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048.文章のスピード感と執筆速度(2021.08.14)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、スピード感やテンポ感を持って読める文章が大好きです。


 元が脳内で音声化しながら読むタチでもあり、『音読して心地よい文章』というものは間違いなく存在します。また文章のみならずラジオ・ドラマや朗読も含めた体験で“スピード感”を体感した経験もありますことから、『文章による“スピード感”の表現』、これの可能性を私は疑っておりません。

 また、時折耳にします“ライヴ感”であるとか“疾走感”に関しましても同様です。私はこういった要素を文章から感じ取ったことが往々にしてありますし、やはり同様に『文章による“ライヴ感”、“疾走感”表現』の可能性を信じてもおります。


 一方で、このようなお悩みを伺ったことも一度や二度ではありません。

 いわく――「脳内イメージの“スピード感”をリアル・タイムで文章に転写したいのに、どうしてもうまくいかない」。

 さらに深く伺ってみますと、一様にいわく――「脳内イメージの“ライヴ感”や“疾走感”を保ったまま文章を生成したいのに」。


 このようなお話を受けまして、以下に持論を展開してみます。


 実は執筆速度というもの、先述の“スピード感”、“ライヴ感”、“疾走感”といった『観客の速度感』と一致する――『とは限らない』というのが、私が一作家として痛感するところです。


 もちろん、『観客の速度感』とシンクロするような速度で執筆できる作者も存在するのでありましょうから、ここはあくまで私見と持論の範囲を出ないわけですが。


 私的な感覚とお断りした上で申し上げますなら、「『観客の速度感』と執筆速度は相反する傾向にある」というのが正直なところ。反比例とまではいかずとも、『流れるような文章ほど、作者は頭を駆使し悶絶しながら描いている』というのが偽らざる感覚です。


 顕著な例として挙げますのが『映画の速度感』。あれは『ぶっつけ本番100%』などでは決してありません。

 変幻自在の表現から「これぞ!」という一つを持ってきて形成される演出、その場の要素を緻密に計算したシナリオ作り、稽古を始めとした入念なタイミング取り、迫力や躍動感を映し取らんとするカメラ・ワークの妙、分割撮影した映像を繋ぎ合わせる編集の技、さらには各方面の絶え間ない実践研究――こういった『裏の膨大な積み上げ』があって初めて醸される“スピード感”、“ライヴ感”、“疾走感”であるわけです。


 よって私の持論は、「“スピード感”や“ライヴ感”、あるいは“疾走感”といった感覚は、『作り込みで【再現】可能』」と申すもの。

 もちろん『書く時の筆の“勢い”』で『流れるような文章』を実現するのは不可能ではありますまいが、むしろ特殊な能力を要する技でありましょう。


 その一方で“鮮度”という概念もあります。

 脳内に浮かんだ、“勢い”とでも申すべきもの――私なりに言語化を試みるなら、最初に思い浮かべた時の【ワクワク】というものが相当する感覚、これを文章として出力したい――という場合もあるわけですね。

 ただし私としての持論は、『“鮮度”や【ワクワク】』を具体的に見据えて言語化し、表現手法の一環として吸収して、それで初めて(安定的に)作品へ込め得る』と申すもの。

 そうでなくても可能ではありましょうが、やはりまぐれ当たりか特殊な能力か、いずれにせよ【再現性】に関しては難しいところの残る話ではあります。


 では、私は【再現】をどう考えるのか――というお話になりますが。


 例えば“スピード感”を『私が感じやすい文章』というものがありますが。これにおおむね共通する点を挙げてみましょう。


 1.音の無駄が削られ、テンポが整えられている

 2.単語の配置が視覚イメージ(カメラ・ワーク)を誘導しやすい(邪魔しない)


 これを連ねた長文を一発書き『だけ』で実現するのは、例えるなら俳句や和歌を一発書き『だけ』で『大量に書き続けること』にも等しい離れ業です。不可能とは申しませんが、安定的に【再現】しようとするのは、あまりお勧めできるものではありません。


 そのように考える私が各感覚を自分なりに捉えるとするなら、下記のようなことになります。


・“スピード感”:音のリズムやテンポを脳内イメージ(カメラ・ワーク)に沿わせ、またその脳内イメージそのものにスピードを示す表現を施した“スピードの演出”。一文の中に計算しつつ込めた“勢い”で【再現】するもの。

・“ライヴ感”:その場に居合わせているような“臨場感”。登場人物の芝居や、周辺で起こる現象のリアリティ描写(説明ではなく)などで【再現】するもの。

・“疾走感”:短期間の中でイヴェントが立て続けに起こる(例えば状況が二転三転する)、イヴェントの“密度感”。次々と展開する状況描写で【再現】するもの。


 いずれにせよ【作者】としては“作り込み”で【再現】するものですが、もちろん原体験としてのものも存在します。それは頭に浮かんだ瞬間もさることながら、【観客】として観た『作品の一部分』が多々あるもので。

 そうなると、その『作品の一部分』がいかにして作り上げられたか――その背景に思いを馳せてみるのもまた一興。【再現】を試みる上では、『作品の一部分』に込められた技術の数々を観察してみるのも一つの手と言えそうです。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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[良い点] > 実は執筆速度というもの、先述の“スピード感”、“ライヴ感”、“疾走感”といった『観客の速度感』と一致する――『とは限らない』というのが、私が一作家として痛感するところ これ、本当にお…
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