな物の筆頭である娘が足場としている木箱だけ無事なはずがない。もちろん崩れ、つられるように彼女の身体が後ろに傾ぐ。
「危ねっ」
掴んだままだった彼女の腕をジョエレは引っ張りつつ、もう片方の手で手すりにつかまった。
大通りでは山車が倒れ、下敷きになった者がいたりと、元々混乱していた場所が更に混乱している。
(他の連中は?)
振り返ろうとしたら、それまでより強い揺れがきた。先程の揺れとは違う、縦方向の揺れだ。
バルコニーの手すりにしがみ付いて落ち着くのを待つ――つもりだったのだが、肝心の手すりの基部が崩れた。
「うぉ?」
掴んでいた娘の重みも手伝って、ジョエレの身体がバルコニーの外へ引っ張られる。残っている基盤部分にとっさに指を掛けたが、
(くそ、昨夜殴られた所が)
力を込めると痛み、そのまま2人揃って落下した。途中勢いを殺せたお陰か怪我は無い。
「あいたぁ〜。この揺れ何?」
一緒に落ちた娘も怪我は無さそうだ。ただ、動くのは怖いので、2人して揺れが収まるのをひたすら待つ。その間に、どこかで建物が倒壊したような音が聞こえた。
揺れがおさまってくると、
「おーい司教死んだかー?」
頭上から声が降ってくる。
アルドがバルコニーから見下ろしてきていた。
「勝手に殺すな! そっちの被害は?」
「こぼれた飲み物で服が汚れたりはしてるが、その程度だな」
「なら良かったな。その建物も壊れるかもしれんから、喫茶店の従業員も含めて外に――」
やり取りをしている途中でジョエレの腰に尖った物が当てられた。おそらくナイフ。上で取り上げたはずだが、まだ持っていたようだ。
「何のつもりだ?」
「人質になってって言ったよね?」
「こんな状態でも忘れないだなんて、意外と根性据わってんな」
「お褒めの言葉ありがとう。立ってもらっていい?」
とりあえず言われたままに立つ。
「そのまま後ろに下がって、そこの小道に入ろっか」
最低限だけ首を回すと、使節団がいる建物とその隣の建物の間に隙間が見えた。そこがどうなっているのかは見えない。
娘の仲間が潜んでいたりしたら、逃げるのが面倒になるかもしれない。
わざとゆっくり移動しながらそんな事を考えていると、
「おい、あそこにフアナ・デ・ボルボンがいるぞ!」
大通りの方から声が聞こえた。
途端に、警官達がこちらへ向かってきそうな動きを見せる。
「やばっ。ばれた」
娘が小声で慌てたので、フアナというのは彼女を指しているのだろう。
「追われてんの?」
「かなり熱烈にね。そういう訳だから急いでくれない?」
最初より強くナイフが突きつけられた。
(フアナ・デ・ボルボンねぇ)
少しだけ考え、ジョエレは身を捻り彼女の腕を逆に抑え込む。そのままバルコニーを見上げ叫んだ。
「俺今からさらわれてくるから、後は頼むぞベアトリス!」
言うだけ言って、フアナの腕を引き小道に入り込む。
「ねぇ、ちょっと! さらわれてくれるのはいいんだけど、何か違うくない!?」
「そうだぞ! いくらあんたでも自由過ぎるだろ!」
野太い声が後ろから追いかけてきた。追いついてきたアルドにジョエレは顔をしかめる。
「なんだ、ついて来ちまったのかよ」
「マザーが行けって言うからよ」
「あなた達、ヴァチカンの偉い司祭様御一行なんだよね? ガラ悪過ぎない!? てか本物?」
「さぁてな」
引っ張っていると動きにくいだけなので、フアナの腕を放した。空いた手に銃を持ち、狭い通路を追ってくる警官の足を撃ち抜く。
「司祭様って人に銃を向けたりするもの!?」
「やったのはそこの髭面だ。これから誰が怪我しても、犯人はこいつ」
アルドへと顎をしゃくったすぐ後に追手に発砲。先の追手が倒れている場所と同じ辺りで倒したので、いい感じに人垣ができた。
「自分が暴れた責任なすりつけてんじゃねーぞ糞神父!」
「押し付けられるだけなのが嫌なら仕事しろ!」
前へ向き直り弾を再装填。小道の出口ももうすぐだ。
「ここを抜けた後は?」
「右の方に走ると路地が入り組んでる区画に入るの。そこで追手を巻いて、イグレシア駅に」
「俺じゃ地理が分からんな。フアナ、お前が先頭だ。追手は俺達がどうにかする」
走る速度を落としフアナを先に行かせた。すれ違いざま、彼女が不思議そうにジョエレを見てくる。
「名前教えたっけ?」
「追手の誰かが呼んでたから、そうかな、ってな」
「ふーん。抜け目ないね司祭様」
後で名前教えてよね、と言い置いてフアナは前を向く。
路地を抜けてからは混乱して逃げ喚いている人々に紛れて進んだ。いくらか走った後は歩きに変え、何事もないように地下鉄の駅に降りる。
構内を少し歩き、人の姿がまばらな通路でフアナの歩みが遅くなった。そうして、誰もいなくなったタイミングで無骨な扉に入る。
扉を閉じきる直前に、
「ちょっと待って! 待ってぇ〜!」
声を押し殺しながらダンテが滑り込んできた。
突然の乱入者にフアナがナイフを構える。
「あなた誰!?」
小声で尋ねながらナイフを突き出しかけたので、その手をジョエレは掴んだ。
「知り合いだ」
「俺も一応知り合いだぞ〜。数週間同じ病室にぶち込まれてた程度のだけど」
「ってわけだから放置しといてくれればいい。たぶん無害だ」
ジョエレが手を離すと、
「2人してそう言うなら信じてみるけど。司祭様が嘘なんてつかないだろうし」
彼女はナイフをしまった。代わりに懐中電灯を拾い暗闇を照らす。
照らし出されたのは細い通路だった。飾り気は皆無で天井に電線が走っているだけ。そこをフアナは奥へと進む。
「ここは?」
後に続きながらジョエレは尋ねた。
「まだ内緒かな。あ、でも、ここまではたぶん追手も来ないから、ちょっと気を抜いていいと思うよ」
(内緒ね)
通路を観察してみても特徴が無い。職員用の連絡通路か何か、そういった道なのだろう。
5分か10分も歩くと再び扉があった。
出た先は広い空間のようだが、いかんせん暗すぎて全容が把握できない。
そんな場所でもフアナはずんずん進んで行く。懐中電灯に照らされる景色を繋ぎ合わせて考えられる場所は駅の構内なのだが、明かりが点いていないのはなぜだろう。
(俺達以外にも人がいるな。それに……囲まれてるのか)
暗闇の中に自分達以外の足音と人の気配があった。最初はバラバラの位置にいたのに、今は随分近付いてきて包囲網のようになっている。
その中でも、すぐ後ろをついてきていた足音が急接近してきて、ジョエレの背に、硬い、円状のものが突きつけられた。撃鉄を落とす音も聞こえる。
「あまりいい待遇じゃないな」
「だって、あなた達が反抗しないだなんて分からないじゃない? ここいらでいっか?」
フアナが立ち止まった。そうして、懐中電灯の明かりをジョエレに向けてくる。
「全員手を上げて。反抗はしないでね? 気付いてない人もいるかもしれないけど、司祭様、銃突き付けられてるから。下手な事すれば、ばーん、よ」




