6-17 泣き方
気付いたら、ジョエレは1階ボックス席に突っ込んでいた。
何が起きたのかよく分からないけれど、1撃でここまで弾き飛ばされたらしい。
ボックスの観客達は出口付近に固まって悲鳴を上げている。ジョエレに巻き込まれて怪我した者がいないのだけが幸いだ。
「悪い。少し危ないから、そのまま奥に避難しといてくれ」
会場に戻るために起き上がろうとして、身体に走った激痛でジョエレは崩れ落ちた。思わずうずくまった程なのに、強引に動こうとすると脂汗まで出てくる。
会場の騒ぎが一際大きくなった。
なんとか顔を上げてみると、下水道で遭遇した機械化人間が、片手に頭を、もう片手にユーキを抱え、バルトロメオと大立ち回りをしている。
「ジョエレ・アイマーロ、生きておるか!?」
太刀を振るいながらバルトロメオが尋ねてきた。
返事をすべきなのだろうが、大声を出すために息を吸い込もうとするだけで胸周りが痛む。肋骨が数本折れたのかもしれない。
バルトロメオに見る余裕はないだろうが、軽く片手を上げておいた。
「良かった。君、生きてたんだ。殺しちゃってたら、僕がエアハルトに恨まれるしさー」
担がれている格好のくせにユーキが余裕で喋る。自身の上半身の左半分は凍っていて満足に動けない上に、多勢に無勢なのに、その余裕がどこからくるのか不思議だ。
ジョエレが訝しんでいると、舞台袖から野太い叫びが上がる。
「使徒バルトロメオすまねぇ、俺達だけじゃ抑えきれねぇ!」
巨大蟻が再び溢れてきていた。
バルトロメオの視線もそちらに向き、剣線が一瞬鈍る。
その隙に機械化人間がバルトロメオを突破し蟻の群に合流した。途中、ユーキがアウローラの横に白百合を落とす。
2人を守るように蟻が団子状になった。
「《戦車》の修理もしてやらないとならないし、僕も痛いからさ。今日のところは帰るね」
機械化人間が蟻を引き連れながら舞台袖へ引いていく。
「待たんかお主ら!」
バルトロメオの〈鎌鼬〉が追撃しているけれど、蟻の盾が邪魔をして、肝心の2人にまで攻撃が届いていない。
「あはは、じゃぁね〜」
騒がしい足音と共にユーキの声が消えた。
「長官、追いかけても!?」
「深追いは許さん。けれど、その先に奴らの侵入口があるのなら、そこを塞いでおくように。再侵入を許すな!」
「承知」
短いやり取りが交わされ、バルトロメオも舞台袖へ消える。
ジョエレも働くべきなのだろうが身体は言うことを聞かない。うずくまっているのさえ辛くなってきて、痛みが酷い場所を庇って床に倒れこんだ。
「あの、大丈夫ですか?」
ブースの住人達が心配そうに近寄ってくる。相手をするのも今は辛いけれど、無視できなかったので、
「大丈夫だ」
全く信憑性の無い返事をしておいた。
そうしていると、出入り口の扉辺りでカチリと音がする。すぐに上方から声も聞こえてきた。
「観客の方々不便をかけてすまなんだの。セキュリティをようやく取り戻せたので、扉の鍵は開けておいた。慌てず避難してもらってよいかの?」
「後方の方から出口へどうぞ」
イザベラが喋っている横で次々扉が開いていき、警備の人間が誘導を始める。
ジョエレのブースの人々も動きたそうにしていた。ただ、ジョエレが気になるのか、中々出ていかない。
「俺は気にしなくていい。行けよ。さっさと避難するのが今のあんたらの仕事だ」
痛みを我慢して声を出し、しっしと手を振る。
「すみません」
小さく頭を下げて彼らは出て行った。
ようやく1人になれた空間でジョエレは身体を丸め、呻く。
痛いのは身体なのか、心なのか、その境界すらはっきりしない。
最愛の妻を2度も守れなかった自分の不甲斐なさが情けなかった。
もう2度と大切なものは失わないつもりだったのに、そんな願いなど嘲笑うかのように彼女の命は弄ばれ消えてしまった。
「無様ねジョエレ」
いつの間にやら来ていたディアーナが無感情に言った。彼女は《極冷の槍》を拾い、短剣の形態に戻す。励起状態も解除してくれたかもしれない。
その様を眺めながらジョエレは口元に嘲笑を浮かべた。
言われた通り無様だ。
