7-3 催促
クリスマス休暇の明けた1月2日。旧スペイン領へ出発の日の朝。
ジョエレは着崩したスーツの上からコートを羽織り、トランクケースを持って自室を出た。
「あれ? 司祭服とかじゃなくていいんだ?」
のんびりと珈琲を飲んでいたルチアがジョエレを見てそんな感想を言ってくる。
げんなりとジョエレは顔をしかめた。
「バルセロナまで行くのにどんだけ掛かると思ってんだ。そこそこ楽な格好じゃないと耐えられんぞ」
旧スペイン領の玄関口バルセロナへの移動は、途中寝台列車を乗り継いでの1日仕事になる。
なんなら普段着で行きたいくらいなのだが、そこはお役所仕事なので、仕方なくスーツで我慢した。これでも、堅苦しい司祭服に比べれば数段楽だ。
「俺の滞在先は日によって違うから、用がある時はディアーナを経由してくれ。これがあいつの直通電話の番号。上が家で、下が教皇庁のな」
電話横からメモ帳を持ってきて番号を書き付ける。
「んで、これがしばらくの間の生活費。多目に入れてあるから足りなくなるとは思わねぇけど、緊急で大きな出費が必要になったらディアーナにでも頼ってくれ。お前達が浪費しただけだったら後で取り立てるからな」
紙幣を入れた封筒の上にメモを置き、まとめてルチアに渡した。
「他にも困った事があればディアーナを頼ればいい。無茶を押し付けてきたのはあいつだから、遠慮はいらないからな」
「うん、わかった」
「テオ、ルチアの面倒みるの頑張れよ」
「極力努力する」
ソファで死んでいるテオフィロが片手だけ上げた。
いつもはまだ寝ているのにリビングで転がっているのが、彼なりの見送りなのだろう。
「んじゃ行ってくるわ。留守番よろしくな〜」
気楽に言って家を出た。そうして、使節団の集合場所である駅に向かう。
「お早うございますジョエレ」
駅には既にアンドレイナ他数名が来ていた。
今日は彼女もスーツ姿だ。ただ、一切着崩されていない。ここら辺が性格というやつだろう。
ステファニアはまだのようだったので、ジョエレは半分眠りこけながら待つことにした。
……ところが、出発時刻が近くなってもステファニアが来ない。
「あいつ寝坊してんじゃね?」
そこはかとなく嫌な予感がしているとディアーナが現れた。
彼女が来ること自体はおかしくない。本来行くべきは彼女だったので、代理人の見送りに来てくれたくらいの配慮だろう。
一緒の車にステファニアも乗ってきて――いなくて、ジョエレは視線を彷徨わせた。
「ステフは?」
「病欠よ」
苦々しそうにディアーナが顔を歪める。
「今日からあなたと旅行だからって、昨夜、風呂上がりに薄着のまま持っていく服選びなんてしたせいで湯冷めして、今朝熱だしてたの。我が娘ながら情けなくなるわね」
「あー、そう。病欠」
と、ジョエレは軽く呟きながら、彷徨わせていた視線を眼前の麗人に向けた。
「あいつの代わりどうすんだよ? お前が行くのか?」
「行くわけないでしょう? 幸いあなたには色々覚えてもらったし」
笑顔を向けてくるディアーナに、
「おい」
ジョエレは突っ込みを入れる。まさかと思いながら自らを指した。
「俺とか言わないよな? こちとらなんちゃって参事官だぞ! それに、普通なら薬飲んででも来るよな!?」
「初外遊で体調不良だと随行者が大変かと思ったのよ。あなたにとっては慣れた仕事でしょうし、上手くやってちょうだい。どうにか出来そうな人がいてくれて良かったわ」
「ありえねー」
「ジョエレ、あと5分で発車です。その件は諦めましょう」
アンドレイナが列車へと入って行った。彼女に続き警護の人間も動き出す。ジョエレ1人を残して全員列車に乗り込んでしまった。
「そうそう。ステフがお土産よろしくって言ってたわよ」
「どんだけ面の皮が厚ければ言えるんだ!? そのセリフ」
「ほら、あなたも早く乗らないと、置いて行かれてしまうわよ」
ディアーナがジョエレの背を軽く押した。押されるがまま2歩あるいた所でジョエレは振り返る。
「どうなっても知らねぇからな」
それだけ言って列車に乗り込んだ。
教皇庁で列車1両を貸し切っているので周囲に気を使わなくていいのは楽なのだが、いかんせん長距離移動は暇だ。
季節によっては景色の良い所もあるけれど、冬ではそれも期待できない。同行者も気の荒い男がほとんどで、暇潰しを提供してくれるような連中ではない。
かといって、貴重な女性とお喋りを楽しもうだなんてした日には、モテナイ野郎どもから目の敵にされそうだ。面倒臭さが山盛りになるだけなので、それは避けたい。
(寝るに限るな)
トランクケースを上の棚に上げ寝の体勢になった。けれど、
「ジョエレ。今のうちにこれからの打ち合わせをしておきたいのですが、よいですか?」
目を閉じて数分もしないうちにアンドレイナが肩を叩いてきた。ジョエレが目を開けると、彼女はボックス席の対角に座る。
「すみません。さっさと終わらせておいた方が互いに自由に動けるかと思って」
言いながら彼女は書類とペンを自身の膝の上に置いた。準備はそれで終わりに見えるのだが、アンドレイナは話し始めない。
「始めないのか?」
「あなたも資料を用意するだろうと思って待っているのですが」
「ん?」
そんなもの用意しようだなど全く思っていなかった。うっかりぽかんとしたけれど、すぐに表情を戻し手を振る。
「必要ない。あらかた覚えてるから好きに始めてくれ」
「そうなんですか? では始めますが、資料が欲しくなったら言ってください」
そう言ってアンドレイナは話を始める。
「まず、外遊中の私の身分ですが、教理省長官官房の一員で通します。名前もアンドレイナではなく、ベアトリス・フェリシアーノと呼んでください」
「長官官房ね。まぁ、異端審問官より、事務方の奴が来てくれる方があちらさんも対応楽だろうしな。ベアトリスは本名か?」
「はい。アンドレイナはあくまで使徒名ですから」
「了解。人前では気を付けるわ」
ジョエレが頷くと、アンドレイナは手元の資料に視線を落とした。
「それでは日程の確認を。バルセロナに着いた当日はそのまま休憩ですね。翌日からバルセロナ地区の教会の視察。それが終わったらマドリードに移動して――」
つらつらと、彼女は紙に書いてある事を読み上げていく。ステファニアがいなくなったせいで変わる部分もあったけれど、概ねジョエレの仕事に上積みされただけだ。
打ち合わせはあっという間に終わり、あとはひたすらに退屈な移動が続いた。




