7-6 幸運の人形
アンドレイナが入ったのは宿泊先近くの立ち飲み酒場で客は少なかった。
グラスワインを頼むと特産のスパークリングワインと小皿料理が出てくる。それだけでは足りないジョエレは、ボトルも1本もらって店の奥に行った。
「すいていて良かったですね。この時間だと、仕事帰りに酒場を梯子している人が多いかと心配していたんですが」
「まじか。俺、人混み嫌いだから良かったわ」
奥まった所にある机を確保して皿とボトルを置く。
アンドレイナも来て落ち着いたのを見計らい、ジョエレはグラスを軽く掲げた。
「明日からはお偉いさんとの会食ばっかになるし、今晩くらいは気楽にいこうぜ。使節団の責任者のお前さんは特に気疲れするだろうしな」
「本当に。明日からは肩が凝りそうですね」
アンドレイナが顔をしかめた。
一見穏やかな会食でも腹の探り合いになることはままある。その時口にする物ほど不味いものはない。
そんな食事より気楽な飲みの方がいいに決まっている。
ヴァチカンではあまり見ない地ワインを楽しむのも悪くない。付け合わせに出された生ハムが乗ったパンだって、いい塩味だ。
元が少なかったのもあり、ジョエレはパンをぺろりと平らげた。アンドレイナも同時くらいに食べ終わり、
「少し何か買ってきます」
カウンターに行った。
その間にジョエレはグラスワインを飲み終わり、空になったグラスに予め買っておいたワインを注ぐ。
(なーんか腹減ってきたな。普通に飯が食いてぇ)
そんな事を思っていたら、アンドレイナが持ってきた皿はしっかりとした肉料理だった。その上、これが思いの外美味い。
そうなると他の料理も食べてみたくなって、お勧め料理を追加してもらった。
料理が美味いと酒も進む。
それはアンドレイナも同じだったようで、皿が重なるにつれて饒舌になっていく。だったのに、急に彼女が黙った。ほんのりと赤くなった顔がややうつむき気味になっている。
「どうかしたのか?」
「いえ」
彼女は一瞬顔を上げたけれど、すぐにまた下を向く。
何も無くはなさそうなので、ジョエレがのんびり待っていると、
「私が責任者だなんて似合わないと思って」
アンドレイナが呟いた。
「いつも誰かを補佐する立場にばかりいたからだと思うんですが。いざ引っ張る立場になると収まりが悪いんですよね」
「そうかぁ?」
急な話題転換に少し驚いたジョエレだけれど、適当に返す。
《十三使徒》なら部下を指揮する立場にいることの方が絶対多い。それなのに収まりが悪いのは、今回の任務の特殊性のせいだろうか。必要とされる能力が武力ではなく外交力なので、勝手が違うと感じているのかもしれない。
素面なら表に出さないような小さな小さな不安。
それが、酔いのせいで気が緩んで、弱音として漏れてしまったとかいう類だろう。
真面目に受け止めすぎないのが正解だ。適度に愚痴れば気は晴れる。
「あなたはそういう事に慣れている感じですよね。責任者、代わってみます?」
冗談めかしてアンドレイナが笑った。けれど、瞳が微妙に揺れている。半分くらいは本気で言っているのかもしれない。
(つっても、代わりゃしねーけど)
これはアンドレイナの仕事。キャリアを積む上で必要な経験だ。
(そのためにレオナルドもこいつを行かせたんだろうし。きちんと人材育成もしてるじゃねーか)
レオナルドの評価を少しだけ上げた。ついでに、手助け……ではないが、アンドレイナの甘えを断つために逃げ道を塞いでやる。
「冗談きついぜ。狸親父の相手とかしたくないし、俺なんかよりお前さんの方が絶対向いてる。美人さんが相手する方が喜ばれるだろうしな」
「持ち上げすぎです」
アンドレイナが苦笑した。
「まぁ、冗談です。今の話は忘れてください。これくらいこなせなくては、私を信頼して任せてくださった長官にも申し訳ありませんし」
何事もなかったかのように彼女はグラスに口づける。
若干ぎこちないのは、実際のところ結構な重圧がかかっているからか、はたまた、弱みを晒した己が恥ずかしいからか。
