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222.【誤解】経由【理解】ゆき(第8回)(2025.08.23)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 さて私、このところ『“【誤解】の【余地】のない【表現】”を目指したくなる【心理】』について考えております。


 実際のところ、“【誤解】の【余地】のない【表現】”というものを望む【作者】は少なくないようです。

 ですが【観客】も【作者】も【人間】で、【人間】であるからには【多様性】を持ちます。しかも【他人】の【思考】は覗けません。

 となれば【作者】と【不特定多数】の【観客】の間で【思考】を【完全一致】させるなど、【事実上不可能】です。


 もちろん【定義】を【共有】することは【可能】です。が、これは【高等数学】や【法律】にも【匹敵】する【ハードル】を越えてのことです。相応に【膨大】な【背景情報】を【共有】し、しかも【事実】のみを扱うことになります。

 【表現】としては【記事】や【文書】に近く、従って【創作】、特に【物語】とは極めて【相性】が悪いということになりそうですね。


 もちろんその一方で、“【現状】に【安住】せず【前進】する【姿勢】”とその【過程】には、むしろ大いに【存在意義】と【価値】があるものです。


 ただ【我流】では、「【誤解】されたくない」という【心理】が、往々にして『【過程】を飛ばして【ゴール】に至りたい』という【姿勢】に結び付いてしまうところもよく【観測】するところです。


 『【誤解】される』、『【理解】されない』というものは、もちろん気分のいいものではありません。なので“【誤解】を【回避】したい【動機】”の【存在】そのものは、私としても【否定】しません。


 ただし『【記述】したこと以上の【意味付け】を【理解】されたい』という【願望】が加わると、話が変わります。


 「【記述】したこと以上の【意味付け】を【観客】に読み取ってもらいたい」という【願望】は、【作者】が【観客】に【文面】以上の【拡大解釈】を【期待】する【言葉】です。これは『【作者】が“【誤解】の【余地】”を【表現】に持たせること』に他なりません。

 「【誤解】されたくない」と語っておきながら、“【誤解】の【余地】”を除くどころか「【都合】よく【表現】を【誤解】してほしい」というならば、その【作者】の【姿勢】は【不誠実】ということになりますね。


 もちろん【誤解】に伴う【不快】な【経験】もあるでしょう。実際、“【積極的】に【誤解】する【姿勢】”も見られます。

 ですがそれは“【不快】な【誤解】を示す【観客】”に対する【向き合い方】の【問題】です。【誤解】の【きっかけ】となる【表現】の【問題】ではありません。

 つまり『誰を“【観客】にしない”か』は極めて【重要】な【命題】ということになります。


 その上で、私の考えは『【誤解】を受け入れる』というものです。


 『【誤解】を【回避】したいなら、まずは【誤解】を【観察】するところから』ということですね。


 私なりに【理解】の【プロセス】を振り返ると、何もないところから【理解】がいきなり【発生】することはほぼありません。つまり【圧倒的大多数】の場合においては『【理解】の【前段階】には、【背景知識】が【ゼロ】ではないにしろ【不充分】な、“【理解未満】という【誤解】”の【状態】が【存在】する』ということになります。


 ということは、“【理解】へ至る【誤解】”、言い換えれば“【前段階】の【理解】”とでも称すべきものが【存在】するわけです。


 これを踏まえて私の【感覚】を【言語化】するなら、『【理解】とは、【自分】の中にある【イメージ】を【組み立てて】、【理解】に【相当】する【イメージ】を【完成】させること』というところです。

 この【感覚】はもっと【深掘り】できますが、それはもっと後のこととしましょう。ここでは私の【認識】として『【理解】とは【組み立てて】、【完成】させるもの』とだけ【記憶】しておいて下さい。


 この【組み立て】という【感覚】を元に、【誤解】や【理解】という【現象】を見てみますと。


 【理解】への【過程】に【組み立て】という【感覚】を持ち込んでみれば、【パーツ】というものが【存在】することになります。


 ここで『【パーツ】は“【前段階】の【理解】”、しかもいくつもある』と考えてみて下さい。すると【パーツ】が揃い、かつ【組立説明書】に【相当】する【気付き】が加わって、そこから【組み立て】を経て、ようやく【理解】が【完成】することになります。


