035.【考察】:【価値】の背景(2022.01.22)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
私、このところ【価値】というものについてよく考えております。
【価値】を感じれば人は手を伸ばし、感じなければ手を伸ばさないであろう――ということは想像しやすくはありますが。
では、そもそも人が【価値】を感じる背景はどうなっているのか――という素朴な疑問を考察してみます。
さて。
人が物事に興味を持ち、あまつさえ代償(金銭、時間、労力を含む)を払うに当たっては、当然のように動機があるはずです。
この辺り、購買の成立する背景が参考になりそうです。
「顧客は【満足】を買っている」
これはピーター・ドラッカー氏のお言葉です。
ここで「え、買っているのは商品でしょ?」という疑問が出てきそうでもありますが。ドラッカー氏は、こう続けて述べています。
「しかし誰も、顧客【満足】そのものを生産したり供給したりはできない。『【満足】を得るための手段』を作って引き渡せるにすぎない」
要するに、商品は『【満足】を得るための手段』であって、【満足】そのものではない――と言えることになりますね。
顧客は『【満足】が得られること』を【期待】して、その手段としての商品に興味を持ち、あるいは購入に至る――というわけです。ただしここで、『【満足】が得られること』は【期待】であって確約ではないところに注意が必要そうではあります。
さて、創作に関わる身としては『顧客→【観客】』と読み替えることもできますね。もちろん商品、つまり『【満足】を得るための手段』というのは【作品】に置き換えられるわけです。購入は『代償(金銭、時間、労力を含む)を払って【作品】を観賞する行為』ということになりますね。
つまり顧客や【観客】に求められているのは【作品】それ自体ではなく、『【作品】を通じて得られる【満足】』――ということになります。
ここで重要な【持論】を。
【満足】とは、【体験】を通じて初めて得られるものです。この【体験】とは『人生の一部』と捉えることができますね。
この考え方、商品を【作品】と読み替えると違和感は生じにくいものと思われますが、これは物体であっても通じます。
なぜなら物事それ自体では『人生の一部』たり得ず、当の本人が自ら観て、聴いて、触れて、体感して、その【体験】を通じて初めて物事を『人生』に取り込めるからです。その証拠に、その人が存在を知りもしない物事は、『人生の一部』にはなり得ません――例え存在していようとも。【体験】というものは、物事を『人生の一部』として取り込むために必須の接点なのです。
ここで【体験】にこだわったのには、理由があります。
【満足】に繋がる【体験】とは、物事それ自体に留まりません。例えば物事に対する【期待】も【体験】の一部ですし、あるいはその物事を巡る話題に加わることも立派な【体験】の一部です。製品化に至るまでのプロセスをともにして一喜一憂するのも【体験】のうちですし、遂には【作者】と交流を持つのも【体験】といえます。
もちろん物事の所有も【体験】の一部です。所有を通じて眺めたり触ったりした経験は重要な【体験】といえましょう。ただしそれが【体験】の全てではない、ということです。
そうやって認識してみると、商品や【作品】にまつわる【体験】というのは、全てが【満足】に関わる評価対象――と考えることができるわけです。
となると、商品や【作品】本体を直接【体験】する前の段階でも、【体験】は生じているわけです。例えば【期待】に胸躍らせるのも、立派な【体験】というわけです。
そこで、一歩踏み込んだ【仮説】を。ここで【価値】の認識が出てきます。
・【仮説】:【価値】とは、『自分の人生という【体験】』に加わる『【満足】の大きさ、またはその【期待値】』
ただし、
・【期待値】
=『「【体験】により得られる」と【認識】する【満足】の大きさ』
×『【満足】が得られる【可能性】』
要は、こういうことです。
【満足】には、大きく分けて2種類あるわけです。過去や現在において物事に触れる(触れた)【体験】の実績によるものと、未来の【体験】に対する【期待】とそこに付随する【体験】ですね。
で、人が【価値】を感じるのは、『【満足】の大きさ』と『【満足】が得られる【可能性】』の『掛け算』というわけです。【満足】が小さければ、確実に得られると思っても【価値】は大きく感じられませんし、逆に巨大な【満足】が予想できるなら、可能性が比較的小さくとも【期待】をかける人が出てくるという。
この辺りは、その人の【価値観】が大きく関わってくることになりますね。そもそも【認識】が人によって違いますから。
傾向としては、流行に先んじたい人は『【満足】の大きさ』に重きを置き、流行を後から追いかけたい人は『【満足】が得られる【可能性】』に重きを置いている――と捉えることができそうです。
という背景が、【価値】の裏には存在するのではないか――という、これは【考察】なのです。ここから派生して、また新たな【考察】を展開できそうではありますね。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。




