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055.【広報】の水面下(第3回)(2022.08.06)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、「【作品】の【広報】をどうしたものか」という旨のお悩みをよく耳に(眼に)します。

 そこで、ここしばらく【広報】を【我流】で掘り下げてきております。

 

 前回は、“優秀なセールスマン”を観察しつつ、その手法が“押し売り”型の【プロモーション】などではなく、『【顧客】(【観客】)を【満足】へ導くための【提案】』つまりはむしろ『口コミに近い【マッチング】』で、『“【顧客】(【観客】)の人生という【ストーリィ】”を豊かにしていく』接し方のアプローチである、と考えました。

 今回はここに【価値】の【認識】を絡めて、『【顧客】(【観客】)を【満足】へ導くための【提案】』としての【広報】の可能性を【考察】して参ります。よろしくお付き合いのほどを。


 ◇


 ここで、極めて【重要】な【認識】を。これも『【考察】:【価値】の背景』(2022.01.22.の活動報告)で展開した【考察】に通じることですが。

 『【満足】や【価値】の【本質】』とは、【商品】単体にあるのではありません。

 『【顧客】が“自分の人生という【ストーリィ】”に【商品】を取り込んだ、その場合に得られる【満足】もしくはその【期待】』にこそ、『【満足】や【価値】の【本質】』存在するのです。

 何よりその証拠として、以下の【事実】をご提示しましょう。


・【顧客】は、『存在すら知らない【商品】』には、何らの【価値】も【満足】も見出すことはない。

・同様に、【顧客】は『【自分】を【満足】へ導く【ストーリィ】』というものが思い描けない【商品】には、【期待】も【価値】も見出すことはない。

・ただし【だまされたと思って】【体験】してみて、『“自分の人生という【ストーリィ】”に【満足】が加わる』とひとたび【納得】したなら、その瞬間から【顧客】は【商品】の(予測される【満足】に応じた)【ファン】になる。


 いかがでしょうか。【顧客】の【行動原理】として『“自分の人生という【ストーリィ】”に加える【満足】をこそ望む』と【認識】してみたなら、納得のいくことも多く出てくるものと、私は推察します。


 ここまでにご提示した切り口から考えると、『【商品】や【作品】の【価値】』とは、【本質】的に『本体のみで完結して宿すもの』“ではない”ということが腑に落ちるのではないか――と私は考えます。

 【商品】や【作品】を『知らない状態から、知って【体験】するまでの【ストーリィ】』であるとか、『その存在を知ったきっかけから始まる、交流や気付きなど【作品周辺】まで含めた【体験】や【ストーリィ】』であるとかまでを含め、もちろん『所有の【満足】』まで含めて、『【作品】を通して“人生に組み込まれた【体験】”がもたらす【満足】』にこそ、人は【価値】を覚え得るわけですから。つまり『【商品】(【作品】)単体による【体験】のみではなく、“優秀なセールスマン”を通して得た【提案】といった【周辺体験】まで含めての【体験】による【満足】』こそが、【顧客】には【価値】として【認識】されるわけですね。


 もちろん【周辺体験】が重要だからといって、【商品】(【作品】)本体による【満足】をおろそかにしていい理由はありません。

 例えるなら、『いかに素晴らしい料理であろうとも、実際に口に入れずして味わうことはできない』ということでもあるわけですから。つまり【作品】で申し上げるなら、【周辺体験】をいくら仕入れようとも、『【作品】本編そのものという【体験】』は、実際に本編そのものを見なければ楽しむことはできない、ということでもあるわけです。

 これ、言葉を変えれば『【作品】という【体験】は、実際に観賞して初めて“自分の人生という【ストーリィ】”に取り込むことができる』ということでもあります。

 ただ誤解してならないのは、『【周辺体験】は、【作品】単体の【魅力】を強力に増幅する存在でもある』――という【事実】です。『【作品】単体による【体験】と【周辺体験】との合わせ技で、【作品】全体から受ける【満足】は大いに増幅され得る』という【可能性】、『【作品】を通した【体験】全体』を考慮するに、この【可能性】を取り込んだ方が強く支持されやすいであろうことは、容易に想像できますね。


 この辺りは【価値】に関する【考察】(2022.01.22.、01.29.、02.05.の活動報告)に詳述させていただいているわけですが。つまり【広報】とは『【作品】の存在を知らしめるツール』でもあるのですが、同時に【観客】にとっては『【作品】に関わることで得られる一連の【周辺体験】の一環』でもあるわけです。

 これが意味するところ、【広報】とは一面の【事実】として、『【作品】とその【周辺体験】によって【観客】に【満足】を提供する、言うなれば【総合世界観】という【体験】の一翼』でもあるということです。つまり【広報】とは『【観客】が、【作品】を含めた【総合世界観】を【体験】する入口』でもあることを忘れてはならない――そういうことになります。


 ◇


 さて、今回は一旦ここまで。

 『“自分の人生という【ストーリィ】”に取り込んでこその【価値】』と考えてみた時、『【作品】の【周辺体験】までを一括りの【体験】とする』考え方にも可能性が、しかも小さくない可能性が見えてくることと考えます。次回はこの『一括りの【体験】』を【広報】へ結び付けていくことを【考察】して参りましょう。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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