 であれば、『何もないところに、いきなり【理解】を【出現】させようとすると【不利】』ということになります。これは『“【前段階】の【理解】”に当たる【パーツ】としての【誤解】の【存在】は、むしろ【肯定】した方が【理解】のためには【有利】』ということでもありますね。

 そして“【前段階】の【理解】”として【誤解】の【存在】を認めるなら、『【理解】には【歩留まり】がある』ということも見えてきます。『【誤解】するな、というのは【無理難題】』というわけです。


 その上で、『上手い【組み立て方】がある』のも【事実】です。ならば『上手い【表現】は、上手い【組み立て方】を押さえた作りになっている』ということになりますね。そしてそのための【仕込み】があることも【想像】することができます。


 【理解】を組み立てやすくするための【仕込み】、と捉えてみれば、【パーツ】に相当する“【前段階】の【理解】”について考えておく【価値】もあろうというものです。


 そもそも【理解】のための【仕込み】であるからには、【パーツ】である“【前段階】の【理解】”は、【そのものズバリ】ではないにしろ【理解】に近しいものである【必要】はあります。


 また【観客】は【多様】ですから、【読解力】もまた【多様】です。

 【誤解】のみならず【見落とし】もあります。


 同様に“【理解】の【過程】”もまた【多様】です。

 であれば【パーツ】即ち“【前段階】の【理解】”もその【組み立て方】も【複数】、と【冗長性】を【意識】しておくのがよさそうです。


 そう踏まえてみれば、『1の【理解】を得るためには、10を語れ(【表現】せよ)。10を語る(【表現】する)ためには、100(の【背景知識】)を知れ』という【経験則】にも【説得力】を感じるものです。


 少なくとも【理解】を求める上では、これだけの【仕込み】として“【前段階】の【理解】”を込めるつもりで臨むのが【現実的】でありましょうね。


 前回はこの“【前段階】の【理解】”について【考察】を巡らせてみました。


 “【前段階】の【理解】”を仕込む、という【考え方】に立ってみると、そのものズバリの【理解】の一歩【手前】に【類義語】という【概念】が見えてきます。

 また【辞書】という【概念】も見えてきますね。


 これらが【意味】するものは、“【次善】の【表現】”というものの【存在】と、『【表現】を重ねることで【同等】の【意味】を【表現】できる』という【事実】です。

 さらに【辞書】が示すのは『より多くの【表現】を用いれば、元の【表現】を【言い換える】ことができる』という【事実】と、さらに『【言い換え】は一つとは限らない』という【事実】です。


 これらを【総合】すると、は『一つの【意味】に行き着く【表現】に、【選択】の幅がある』ということになります。これは『“【次善】の【表現】”を【重ね合わせる】こと』ですが、同時に“【前段階】の【理解】”を積み重ねて【理解】を目指す上で役立つはずですね。また、そこには『【表現】を【一言】で【完結】させないがゆえの【利点】』もまた生まれてきます。


 今回はこの【利点】について考えてみましょう。


 ◇


○【流れ】と【理解】


 さて先ほど『(【表現】を)【一言】で【完結】させないがゆえの【利点】』と、私は申し上げました。


 また先述した中に、“【次善】の【表現】”を【複数】用いる【手段】を語りましたが、私はこの中で【重ね合わせ】という【表現】を用いています。


 もちろん、これには【理由】があります。

 ただ、一言では表しにくいことです。ここは順を追ってお伝えしていきましょう。


 まず“【厳密】な【理解】”を求める【表現】においては、往々にして【作者】は【単語単位】で【観客】に【理解】を求めがちです。

 もちろんこの場合、【理解】とは“【厳密】な【理解】”です。そうなると、【単語】ごとに【ピン・ポイント】で【意味】が【確定】されていくことになります。

 

 さて、この【事実】を念頭に置いていただいた、その上で。


 【歴史】の【授業】を思い起こしてみてください。

 いつ、どこで、何が起こった、という【歴史的事実】を【年号順】で【ピン・ポイント】に並べていく――というのは、よく見かける【授業スタイル】です。

 が、よほどの【工夫】がないと【退屈】になりがちで、また同時に【記憶】に残りにくくもなりがちです。


 【授業スタイル】としては他にもありますね。

 【歴史的事実】の数々に【関連性】や【因果関係】を絡め、【物語】のように魅せていく――というものです。

 こちらは【教師】の【実力】次第で、大変面白くなりますね。【記憶】にもよく残る場合が見られます。【歴史】に詳しい方が【記憶】している形式も、【物語】(あるいは【エピソード】)である場合が多い【印象】です。


