046.【描写】を構築する【工程】、その舞台裏(第3回)(2022.06.18)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、以前の記事『015.描写を構築する【工程】(201.03.20)』(※1)で『【作者】の脳内イメージを【描写】として出力するまでには、経るべき【工程】がある』ということをお話ししました。
これはよく耳に(眼に)するお悩み、『動き(アクション)の【描写】が苦手』、『情景の【描写】が苦手』というものにお応えする形で【我流】の考えを整理したものです。
先回よりこの『【描写】を構築する【工程】』、その舞台裏に私が置いております考え方や、その発展についての【考察】を展開しております。
今回はその第3回。
前回は『【描写】を細分化する』という考え方、【描写】を構築する上では、【考察】を巡らせるほどに強力な武器となりそう――という、私の個人的な考えについてお話ししました。
今回は、この『【描写】を細分化する』という考え方を掘り下げて【考察】してみます。
よろしくお付き合いのほどを。
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ここで、『【描写】を細分化する』のをお勧めする根拠を、以下にご【提示】してみましょう。
まず先述のように、『ヒトを始めとした動物は、そもそも広範囲を一度に【認識】できない』わけです。
広い範囲を【認識】しようとすれば、一つ一つの【認識】ぼやけますし、一つ一つの【認識】を詳しく深くしようとするなら、今度は【認識】できる範囲は狭くなります。
なぜ一度に多くを【認識】できないか――という疑問を持ってみる時、私は一つの【仮説】に思い当たります。
一度に多くを【認識】できない理由は恐らく単純明快、『さもないと情報量に溺れるから』ではないのでしょうか。
我が身を振り返ってみれば納得もいくのですが、一度に大量の情報と接してしまった場合、まず間違いなく『どれに重点を置くべきか』という優先順位付けの段階から意識は混乱します。しかも情報は次から次へと流れ込んでくるので、立ち直る余地がありません。これで外敵を前にしては、風前の灯というものですね。
このような事態を防ぐには、そもそも『情報の流入量を絞る』しかありません。つまりは『情報を【認識】する前に、「そもそもどういう情報を追いかけるか」の優先順位を、【本能的な基準】を元に予め決めてある』わけです。
これは『ヒトが【認識】を行うにおいても、【焦点】というものが存在する』ということを意味します。
であれば、そもそも『【観客】の意識の向く先』というものにしてからが、『あたかもカメラの【焦点】を動かすように、意識の向く先(【認識】の【焦点】)も動かさないことには、広域を【認識】することはできない』という現象にも納得がいくというものです。
同時にこの場合、『【認識】の優先順位を決める【本能的な基準】』を知れば、【観客】の『【認識】の【焦点】』を“誘導”することも可能になる――ということになります。
では、この『【認識】の【焦点】』はどう動くのか――というところに思いを馳せてみると。
ヒトを含む動物の眼は、一般的に『動くものを検出する』ことをより得意としています(※2)。恐らくは外敵や餌としての動物を【認識】することが優先されているためでありましょうね。
この辺り、『映像で静物(動体ではなく)を捉える技法』もまた大いに参考となりそうです。
カメラを構えてみれば痛感できることですが、映像は感覚ほど視野角を取れるものではあろません。また同時に、構図などで『【認識】の【焦点】』が定まらないと【つまらない画】になりがちでもあります。こういう背景からしても、学べる要素は少なくないはずです。
ここに動物の【認識】パターン(動体により強く反応する)を応用してみたら、さてどうでしょう。あるいはMpeg動画圧縮の情報抽出コンセプト(差分検出)も参考になります。
つまりここで、私は『静物に対して【映像の動き】を作ればいい』という【発想】を思い浮かべるのです。
即ち『対象物が動かないなら、カメラや【焦点】の方を動かしてしまえばいい』と。
このような【発想】を念頭に置きながら、【観客】としての眼で『【評価】の高い映像【作品】』を観てみますと。
【作品】内で真っ先に眼が行く、つまりは意識を向けたくなるものが、意図的に配置されているのが理解できます。【作品】内の前後関係から、私はこの『意識を向けたくなる』ものは【演出】上の『【認識】の【焦点】』、という【経験則】を得ました。画面内で目立って動いていたり、あるいはカメラがその【焦点】を追いかけていたりと、状況は様々ではありますが、『意識を向けたくなるもの』は決まって【演出】上の『【認識】の【焦点】』です。
つまり【観客】の『【認識】の【焦点】』は、即ち『【描写】の(カメラの)【焦点】』に合わせて『【演出】で【動く】よう“誘導”できるもの』です。
ならば、【描写】上の(カメラを含む)【動き】と『【認識】させたい【焦点】』をシンクロさせるように【演出】すればいい――ということになります。
さて、この事実を念頭に置いた時。
『【描写】を媒体にエンコードする【工程】』で『【表現】を分散させて【認識】のハードルを下げる』、という考え方の裏付けが完成します。
『ヒトが一度に【認識】できる情報』が限定的であるなら、『【認識】の【焦点】』を【動かせ】ばいいのです。【動かす】という前提を設けるからには、一瞬一瞬の『【認識】の【焦点】』は小さくまとめ得るということです。また同時に【動かす】からには、この小さい『【認識】の【焦点】』は『空間上に軌跡を描く』、言い方を換えれば『空間上に【分散】させた』ことになります。さらには【動かす】ことで、『【本能的な基準】に基づき意識を強く惹き付ける』ことにも繋がるわけです。
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【注】
・※1.『【エッセイ版】私はコレでできている ~中村尚裕の活動報告より~』に収録『015.描写を構築する【工程】(201.03.20)』
https://book1.adouzi.eu.org/n8899eg/17/
・※2.人間の眼を模倣した、動くものを検知する光学センサーを開発――人工知能の能力を最大限に発揮(『FabCrossエンジニア』より)
https://engineer.fabcross.jp/archeive/210201_human-eye.html
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さて、今回は一旦ここまで。
この辺りの【考察】を深めていくと、『優れた映像』というものがいかに『【認識】という現象の【原理原則】』を押さえているか――ということに思い至ります。
次回は【考察】のまとめとして、こういった考え方が成立するであろう背景について、改めて考えを巡らせてみます。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。




