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221.【誤解】経由【理解】ゆき(第7回)(2025.08.16)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 さて私、このところ『“【誤解】の【余地】のない【表現】”を目指したくなる【心理】』について考えております。


 実際のところ、“【誤解】の【余地】のない【表現】”というものを望む【作者】は少なくないようです。

 ですが【観客】も【作者】も【人間】で、【人間】であるからには【多様性】を持ちます。しかも【他人】の【思考】は覗けません。

 となれば【作者】と【不特定多数】の【観客】の間で【思考】を【完全一致】させるなど、【事実上不可能】です。


 もちろん【定義】を【共有】することは【可能】です。が、これは【高等数学】や【法律】にも【匹敵】する【ハードル】を越えてのことです。相応に【膨大】な【背景情報】を【共有】し、しかも【事実】のみを扱うことになります。

 【表現】としては【記事】に近く、従って【創作】、特に【物語】とは極めて【相性】が悪いということになりそうですね。


 もちろんその一方で、“【現状】に【安住】せず【前進】する【姿勢】”とその【過程】には、むしろ大いに【存在意義】と【価値】があるものです。


 ただ【我流】では、「【誤解】されたくない」という【心理】が、往々にして『【過程】を飛ばして【ゴール】に至りたい』という【姿勢】に結び付いてしまうところもよく【観測】するところです。


 『【誤解】される』、『【理解】されない』というものは、もちろん気分のいいものではありません。なので“【誤解】を【回避】したい【動機】”の【存在】そのものは、私としても【否定】しません。


 ただし『【記述】したこと以上の【意味付け】を【理解】されたい』という【願望】が加わると、話が変わります。


 「【記述】したこと以上の【意味付け】を【観客】に読み取ってもらいたい」という【願望】は、【作者】が【観客】に【文面】以上の【拡大解釈】を【期待】する【言葉】です。これは『【作者】が“【誤解】の【余地】”を【表現】に持たせること』に他なりません。

 「【誤解】されたくない」と語っておきながら、“【誤解】の【余地】”を除くどころか「【都合】よく【表現】を【誤解】してほしい」というならば、その【作者】の【姿勢】は【不誠実】ということになりますね。


 もちろん【誤解】に伴う【不快】な【経験】もあるでしょう。実際、“【積極的】に【誤解】する【姿勢】”も見られます。

 ですがそれは“【不快】な【誤解】を示す【観客】”に対する【向き合い方】の【問題】です。【誤解】の【きっかけ】となる【表現】の【問題】ではありません。

 つまり『誰を“【観客】にしない”か』は極めて【重要】な【命題】ということになります。


 その上で、私の考えは『【誤解】を受け入れる』というものです。


 『【誤解】を【回避】したいなら、まずは【誤解】を【観察】するところから』ということですね。


 私なりに【理解】の【プロセス】を振り返ると、何もないところから【理解】がいきなり【発生】することはほぼありません。つまり【圧倒的大多数】の場合においては『【理解】の【前段階】には、【背景知識】が【ゼロ】ではないにしろ【不充分】な、“【理解未満】という【誤解】”の【状態】が【存在】する』ということになります。


 ということは、“【理解】へ至る【誤解】”、言い換えれば“【前段階】の【理解】”とでも称すべきものが【存在】するわけです。


 これを踏まえて私の【感覚】を【言語化】するなら、『【理解】とは、【自分】の中にある【イメージ】を【組み立てて】、【理解】に【相当】する【イメージ】を【完成】させること』というところです。

 この【感覚】はもっと【深掘り】できますが、それはもっと後のこととしましょう。ここでは私の【認識】として『【理解】とは【組み立てて】、【完成】させるもの』とだけ【記憶】しておいて下さい。


 この【組み立て】という【感覚】を元に、【誤解】や【理解】という【現象】を見てみますと。


 【理解】への【過程】に【組み立て】という【感覚】を持ち込んでみれば、【パーツ】というものが【存在】することになります。


 ここで『【パーツ】は“【前段階】の【理解】”、しかもいくつもある』と考えてみて下さい。すると【パーツ】が揃い、かつ【組立説明書】に【相当】する【気付き】が加わって、そこから【組み立て】を経て、ようやく【理解】が【完成】することになります。


 であれば、『何もないところに、いきなり【理解】を【出現】させようとすると【不利】』ということになります。これは『“【前段階】の【理解】”に当たる【パーツ】としての【誤解】の【存在】は、むしろ【肯定】した方が【理解】のためには【有利】』ということでもありますね。

 そして“【前段階】の【理解】”として【誤解】の【存在】を認めるなら、『【理解】には【歩留まり】がある』ということも見えてきます。『【誤解】するな、というのは【無理難題】』というわけです。