 私として【着眼】していただきたいのは、“【厳密】に【ピン・ポイント】な【事実】”の数々と、“【物語】として【流れ】を与えられた【事実群】”との【対比】です。


 【前者】は『【事実】一つごとに【ピン・ポイント】に“【厳密】な【理解】”が【完結】するよう求める【考え方】』です。

 この【考え方】の【言語化】を試みると、「この【事実】一つ一つで、【背景情報】を全て【理解】せよ」というところですね。もちろん、【単語】一つの【誤解】や【見落とし】があっても、“【厳密】な【理解】”は【成立】しません。

 しかもこの“【厳密】な【理解】”に伴う【負担】が、【作品全体】に渡って【観客】に求められ続けるわけです。


 【後者】は【物語】と同様に、【関連性】や【因果関係】で互いを補い合う【事実群】が、比較的長い【スパン】で徐々に【理解】を【形成】していくことになります。

 【物語】の【進行】とともに【関係】の深い【事実関係】から【焦点】が当てられていき、【観客】の頭の中で徐々に【事実関係】の【ネットワーク】が【構築】されていく――というわけですね。

 であれば多少の【見誤り】や【見落とし】があっても、他の【事実関係】から【補完】される形も含めて【理解】が【成立】しやすくなるわけです。

 こういう形なら【観客】としても【誤解】や【見落とし】の【リカヴァリィ】が利くことになりますし、それゆえに【理解】のための【負担】は軽くなります。


 ここで、【重要】な【事実】があります。


 【小説】は【物語】の一種です。“【物語】として【流れ】を与えられた【事実群】”との【相性】が【良好】であろうことは、【想像】に難くありません。


 逆に、“【厳密】に【ピン・ポイント】な【事実】”【単体】には、【物語】のような【流れ】はありません。その場で【単体】で【情報】も【理解】も【完結】するからです。

 つまり【ピン・ポイント】に“【厳密】な【理解】”を求め続ける場合、【物語】は込めにくく、従って【物語】である【小説】との【相性】は、必ずしも【良好】とは限らないことになります。

 もちろん【不可能】ではないにしろ、【流れ】を用いた【表現】で【不利】を抱えることになりますから、【表現】の【難度】が高くなるであろうことは【予想】に難くありませんね。


 ◇


 さて、今回は一旦ここまで。


 【歴史】の【授業スタイル】を振り返ってみるとき、【歴史的事実】一つ一つを【ピン・ポイント】に並べていく【やり方】と、【歴史的事実】の数々に【関連性】や【因果関係】を絡め、【物語】のように魅せていく【やり方】、主に二つが思い浮かぶものです。

 そして【理解】の【ハードル】は、【後者】の方が低くなりやすいようですね。


 【我流】で観るところ、【前者】は“【厳密】な【理解】”を求める【説明】、【後者】は【事実群】の【関連性】や【因果関係】で互いを補い合い“【理解】を【形成】する”【物語】という【構造】が窺えます。

 つまり【物語】、言い換えると『“【次善】の【表現】”を【複数】用いて、(【表現】を)【一言】で【完結】させない【やり方】』では、徐々に【観客】の頭の中で【事実関係】の【ネットワーク】が【構築】されていく――と観ることができるわけです。


 であれば【誤解】や【見落とし】を【リカヴァリィ】できる【物語】は、【最終的】に“【理解】を【形成】する”上で【非常】に【有利】と申せましょう。

 この【構造】は、“【厳密】な【理解】”を求める【説明】では生み出せないものです。そこには【物語】のような【流れ】がないからです。


 そして【小説】は【物語】ですから、『“【次善】の【表現】”を【複数】用いて、(【表現】を)【一言】で【完結】させない【やり方】』が【利点】を持つことになりますね。


 次回は、この“【次善】の【表現】”がもたらす【利点】をさらに掘り下げてみましょう。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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