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074.【キャラ立ち】←【ご都合】→【ストーリィ】(第4回)(2022.11.05)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、先日より以下の【よくあるお悩み】に対して、とあるきっかけから【突破口】ともなり得るポイントの数々を【考察】しております。


 ◇


【よくあるお悩み】

・【登場人物】が【キャラ立ち】すればするほど思い通りに動かせない

 →【ストーリィ】の進行や展開が不自然になって、【ご都合臭】が強くなる

・【ストーリィ】を先へ先へ進めようとすればするほど、【登場人物】の人格に合わない展開になって【ご都合臭】が強くなる

・【登場人物】の人格を奥深くまで表現して【キャラ立ち】させるには、これを描き出す【ドラマ】が薄くなりがち

 →状況、つまりシチュエーションのヴァリエーションが増やせない

・【ストーリィ】に『あっと驚くような展開』が盛り込めず、展開が無難・平坦になりがち(盛り上がらない)


 ◇


 第1回で通説(※1)として、福井晴敏先生が引用した押井守監督のお言葉をご紹介しました。(『テアトル東向島アカデミー賞/福井晴敏先生』集英社・240ページより)


【引用】

 押井守監督曰く、作劇は「ストーリーが進行している間はドラマが止まり、ドラマが進行している間はストーリーが停滞する」もの(※1)

【引用終わり】


 ただし、福井晴敏先生はこうも記しておいでです(※2)。


【引用】

「(著作である『亡国のイージス』は)人物の葛藤ドラマ状況ストーリーと有機的に絡み合い、ドラマの進展がストーリーを動かす構造になっている」(※2)

【引用終わり】


 私の意見としては。

「“【ドラマ】・パート”と“【ストーリィ】・パート”、および“戦闘パート”は、(技巧を要するものの)同時進行させることが可能」(※3)


 その根拠として考えているイメージは、以下の通り。

 【物語】上の事態は複数の【登場人物】達によって、複数の場所で、【多重並列】の【潮流】として進行します。それが合流し、相互作用し、その結果を持ってまた分岐し、そうやって【ストーリィ】は進行していくわけです(※4)。


 【物語】は、『複数の【潮流】が【多重並列】に同時進行しているもの』を、『【演出意図】を込めて一本に編集したもの』――そういう捉え方ですね。


 しかしながら、【登場人物】は『(自分事なので)思い通りに事態が推移すること』を望み、一方で【観客】や【作者】は【ストーリィ】に『(他人事なので)あっと驚く(【観客】としての自分自身や大半の【登場人物】達には想像もつかない)展開で【想定外の困難】が克服されていくこと』を望む、という【不都合】な【現実】があります。これを無視して強引に【物語】を進めるとき、そこには【ご都合】臭が漂うものと、私は【認識】しております。


 第3回では、【ドラマ】と【ストーリィ】を両立させる鍵として、【想定外】という【概念】をご【提示】しました。で、この【想定外】の出どころは――というに、『【物語】となる【潮流】の中ではなく、【多重並列】に進行する別の【潮流】から』と、私はお答えしています。


 第4回の今回は、この【潮流】と【物語】の関係をどう見るか、【我流】の【考察】を巡らせて参ります。よろしくお付き合いのほどを。


 ◇


 この【潮流】という【概念】、先述した通説(※1)に対して私が描く考え(※3)に登場するものです。


【再掲】

 私の考え(※3)は、福井晴敏先生のお考え(※2)と、恐らくは近しいものです。【物語】は、『複数の【潮流】が【多重並列】に同時進行しているもの』を、『【演出意図】を込めて一本に編集したもの』――そういう捉え方ですね。

【再掲終わり】


 一人の【作者】の立場から【要約】を試みるならば、『一本道の【物語】のみを考えるのではなく、【描写】されない【多重並列】の【潮流】が、いわば多数の【語られない物語】が、【作品世界】に走っている状態を脳内に思い描く』というところですね。『【描写】される【物語】は、【作品世界】に数多走っている【潮流】の一つに過ぎない』とする考え方なわけです。


 この考えは、私が洋画に深く親しんだ経験も色濃く影響しているでしょう。さらに私の場合は海外小説の影響も大きいと考えられます。これは「群像劇的な捉え方だ」と【認識】されるかも知れませんが、これは『そも【作品世界】のありようをどう捉えるか』が深く関わってくる命題です。なおこれは『捉え方』の問題であって、短絡的に『【描写】の仕方』をイコールで結び付けるものではありません。念のため。


 さて私の【認識】では、この『【作品世界】のありようの捉え方』は、『【作品世界】を構築するに、どのような考え方に立脚するか』に基づきます。大別すると以下の二通り。


1.カメラに映らない(【描写】の機会がない)ものは、最初から作らない

2.『(映画で例えて)スクリーンの裏、フレームの外の存在感』を醸すためなら、カメラに映らなかろうと(【描写】の機会がなかろうと、必要を感じる限り)【作品世界】を作り込む


 これは、どちらが正解ということではありません。ですが、私は迷わず2.を選びます。『【作品】としての最終形をどうするか』の問題ではありません。『【作品】を作る過程において、【作者】の脳内(+プロットなど外部資料)にどのようなイメージを構築・展開しておくか』の問題です。


 1.は、ちょっとでも気を緩めると薄っぺらい『書き割り的な【描写】』になりがちです。『【作品世界】の拡がり感』を醸すのは容易ではなく、往々にしてそのまま『作り物臭や【ご都合】臭の漂う【作品】』にもなりがちです。

 2.は【現実世界】に存在する『情報の【構造】』を【作品世界】に持ち込むような作り方です。もちろん思考する量も質も決して軽くはありませんが、それこそ『【作品世界】の【奥深さ】を感じさせる【描写】』を実現しやすくなります。もちろん1.の考え方だけでこの結果を叩き出す方もいるでしょうが、私の【認識】するところでは、それはあくまで少数です。


 この辺り、『【物語】上で起こるイヴェントを始め、【作品世界】における出来事全般をどう捉えるか』に関わってくるところですね。


 ◇


 さて、今回は一旦ここまで。


 今回は、【物語】に【想定外】を持ち込むに当たっては、【潮流】を意識する――という【我流】のやり方をご【提示】しました。


 この【潮流】という【概念】が、【想定外】を扱う上でいかに役立つか――という点については、次回でご紹介させていただくこととしましょう。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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