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069.【仮説】・【上達】のサイクル(2022.05.07)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、このようなお嘆きをよく耳(眼)にします。


「過去の自作が陳腐(下手くそ)に見えて仕方がない……」


 この手の感覚、私とて例外ではありません。

 それどころか、実はすでにある程度成功なさっている創作者さんでもお感じになるようです。なので捉え方や向き合い方次第ではありましょうが、私なりにもご提示できる【仮説】があります。


 実のところ、この現象そのものは嘆くべきところばかり――とも限りません。


 考えてもみて下さい。同じもの(自作)を見ているはずなのに、「陳腐(下手くそ)に見え」る時、変わったものは果たして何でしょうか。

 過去の自作――ということはあり得ません。文章なら一言一句、線ならミクロンの違いすらなく、全く同一のもののはずです。

 肉体――ということもまずありませんね。例えば眼の見え方が多少違っていたところで、同じものが劇的に違って見えることは、ないはずです。

 では――ということで、つまり変化の起こっているところは【認識】ということになります。精神活動の領域ですね。


 『現場百遍』という言葉を、私はよく引き合いに出しますが。

 現場、言い換えれば【現実リアル】のシーンには、無限とも言えるほどの情報が詰まっています。法則然り、思想然り、あるいは込められた意味付けも然り、その場が辿った経過も然り。これら情報を全て見抜いて【認識】するのは、実質的に不可能です。

 そして人によって、そのシーンから読み取る情報は大きく異なります。文字や記号のように『大多数に意味を伝えることに特化した情報』でさえ、完全な伝達は望めません。それが何より証拠には、交通事故というものが存在します。標識の読み間違い、その配置に込められた意味付けなどなど、抜けなく読み取れるものなら事故に繋がるはずもありません。

 つまり物事を【認識】する能力には、明確な個人差があるのです。しかも量的なもののみではありません。得意不得意や好き嫌い、要は方向性に関するものにも個人差は存在します。


 このような背景があるわけですから、【認識】の能力を鍛えながら『現場百遍』を実行してみたなら、さてどうでしょう。

 【認識】の能力を鍛えれば鍛えるほど、同じ現場から読み取れる情報というものは、量にしても質にしてもどんどん向上していくのです。

 言うなれば、【観察眼】が鍛えられていくわけですね。


 さて、ここで。

 「過去の自作が陳腐(下手くそ)に見え」る現象に立ち返ってみましょう。

 『過去の自作』とは、つまりは一つの現場です。その現場が違って見えている――ということは、即ち【観察眼】に変化が起こっているということに他なりません。


 では、これは嘆くべきことなのか。


 私としては、この状態で、他作をよく観察してみることをお勧めしたいところです。可能なら、以前に観察したことのある、同じ作品を。

 個人的な経験則として、まず間違いなく『過去と現在では、全く同じには見えないはず』です。具体的には、解像度が違うはずです。「自作が陳腐(下手くそ)に見え」るなら、多少の差はあれ【解像度】が変化しているはずです――しかも、良い方に。

 文章なら、例えば作者の意図がより多く読み取れるようになっているとか。

 絵なら、例えば描線の存在意義がより多く読み取れるようになっているとか。

 こればかりとは限りませんが、要は【認識】できることがより多く、より深くなっているはずなのです。

 【観察眼】が成長している――というわけですね。創作に関する限り、ここは『【審美眼】が成長する』と言い換えるのが良さそうです。


 【審美眼】が成長しているわけですから、良いも悪いもより高精度で判別できるようになるわけです。それは『過去の自作を作った当時に気付かなかった、意図もしなかったことが見えてくる』ことを意味します。技巧や意味付けに抜けが見付かるわけですから、それは「陳腐(下手くそ)に見え」ても致し方ありません。


 ですが。

 こうなってくると、今度は物事の良し悪しも【解像度】高く【認識】できるようになります。

 つまり『何が【良い】かを、より深く理解できるようになっていく』のです。これは同じものを見ても差が現れます。

 この状態になれば、今度は『【良さ】の特徴』をより深く【認識】する機会が生まれてきます。新たに【良さ】を【認識】できるようになったからには、『なぜ【良い】のか』という理由を、自ら観察して【認識】するよう、自分を鍛えられるようになるわけです。


 そうなると、今度はさらに発展の可能性が見えてきます。

 『【良さ】の法則』を、自ら観察して【認識】する機会が生まれてくるのです。『どうしたら【良く】なるのか』――これは上達を志す創作者なら、喉から手が出るほど欲しい手がかりではありますまいか。これはつまり、『他人から教えられた攻略法』ではなく、自ら【認識】して手に入れた『生きた手がかり』です。意義も意味付けも【認識】していますから、役に立つ点では『他人から教えられた攻略法』など足元にも及ばないことになります。


 ここまで来たなら、後は自ら手を動かして『どうしたら【良く】なるか』の再現を試みるのみです。実際には『どうしたら【良く】なるのか』を模索する段階でも動かすことになりますが、プロセスとしては解りやすいと感じますので分けて記述しております。これで初めて【実力】が一段階向上するわけです。


 と、ここまでが一つのサイクルです。

 もちろん一サイクルごときで全てを網羅できるようになるほど、【現実リアル】も創作も底浅くはありません。ですがサイクルを回していくことで、次のステップへ進むことができるようになるわけです。つまり成長を前向きに実感できるわけですね。


 上記のサイクル、ざっとまとめますと下記のようになります。


1.【審美眼】が育つ:何が【良い】か、より理解できるようになる(=自作のアラが見えるようになる)

2.『【良さ】の特徴』を【認識】できるようになる:どこを直すべきか、『粗=【良さ】から外れた部分』を特定できるようになる

3.『【良さ】の法則』を認識する:『どう変えたら【良さ】を実現できるか』を【認識】できるようになる

4.【実力】が育つ:【認識】した【良さ】を再現できるようになる


 要は「過去の自作が陳腐(下手くそ)に見えて仕方がない」のは、つまり成長の証です。しんどくないと言えば嘘になりますが、それは成長のための痛みと捉えてもいいものでありましょう。


 なので、今日も今日とて次を目指す私なのでありました。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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