 その上で、『上手い【組み立て方】がある』のも【事実】です。ならば『上手い【表現】は、上手い【組み立て方】を押さえた作りになっている』ということになりますね。そしてそのための【仕込み】があることも【想像】することができます。


 そこで前回は【理解】を組み立てやすくする【仕込み】について、【考察】を巡らせてみました。


 【理解】を組み立てやすくする【仕込み】、と捉えてみれば、【パーツ】に相当する“【前段階】の【理解】”について考えておく【価値】もあろうというものです。


 そもそも【理解】のための【仕込み】であるからには、【パーツ】である“【前段階】の【理解】”は、【そのものズバリ】ではないにしろ【理解】に近しいものである【必要】はあります。


 また【観客】は【多様】ですから、【読解力】もまた【多様】です。

 【誤解】のみならず【見落とし】もあります。


 同様に“【理解】の【過程】”もまた【多様】です。

 であれば【パーツ】即ち“【前段階】の【理解】”もその【組み立て方】も【複数】、と【冗長性】を【意識】しておくのがよさそうです。


 そう踏まえてみれば、『1の【理解】を得るためには、10を語れ(【表現】せよ)。10を語る(【表現】する)ためには、100(の【背景知識】)を知れ』という【経験則】にも【説得力】を感じるものです。


 少なくとも【理解】を求める上では、これだけの【仕込み】として“【前段階】の【理解】”を込めるつもりで臨むのが【現実的】でありましょうね。


 今回はこの“【前段階】の【理解】”について【考察】を巡らせてみましょう。


 ◇


○【考察】:“【前段階】の【理解】”


 さて、“【前段階】の【理解】”の【仕込み】、という【考え方】に立ってみると。


 そのものズバリの【理解】の一歩【手前】に、一例として【類義語】という【概念】が見えてきます。【意味】を考えるに【最善】とまではいかないものの、【次善】に近い【意味合い】をもつ【概念】ですね。


 これが【意味】することは、『一つの【意味】を表す【表現】は、必ずしも一つとは限らない』ということです。


 もちろん【単語】単位での【精度】はありましょうが、それにしたところで【表現】の【分量】を【単語一語】に【限定】しなければならない法はありません。

 同じ【意味】を表すにしても、【表現】としてそこそこの【分量】を認めさえすれば、【選択肢】は格段に拡がるものです。


 その【顕著】な【実例】が、【辞書】というものの【存在】でありましょう。


 これも【類義語】の【考え方】に通じますが、『【辞書】の【機能】そのものは、一つの【意味】を言い換えることで【成立】している』わけです。


 これは『【単語一語】という【長さ】にこだわらなければ、【同等】の【意味】を持つ【表現】に置き換えることは【可能】』ということを【意味】します。


 さらに、これだけではありません。【辞書】の【機能】が【証明】しているものとして、他にも『【言葉】の【分量】を増やした方が、【誤解】を減らしやすく、【平易】にしやすく、より広く【理解】を得やすくなる』という【事実】があります。


 のみならず、【辞書】ごとの【表現】は必ずしも【一致】していません。つまりこれは『一つの【意味】に行き着く【表現】に、【選択】の幅がある』ということを【証明】してもいるわけです。


 これが【証明】するのは、以下の【事実】です。


 ◇


・【事実】:“【最善】の【表現】”と【同等】の【正確】さを【実現】する上では、“【次善】の【表現】”を【複数】【重ね合わせる】こともまた【手段】のうち


 ◇


 この“【次善】の【表現】”一つ一つは、確かにそのものズバリの【理解】を得るには【不足】であるかも知れません。ですが、『“【前段階】の【理解】”を仕込んで【理解】へ繋げていく【表現方法】』というものを受け入れるなら、そこには『【一言】で【完結】させないがゆえの【利点】』もまた生じてくるものです。


 ◇


 さて、今回は一旦ここまで。


 “【前段階】の【理解】”を仕込む、という【考え方】に立ってみると、そのものズバリの【理解】の一歩【手前】に【類義語】という【概念】が見えてきます。

 また【辞書】という【概念】も見えてきますね。

 これらが【意味】するものは、“【次善】の【表現】”というものの【存在】と、『【表現】を重ねることで【同等】の【意味】を【表現】できる』という【事実】です。

 さらに【辞書】が示すのは『より多くの【表現】を用いれば、元の【表現】を【言い換える】ことができる』という【事実】と、さらに『【言い換え】は一つとは限らない』という【事実】です。


 これらを【総合】すると、は『一つの【意味】に行き着く【表現】に、【選択】の幅がある』ということになります。これは『“【次善】の【表現】”を【重ね合わせる】こと』ですが、これは“【前段階】の【理解】”を積み重ねて【理解】を目指す上で役立つはずですね。また、そこには『【表現】を【一言】で【完結】させないがゆえの【利点】』もまた生まれてきます。


 次回はこの【利点】について考えてみましょう。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。


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