怒りに身を任せて、やるべき仕事も、観客の安全も、倫理も、全て無視してユーキを叩き潰そうとしたのに、それすら出来なかった。
負け犬な自分を笑い飛ばしてやろうとしたら、胸の痛みに身が縮んだ。
「痛いの?」
一緒に付いてきていたルチアが覗きこんでくる。
「痛えな」
自分の愚かしさが痛すぎて喚きたくなる。
滑稽に1人芝居をしていると、開きっぱなしの扉をノックする音がした。
「はいはい?」
ダンテが出て行き、すぐにレオナルドを連れて戻ってくる。
「アイマーロ無事か?」
神妙な顔で尋ねられた。声を出すのがだるくてジョエレは片手を上げてやる。
レオナルドが少し表情を緩めた。けれど、すぐにため息をつく。
「お前の働きは大きかったが、最後のあれは何だ? 悪いが、公務執行妨害やらで罰せねばならん」
「そんなのって酷い! アモーレのお陰でみんな助かったのに!」
ステファニアが噛みついた。
「黙りなさいステフ。大衆の前であんな行動を取ったジョエレが悪いのよ。《悪魔》と名乗った彼だって、この人が暴走さえしなければ捕らえられたかもしれなかった。量刑がどうなるにせよ、捕まるのは仕方ないと自分でも分かっているはずよ」
皆の視線がジョエレに集まる。
そんなこと分かっていた。
だから嘲笑を返す。
レオナルドは苦々しそうに顔を歪めた。けれど、
「まぁ、すぐに拘留はしない。まずは傷を癒すのだな。逃げられては困るので、オルシーニ卿の監視下に置かせてもらうが」
それだけ言い、《光の剣》を回収して、仕事に戻ると去って行った。
「ボルジア卿ってもっと厳しいのかと思ってたんだけど、なんか意外。ようは、しばらく手を出さないから、マンマに治療してもらえってことでしょ?」
「監視するとか言ってなかった?」
「ものは言いようよ。外に対して示しがつかないからそういう事にしてねって、口裏合わせのお願いに来たんでしょ?」
「へぇ?」
若者達がレオナルドの去って行った方に顔を向ける。
それにディアーナは加わらず、ジョエレの胸部に手を当ててきた。
「っ痛」
「折れてるかもしれないわね。動けそう?」
「しばらく休めばなんとかなるんじゃね? ちょっと寝たいんだけど、お前らうるさいから出てってくれよ」
「そう」
立ち上がったディアーナが子供達の肩を叩く。
「あなた達、病院に連絡して救急の人員を手配してきなさい。蟻を止めてくれていた人達の中にも重傷者がいるみたいだから、人数を少し多目にね。終わったら先に帰ってなさい」
「えー。私アモーレの側にいたい。そんなのダンテ1人にやらせればいいじゃない」
「言う事を聞きなさい。いい? 絶対に戻って来ては駄目よ」
言いながらディアーナは若者4人をブースから追い出し、扉を閉める。
「できない嘘はつくものじゃないわ。自力で病院まで来いって言われたらどうするつもりだったの?」
そうして、ジョエレのすぐ側の椅子に座った気配がした。なぜそこを選んだのかは分からないが、互いに顔が見えない場所に。
話をするために残ったのではないのかもしれない。
それなら、ディアーナといえども今は側にいて欲しくない。
「お前は出て行ってくれないのかよ?」
だから退室を促した。
「弱ってる時のあなたは余計な事をしでかす前科者だから、1人にはできないわ」
無感情に彼女は言う。
しばらく2人して黙っていたけれど、ぽつりとディアーナが口を開いた。
「その場所なら会場からも見えない。救急が来るまで時間があるから、泣きたければ今のうちに泣きなさい。病院に運んだら6人部屋に入れるから、泣く場所なんて無いわよ」
「泣く? 俺が?」
涙は復讐を決めた日に出尽くした。だから泣かない。泣けない。
ただ、泣きたいのはディアーナも同じではないかと思った。
歳を重ねるにつれて彼女は無感情に振る舞うことが増えた。そういう場合、大抵心の中は荒れている。この喋り方はまさにその状態だ。
「お前はいつ泣くんだよ」
泣きたければ泣けよ、見なかった事にしてやるから。と、それとなく言う。
「涙なんてとっくに枯れたわ」
けれど、返ってきたのはジョエレと似た言葉だ。
嘘と虚飾で彩られた世界で生きてきた時間が長過ぎて、自分達は泣き方すら忘れてしまったのかもしれない。




