表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

73/230

071.【キャラ立ち】←【ご都合】→【ストーリィ】(第1回)(2022.10.15)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、以下に示すような【お悩み】を良く眼に(耳に)します。

 実はこういった【お悩み】に対して、とあるきっかけから【突破口】ともなり得るポイントの数々を【考察】することになりました。


 ◇


【よくあるお悩み】

・【登場人物】が【キャラ立ち】すればするほど思い通りに動かせない

 →【ストーリィ】の進行や展開が不自然になって、【ご都合臭】が強くなる

・【ストーリィ】を先へ先へ進めようとすればするほど、【登場人物】の人格に合わない展開になって【ご都合臭】が強くなる

・【登場人物】の人格を奥深くまで表現して【キャラ立ち】させるには、これを描き出す【ドラマ】が薄くなりがち

 →状況、つまりシチュエーションのヴァリエーションが増やせない

・【ストーリィ】に『あっと驚くような展開』が盛り込めず、展開が無難・平坦になりがち(盛り上がらない)


 ◇


 以下、【考察】を展開して参ります。

 題しましては『【キャラ立ち】←【ご都合】→【ストーリィ】』。

 よろしくお付き合いのほどを。


 ◇


 さて話の発端は、とあるゲームの【演出】や【構成】に関する【考察】です。

 当の【考察】は『【物語】における【ドラマ】・パートと戦闘パート、これらと問題の提起・解決を関連付ける考え方について』のものですが。

 【要約】を試みると、内容としては以下に示すようなものになります。


・通常、プレイヤの操作パートでは、【ストーリィ】(【作者】の意図した状況)が進行しないことが多い

・逆に、【ストーリィ】・パートでは、プレイヤが置いてきぼりにされやすく、そのためプレイヤの没入感が削がれやすい(プレイヤや【登場人物】が『【作者】の操り人形』として【認識】されやすいため)


 ここで【我流の解釈】を加えると、こう観ることもできます。


・『プレイヤの操作パート』は『【物語】上では【登場人物】達が葛藤を展開する【ドラマ】・パート』

・『【ストーリィ】・パート』は『【物語】上では状況が進行する【ストーリィ】・パート』


 つまり、【ドラマ】ばかりが続いていては【ストーリィ】が一向に進行せず、かといって【ストーリィ】を強引に進めれば、今度は【ご都合臭】が拭えなくなる――と、つまりそういう不都合があるという話なわけです。


 これの顕著な例として、『アクションものの“【ドラマ】・パート”と“戦闘パート”』を挙げることもできますね。


 アクションものを【構成】するのに慣れると『“【ドラマ】・パート”と“戦闘パート”』という区分を付けて【物語】を【認識】しがちです。

 この時、作劇全般で課題とされている通説が重くのしかかってきます。まずはこの通説をご紹介しましょう。


 福井晴敏先生は、この通説として押井守監督のお言葉を引用しています。(『テアトル東向島アカデミー賞/福井晴敏先生』集英社・240ページより)


【引用】

 押井守監督曰く、作劇は「ストーリーが進行している間はドラマが止まり、ドラマが進行している間はストーリーが停滞する」もの(※1)

【引用終わり】


 つまり通説に基づくと、『“【ストーリィ】・パート”と“【ドラマ】・パート”、さらに“戦闘パート”が分かれていて、いずれか一つが進行する間は他のパートが停滞する』という【認識】が成立するようですね(私自身の意見は後述します)。

 ただし福井晴敏先生は、同時にこうも記しています。


【引用】

「(著作である『亡国のイージス』は)人物の葛藤ドラマ状況ストーリーと有機的に絡み合い、ドラマの進展がストーリーを動かす構造になっている」(※2)

【引用終わり】


 私の意見としては。

「“【ドラマ】・パート”と“【ストーリィ】・パート”、および“戦闘パート”は、(技巧を要するものの)同時進行させることが可能」(※3)

 つまり福井先生と基本的に同意見ですね。

 こう考える根拠としては、映画『ダイ・ハード』を挙げれば足りるものと、私は思っております。


 【我流】で考えていることですが、【物語】上の事態は複数の【登場人物】達によって、複数の場所で、【多重並列】の【潮流】として進行します。それが合流し、相互作用し、その結果を持ってまた分岐し、そうやって【ストーリィ】は進行していくわけです(※4)。

 事実『ダイ・ハード』では、複数の【登場人物】とその【ドラマ】が錯綜し、絡み合い、時にはそれがアクションの趨勢をも左右するわけです。


 そう考える時、通説(※1)として挙がった考えは、【物語】を『一直線上のイヴェントの並び』として考えているのではないか――と、私には映るのですね。

 ですが、私の考え(※3)は、福井晴敏先生のお考え(※2)と、恐らくは近しいものです。【物語】は、『複数の【潮流】が【多重並列】に同時進行しているもの』を、『【演出意図】を込めて一本に編集したもの』――そういう捉え方ですね。


 ◇


 さて、今回は一旦ここまで。


 今回の【考察】の基盤となる考えをご【提示】したところで、次回から【考察】を発展させて参りましょう。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