1-1 誤魔化し、そして偽る ◇
Ⅰ.老婆と7匹の猫達
「神へのお祈りは終わったかしら?」
女の冷たい声と共に撃鉄が落とされる。
小太りな男が尻で床を這いながら後ずさった。
けれどそこは薄汚れた狭い部屋。
すぐに逃げ場を失った彼は目の前の人物を見上げ、救いを求めるように手を掲げる。
「待ってくれ! そうだ、金をやろう。いくら欲しい? そこそこの額なら今すぐにでも出せるぞ」
「悪いけど、あんたを逃して、寝首をかかれるような真似はしたくないの」
女は銃口を男から逸らさない。
「だから死になさい」
無情な言葉と共に、消音器によって抑音された銃声が鳴った。頭を撃ち抜かれた男は呆気なく事切れ、銃創から肉片と血を撒き散らしている。
平然と殺人をやってのけた彼女は死体を見下ろし、無感情に呟いた。
「ミッションコンプリート。後は報告するだけね」
「おーおー。怖い女に育ったもんだ。顔色も変えずに人を殺すだなんて、俺の息子が縮み上がってるぜ」
「ジョエレがそれを言うわけ?」
黒眼黒髪の娘が呆れ顔で振り返った。カチューシャで纏めた肩甲骨まである髪がさらりと流れる。一見清楚そうな彼女が人を殺めたばかりだなど、誰が思うだろう。
(こんな奴まで殺人に手を染めるんだから、世も末だな)
ジョエレと呼ばれた金髪をオールバックにした男はそんなことを思いながら肩を竦め、部屋の奥へと進んだ。
「ちょっとジョエレ、どこに行くの? ターゲットの処理は終わったんだから、帰るだけでしょ?」
後ろから彼女に問われ彼は振り返る。口元に軽薄な笑みを浮かべて死体を指した。
「こいつが隠してるエロ本でも土産に貰ってこうと思ってよ。ルチアも探すの手伝ってくれんのか?」
言ったそばからジョエレの股の間を銃弾が通過した。当たってはいないのだが、嫌な感じに股間がスースーする。
「好きにすれば」
銃を降ろしたルチアが冷たい目で一瞥してきびすを返す。
彼女が退室して扉が閉まったのを確認して、ジョエレは斜め下に顔を向けた。視線の先、事務机の陰に隠れるように少年がうずくまっている。
「おいガキんちょ。隠れきれてねぇぞ」
指摘してやると少年の肩が震えた。そうして、ゆっくりとジョエレを見上げてくる。
「おじさん、ボスみたいに僕も殺すの?」
10歳にもいってなさそうな少年が尋ねてきた。その言葉に、ジョエレは微妙に顔を歪める。
「31のナイスガイを捕まえておじさんはねぇだろ。悲しみのあまり、うっかり銃をぶっ放しちまうかもしれないぜ?」
言っておきながら、「まぁいいけどよ。それよりお前」と、言葉を続けた。
「我ら終焉をもって楽園を創造せんって言葉知ってるかね」
少年に反応は見られない。
ジョエレも動かず待っていると、少年が小さな笑い声をあげた。顔には無警戒な笑みが浮かぶ。
「なんだ、組織の人だったんだ? そこに転がってる雑魚に巻き込まれて殺されるかと思ったよ」
「そいつが狙われてるって話が入ってきてな、預けてるブツを動かせと命令が出た。どこにある?」
「ここにあるよ。これ」
少年が身体の陰からジュラルミンケースを出した。共に鍵も渡されたので、ジョエレはそれでケースを開ける。中の確認を始めた。
途中、横から少年が話しかけてくる。
「あの男も馬鹿だよね。自分が利用されているだけの捨て駒だって知らずに、これを託された自分はのし上がれるって自慢してきてたんだよ。僕が監視役だって知らずにさ」
「浅はかだな」
「だよね。でも、それすら気付かずに死ねたんだから、ある意味幸せだったのかな?」
少年が無邪気に笑った。
その笑顔をジョエレはちらりと見たけれど、すぐに中身の確認に意識を戻す。
(アンプルに試薬瓶にメモリーカード。これに間違いないだろうが、アンプルは使用済みか)
ざっと目を通し、再び鍵をかけた。
「ねぇ、さっき出て行った女の人も組織の人?」
少年が興味深そうに尋ねてくる。
「いや。仕事の隠れみのだ」
軽い調子でジョエレは答えた。別段知られて困ることではなかったから。
そう、先ほど出て行ったルチアのやった殺しは、こちらの仕事を隠すためのフェイクだ。フェイクといっても、きちんと報酬のある正規の裏仕事なのだが。
なんにせよ、ジョエレがここでの仕事を2つ持っていることを彼女は知らない。
今頃は、まっとうに裏の仕事をこなした後でくだらないことに執念を燃やしているとでも思っているだろう。
ジョエレは立ち上がり、部屋をぐるりと見回した。
狭い部屋だ。
あるのは無骨な事務机と、無秩序に書類と本が詰め込まれた棚。飲み食いしたゴミが放り込まれている屑篭。それに、随分と使い古されたソファ。
表の飲み屋に対して事務所のような部屋だったので、当たり前といえば当たり前な品揃えだが。
目的の物が見当たらなかったので、再び少年に顔を向ける。
「そこで転がってるあいつ、この部屋にエロ本置いてなかったか?」
少年が呆れ顔になった。
「本気で欲しかったの? 部屋に残る口実かと思ってたのに」
「馬鹿か。手土産があった方が、この後も疑われないだろ?」
「ああ、そういうこと。なら、この机のここの引き出しに」
少年が事務机の一番下、深い引き出しを開けた。雑多なファイルに紛れ、数冊の薄い本が見え隠れしている。
ジョエレは最も趣味の悪い物を選び、丸めてズボンの後ろに挟んだ。それから、空いた手に消音器付きの銃を持つ。それを少年に向けた。
「なんのつもり?」
少年が目を見開く。
「こんな所に回されてるようじゃ、お前も捨て駒の1つだってことだろうさ」
言いながらジョエレは引き金を引いた。
数瞬後、あっけなくもの言わぬ骸になった少年を見下ろす。
「俺がお前達の仲間なわけがねぇだろ」
吐き捨て、ジュラルミンケースを掴んだ。
闇に紛れて厄介な犯罪ばかり起こしてくれる、ある組織がある。
規模は正確にはわからない。犯罪の種類も様々、傾向らしいものも無い。年端もいかない少年まで構成員の1人というのだから、参加層も幅広いのだろう。
まぁ、いくつであろうと、構成員の時点でジョエレにとっては敵――殺害対象としてひとくくりなので、どうでもいいのだが。
「ミッションコンプリート……には、もうちょいか。届けるまでがお仕事ってな」
くすんだ金髪と青い瞳を持った男は独りぼやいて、死のみが漂う空間を後にした。