アンドレイナはまだ若い。正確な年齢は知らないけれど、30には届いていないだろう。経験が少ないのだから気弱になって当然だ。
けれど、弱みを隠して強がろうという姿勢は嫌いじゃない。昔はジョエレもそうだった。
「ま、頑張れよ。そのうち慣れるだろうしよ」
「そうだといいんですが」
アンドレイナの小さな唇から溜め息が漏れた。
その返しでは気弱になっていると認めているようなものだ。
失態をしでかしたことに彼女もすぐ気付いたようだった。けれど、はにかんだかと思うと、
「頑張ります」
綺麗に笑う。開き直った……のかもしれない。
弱音を吐いたら胸のつかえが取れたのか、アンドレイナの雰囲気が穏やかになった。飲食も再開して、グラスが空いたらジョエレがワインを注いでやる。つまみが足りなくなっては買い足し杯を重ねた。
しばらくすると腹が満たされてくる。
「そろそろ腹いっぱいだけど、なんか甘いもんが欲しいな」
「それならいいものがありますよ。買って来ましょう」
そう言った彼女が入手してきたのはシンプルなフレッシュチーズだ。
「それ?」
「はい。これに蜂蜜をかけるだけなんですが、美味しいですよ」
そう言って彼女は自分のチーズに蜂蜜をかける。蜂蜜の適量が分からないジョエレは、こっちにもかけて下さいと、こっそり自分の皿を出した。
そんなささやかな幸せの時間に、呼んでもいないのに店員がやってくる。
「お客さん達たくさんどうも。これ、うちからのサービスね」
そう言って1皿置いていかれた。
残された物を見てアンドレイナは困り顔だ。
「これ、どうしましょう?」
「サービスっつてたし、食えばいいんじゃね?」
「それはそうなんですが、私、甘すぎる物は苦手で」
声音を抑えながら彼女が視線を落とした。
店員の置いていった皿には、輪っか状のケーキの4分の1が乗っている。
シロップがべったりと掛けられた上に、これまたシロップ漬けっぽい赤や緑のドライフルーツが飾られ、ケーキの中層部分にはたっぷりのカスタードが挟まれている。
ひょっとしなくてもこれは甘いだろう。
「見た目よりさっぱりしてるかもしれねぇぞ。あ、半分ずつな」
ジョエレは心にもないことを言いながらケーキを半分ずつに切り分けた。
早速ひとくち食べてみると見た目通りの味が口の中に広がる。ただ、ケーキかと思っていた土台がパンだったお陰で、少し食べやすい。仄かにオレンジ風味がするのも食べてみないと分からなかった。
自分の分のパンを小さく切ってアンドレイナも口に運ぶ。
「そういえば、今は"東方の三賢人の日"の期間中でしたね。街の飾り付けが無い上に仕事だったので、すっかり忘れていましたが」
「そういや、こっちでは、公現祭のことをそう言うんだったっけか?」
公現祭は、主の誕生を東方の三博士が祝いにくるという祝日だ。小さな子には菓子が配られるので、前日の夜に子供達は枕元に靴下を置いて寝る。
東方の三賢人の日も似たようなものなのだが、中身が少し変わっていたはずだ。
まず、三博士が異国の三賢王に変わる。
祭りはクリスマスから約2週間続き、最終日にはパレードがあって、その時菓子が配られるとかなんとか。
「そうなんです。それで、その時期にはこのパンが出てくるんですが、これが私は苦手で」
苦笑しながらもアンドレイナはパンを食べ進めていっている。その途中でナイフを動かす手が止まった。フォークで土台をほじり出したかと思うと、小さな人形が転がり出てくる。
「えーと。この陶器の人形が出てきたら当たりです。今年1年いい事があるらしいですが」
「そうなんだ? 良かったじゃねぇか」
「そうですね。めったにない事ですし、何か願い事でもして持っているとしましょう」
店員に人形を洗ってくれるように頼むと、すぐに綺麗にしてくれた。それをアンドレイナはハンカチに包み鞄にしまう。
そんなこんなで、旧スペイン領1日目の夜は静かに更けていった。




