092.【行動】の功、「【成功】」の虚(第4回・完結)(2023.02.25)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、このところ『【行動】に宿る【価値】』というものについて【考察】を巡らせております。
『【成功】を望む人』というのはいくらでも見かけますが、しかしながら【行動】が伴わないことには、【成功】なるものが手に入る道理はありません。
しかしながら、【行動】を極めて【強力】に【阻害】する【概念】がよく【観測】されるのもまた【事実】です。
・『【失敗】は許されない』
この【概念】が『【行動】の【結果】としての【成功】』を、いかに【強烈】に【要求】するか、さらにはいかに暴力的で【正当性】に欠けるものか――という点を、前回では【論理的】に確認しました。
今回は、この『【絶対に】【成功】を求めることが、決定的に【正当性】に欠ける』という点を踏まえて、【考察】を展開してみましょう。
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さて、ここで話を【失敗】へ戻します。
詰まるところ、『【失敗】は許されない』とは『【発言者】が【自分】の【ダダ甘さ】加減を棚に上げ、【責任】を【実行者】に【押し付ける】、つまりは【不誠実】な【姿勢】』の【具現化】であるわけです。
加えて【責任】を(【実行者】に)【押し付ける】からには【責任】の所在が移動してしまいます。この時『【責任】=【原因】は見えなくなり、【対処】が【妨害】される』ことにもなります。
つまり【絶対に】という【概念】を軽々しく用いる【発言者】は、『【対処能力】の【欠如】』をも示していることになります。
よって、ここに改めて、『【絶対に】は【無能】の【兆候】』という【論理】が強調されることになります。のみならず、『【発言者】が【無責任】かつ【不誠実】である【兆候】』までもが見えてきます。
こうなると、『【失敗】は許されない』という【論理】には、『そもそも耳を傾ける【価値】が【存在しない】』と言って差し支えなさそうです。
仮にこの『【失敗】は許されない』という【論理】に従うなら、【過程】においては『【妨害】にも等しい【無思慮】や【無分別】を【押し付けられ】』、また『大小を問わず【問題】への【対処】は【発言者】からなされることはなく、むしろ【妨害】すらされ』、【結果】が出たら出たで『どれほど些細でも【発言者】が【失敗】と見なしたなら、その【全責任】を【押し付けられ】』、なおかつ『【失敗】したからといって【罰】を与えられる』わけです。
もはやそこには【害】しかなく、つまり【発言者】は【無能】を通り越して【加害者】にしかなりません。『近くにいるだけ【損】』、などということも充分にあり得るわけです。
さて、以上の【論理】を【応用】するに。
『【失敗】そのものは、本来【責任】を問われるべきものではない』ということになりますね。逆に『【失敗】そのものに【責任】を問うのは、【無能】の【兆候】』ですらあるわけです。
この場合、【責任】を問われるべきは『【失敗】に対して【備えない】、つまり【回復】の余地を【用意】しない【姿勢】』であり、また『【責任】を【他者】へ【押しつけようとする姿勢】』でありましょう。
『【失敗】は【デフォルト】』、つまり『【失敗】するのが【当たり前】』なのです。だからこそ『【成功】には【価値】がある』ことになります。決して『【成功】して【当たり前】』などということはありません。
さらに補強を。
『【失敗】を恐れ、【成功】欲しさに【攻略法】一辺倒という【姿勢】』というものを、私はよく見かけます。これは、言い換えれば『【自分】で【方法論】を【開発しない姿勢】』でもあります。
そこには往々にして『【攻略法】が【有効】に働く【背景】を【理解しようとする姿勢】』は欠けています。これを穿ってみれば『【自分】一人では何もできない、する気がない』という【人物像】までがセットで見えてくることが多くあるものです。
このような【人物像】の持ち主には『【自発的】な【行動】を起こす【動機】はない』場合が圧倒的に多く、よって『【自分】なりの【目的】に合わせて【方法論】を【模索】する【姿勢】は示さない』場合も圧倒的に多く、従ってこういうケースで『【想定外】の【大成功】』を成し遂げた姿というものは、私は絶えて見たことがありません。
こうしてみると、さてどうでしょう。
『【失敗】を咎める【姿勢】』というものが、『極めて【短絡的】で【浅はか】な【姿勢】』に見えてはこないでしょうか。
逆に、ここから言い方を変えれば、こういうことです。
『【失敗】できる【備え】を【用意】しながら【挑戦】した者勝ち』。
ゆえに『【失敗】上等、【行動】は尊い』、ということになりますね。【我流】ではさらに『【挑戦】こそ至高』とも捉えております。
ただしもちろん、【失敗】に際しての【ダメージ管理】はお忘れなく。
よって『【行動】も【挑戦】も、小刻みに行うのが吉』というものでありましょう。
【行動】も【挑戦】も同様に、『【行動】すればするほど【慣れて】いく。そして【見えない恐怖】は【縮小】していく』というものです。また同時に、『【結果】だけを見て【過程】を軽んじる【姿勢】』というものは、望ましい【結果】をかえって遠ざけるものでありましょう。
『【絶対に】【成功】しなければならない』などという【概念】を振りかざす【不誠実】な輩になど心を乱されることなく、【目的】に向けて【過程】を積み重ねていきたいものです。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。




