085.【創作論】の呪縛、【ワクワク】の救済(第4回)(2023.01.14)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、このところ【創作論】とされるものが溢れる一方で、息苦しそうな【作者】さんの姿もまた多く見られることについて【考察】を巡らせております。
ここでは【創作論】とされるもののうち、不特定多数へ向けて【一般論】的に叫ばれがちな内容を“【攻略法】的【創作論】”と呼んでおりますが。
これはよく【一般論】のように扱われるだけあって、その【本質】を私なりに言語化するならFAQ、『よくある困りごとと、その対処法』と、私としてはそういう【認識】です。
前回は“【攻略法】的【創作論】”の【汎用品】的性質を【認識】しましたが。その上で、これを絶対普遍の教条よろしく振りかざし、上から眼線のドヤ顔で語るという【姿勢】に眼を向けてみました。
その結果、『“【攻略法】的【創作論】”を上から眼線のドヤ顔で語る』という【姿勢】、その【背景】にあるのはむしろ『【不都合な自分】から【逃避】したい【願望】』――というのが【推察】として【説得力】を帯びてくることになります。
今回はこの辺りを掘り下げる形で、【考察】を巡らせてみましょう。
◇
が、ここで。
『【汎用品】からはみ出す【応用】や【発展】、およびこれを【開発】しようとする【姿勢】』というのは、このような【小者】にどう映るか、ということに意識が及びます。
【推察】するに、上記のように『後ろ暗い【背景】を直撃して、【不都合な自分】を白日の下に晒しかねない存在』ということになりますね。さらにそれが眼の前で【成功】を掴もうものなら、それこそ『上から眼線のドヤ顔で語ってきた“【攻略法】的【創作論】”が不完全だと【証明】されてしまう』わけです。
この場合、問題の人物は二重の意味で【不都合な自分】に向き合わされることになるわけです――『【自分】が絶対的に信じたい“【攻略法】的【創作論】”が【万能】でも何でもなく、従ってそれを【盲信】している【自分】は極めて【不完全】であること』、それから『【不完全】なものを【万能】であるかのごとくドヤ顔で語ってきた【自分】が、結果として【嘘つき】だったことになること』。
となると【小者】が、『【汎用品】からはみ出す【応用】や【発展】、およびこれを【開発】しようとする【姿勢】』というものを、特にその【成功】を、阻止しようと『【否定的】・【攻撃的】な言い方になりやすい』というのも充分に【説得力】を感じるものです。『【不都合な自分】からの【逃げ道】が塞がれてしまう』わけですから。
もちろん、そうなれば反感も買いやすいのは自明の理。ゆえに『炎上しやすい』のはむしろ当然と申せましょう。素直に理を認める【論理】は持ち合わせていないでしょうから、近付いても火傷以外に得るものは期待できそうにありませんね。
そもそもの話、【独自性のある応用】というものは『【他人】やその【作品】にそのまま【適用】できなくて当たり前のもの』です。さらに、そのように悟る段階に到達していたなら、【作者】が『【汎用品を持っているだけ】では【自慢】にならない』ことも併せて悟っている【可能性】も飛躍的に高くなります。
なので『【大者】ほど【創作論】周りには余裕を持っているケースが多い』とも【推測】できるのではないでしょうか。
なお【推定】として、こういった【大者】の段階に至った【作者】が【他人】に提供する【助言】があるとしたら。その【助言】は『【悩み】に対する具体的【提案】』、つまりは『ケース・スタディのような【応用】の【提案】』になっていくことが多いのではないでしょうか。
【汎用品】に相当する【創作論】で通用するなら、その時は別に自ら語るまでもないわけですし、語るからには【応用】の【提案】が切実な【意義】を帯びる場面でありましょうから。
◇
さて、今回は一旦ここまで。
【創作論】に対する【姿勢】、こと余裕の有無を【観察】することで、その人物の器を知る手がかりにもなりそうですね。
これを【発展】させていくと、「思うように【創作】できなくて……」という【お悩み】の根にも通じていくことができそうです。
次回は、これまでの【考察】を踏まえつつ、この【お悩み】について【考察】を発展させてみましょう。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。




