7-7 違和感
翌日から本格的に使節団としての仕事が始まる。
ジョエレは嫌々ながら紫の司教服に袖を通した。首にカラーをまき、黒いコートを羽織る。その上から首掛け布を垂らして身支度を終え部屋を出た。
(なんだって、こんな無意味な慣習ばっか残ってるかねぇ)
なんとなくぼやく。
普段は教会業務に一切携わらない教皇庁の官僚達だが、庁外で仕事をする時は神父の姿に擬態するという慣習がある。ご丁寧に、官僚としての地位を聖職者位階に横スライドさせた状態で。
ジョエレに与えられている保健福祉局局長付き参事官という役職だと、聖職者位階では司教と同等。なので、ジョエレの服も司教服。
教会組織の人間ですよと分かりやすくするためととれなくもないが、ジョエレからしてみれば面倒くささの方が大きい。
くだらない慣習が無くなっていなくて残念だ。
ロビーには続々と使節団の人間が降りてきていた。昨日とうって変わって全員赤黒い修道服姿で、無駄話ひとつせず引き締まった空気を漂わせている。
服装と共に気構えも変わったのだろうが、変わり過ぎだろうと突っ込んでやりたい。オンオフの切り替えが出来ていて良いというのかもしれないが。
そんな中、1人違う服装のアンドレイナは目を引いた。
彼女もジョエレと同じく司教服を身に付けており、違いは頭から被っているベールくらいだ。
「お早う司教ベアトリス」
「お早うございます司教ジョエレ。その格好、違和感ありませんね」
口元を指で隠しながらアンドレイナが笑う。
「そっちもな」
ジョエレも微笑を返しておいた。
「10分後には出発します。まずはバルセロナ大司教の所にご挨拶からですね」
今日の予定を確認して一行はホテルを出た。
朝が早いのもあるのだろうが人通りが少ない。その上、建物と建物の間の影に、まともな暮らしはしていないのだろうなと思われる人影が多々見て取れた。
別段おかしくはない。
どんな街でもそういう層は一定数いる。
(にしては数が多いな。それに、バルセロナほどの規模の街にしては、動いている人間が少ない)
バルセロナは旧スペイン領の中でも2番目の規模を持つ都市だ。
多少時間は遅いが、本来なら出勤する人で混み合っていてもいい時間なのに、それがない。東方の三賢人の日の期間中で休みの職場もあるだろうが、それを差し引いても少ないと思うほどに人がいない。
それは翌日以降でも同じで、小さな違和感としてジョエレの記憶に留め置かれた。
◇
3日後、使節団はバルセロナを後にしてマドリードに入った。
イベリア半島のほぼ中央に位置するこの街は、スペイン帝国と呼ばれた国の首都だった。
狩猟も楽しめる首都として建設されたので、狩場の痕跡である緑地や公園帯が市の中心部まで走っている。歴代の王達が膨大な資金を投下して育てた街だけあって、各地に歴史的な建造物や芸術作品も多い。
かと思えば、すぐ隣には高層ビルが立ち並んでいたり、鍛鉄とガラスで造られた水晶の宮殿があったりする。製作年代や質感の全く異なるものが不思議と調和している様は面白い。
「でかっ」
目の前の建物を見上げながらアルドが声を漏らした。言葉に出したのは彼だけだが、他にもそう思っているような顔の者が多い。
「マドリードは広さも選定されて作られた都市だからな。こんな王宮も余裕で作れたんだろうよ」
ジョエレも目の前の王宮を眺めた。
使節団が派遣された主目的、旧スペイン王家フェリペの誕生祝賀会は、ここ、マドリード王宮で開催される。宿泊所として供されるのもここだ。
ヨーロッパ一大きい宮殿と言われているだけあってその大きさは圧巻で、アルドの感想も当然のものだろう。
「ヴァチカンからのお客様方お待ち申し上げておりました。長旅でお疲れでしょう。お部屋へご案内いたします」
王宮本館に着くと執事らしき老人が一行を出迎え、先導して宮内を進んで行く。
大航海時代覇権を握っていた国の王宮だけあって、内装はしつこいくらいに豪華だ。床にはぴっちりとカーペットが敷かれ、所狭しと名画や陶器、家具、時計が並べられている。
「こちらが皆様に提供される区画になります。見取り図は先にお送りしておいたと思うのですが、届いておりますでしょうか?」
「ええ、大丈夫です。後はこちらでやるので、案内ご苦労でした」
「不便がある時はお申し付けください。では」
一礼して執事は去って行った。
彼の姿が見えなくなるとアンドレイナが手を叩く。
「部屋割りはヴァチカンで通達しておいた通りです。各自警備計画に従って職務に従事、休憩を行ってください。何かあれば私かジョエレに連絡を。どちらも捕まらない場合は副長のアルドに言うように。では解散です」
彼女の号令で全員が動いた。
ジョエレも自分の部屋に行き荷を置く。トランクケースから本を取り出し窓辺に座った。
夕食まで2時間ほど時間があるので、時間潰しにページをめくる。
「ん?」
字がぼやけた。瞼を閉じ、上から眼球を揉む。そうすると、今度は綺麗に見えた。
(疲れてんのかねぇ)
身体は元気な気がするが、疲れというのは意外と目にくるものだ。慣れない仕事で疲れが溜まっているのかもしれない。
読書は取りやめ本を閉じた。
服を弛めベッドに転がる。
壮麗な宮殿を見学して暇つぶしもできるが、今の微妙な立場でうろちょろするのは気が進まない。
外出するわけにもいかないので、無難に惰眠を貪ることにした。




