188.【リアクション】という【描写手段】(第6回)(2024.12.14)
いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。中村尚裕です。
さて私、このところ【説得力】と、その【対極】にある【手前味噌】、さらにその【代替】となる【表現】の一つ、【リアクション】について【考察】しております。
【手前味噌】は実に【危険】な【地雷】で、そこには【作者】の【作者】の【自制】の【欠如】が透けるものです。これは【観客】の【思考の自由】をいずれ【侵略】しかねないものですから、【読解力】の高い“ありがたい【観客】”ほど読み取って離れていくことになりかねません。
そこで【思考の自由】を【尊重】する【表現】の【例】として、【リアクション】を取り上げているというわけです。
さて【アクション】の【主語】は【自分】です。【手前味噌】に陥る【作者】は、往々にして【アクション】に対する【観客】の【思考】を操りたがるものです。例えば「【自分】の【アクション】にはこんな【効果】が!」という具合に。
ただ一方で、【自然現象】は【観客】の【思考】を操ったりしないものです。すると、【アクション】に対する【観客】の【思考】を操ろうとする【表現】は、軒並み【不自然】ということになります。そして【不自然】な【表現】に【説得力】は宿りません。
これは【表現】一つ一つ、この場合は【アクション】単体で【表現】を【完結】させようとするから【無理】が生じているのです。複数の【表現】で【意味付け】を重ねて【表現意図】を補い合い、それぞれ【観客】の【理解】を補えばいい話です。
この時、【アクション】と【意味付け】を重ねて【表現意図】を補うのが【リアクション】というわけです。
【リアクション】の【役割】は『【アクション】を【補助】すること』です。その一端として『【アクション】から【表現】の一部を引き受けて【内包】し、【アクション表現】の【軽量化】に【貢献】すること』があります。
こうすることで【表現】の【分散配置】を【可能】にして、「(【表現】一つで)【全部】解って!」という【強迫観念】から離れる【可能性】を生む――という見方もできますね。
もちろん【自制】を要しますが、私は相応の【見返り】があると【認識】しています。
【アクション】の【主語】は【自分】(≒【作者】)ですが、【リアクション】の【主語】は【他人】です。例えるなら【リアクション】は【口コミ】に似ています。『“【客観】に近い【視点】”から語られるがゆえに、【手前味噌】がない』のです。その【結果】、強い【説得力】が宿るというわけです。
ただしこれは、【リアクション】の【主語】に当たる『“【視点】の主”が【独立】した【行動原理】を持つこと』を【大前提】とします。【口コミ】の主が【サクラ】だったら、途端に【手前味噌】全開になって【台無し】になるのと同じですね。
前回はこの【リアクション】で何が起こるのか、そこを掘り下げてみました。
【リアクション】の【主語】である“【視点】の主”は、【他者】です。【アクション】の【主】にとってももちろんですが、【観客】にとっても、他の【登場人物】や【現象】にとっても、です。
この時、“【視点】の【主】”は他の【存在】に対して“【客観】に近い【視点】”に立ち、そこから【リアクション】を示すことにもなります。
ここで、【作品】において【創造主】である【作者】が【他者】の【思考の自由】を【尊重】する時、【決定的】な【構図】が【成立】します。何かと申せば、【アクション】と【リアクション】が【現実世界】の【原理原則】と同じ【関係】になるのです。つまり【現実世界】と同じ【説得力】が生じるわけですね。
今回は、そうして生じる【説得力】が及ぶ範囲について【考察】してみましょう。
◇
○【枠】を越える【リアクション】(その1)
この【アクション】と【リアクション】が【現実世界】と【同様】の【説得力】を生む【関係性】は、何も【アクション】一つ一つに限ったことではありません。
俗に言われる【経験則】として、次のものがあります。
・【物語】は【良質】であるほど、(広義の)【登場人物】たちの【アクション】と【リアクション】で【構成】される
ここで『(広義の)【登場人物】たち』には、【作品世界】全般の【現象】や【物体】までもが含まれます。【登場人物】はそれぞれの【行動原理】に従う【言動】を取りますが、同様に【現象】や【物体】は、それ自体が帯びる【性質】や【作品世界】の【法則】に従う【挙動】を取る――というわけです。
この【経験則】を踏まえる時、例えばある【アクション】が招くものを考えてみましょう。
その場(【シーン】)に居合わせた誰かの【リアクション】、というのは解りやすいところです。ですが、それだけではありません。
この場の【アクション】なり【リアクション】なりは、【シーン】の【枠】を越えて【影響】を及ぼすものです。
例えばこの場に居合わせた誰かは、【目的】のため取るべき【手段】に【修正】を強いられたりするでしょう。その【修正】がまた別の誰かの【修正】を呼んだりするものです。例えばこの場に関わる【現象】には何らかの【変動】が生じるでしょうし、同じく【物体】は【持ち主】を替えることになったりと【影響】を受けるでしょう。
これら【リアクション】が同時にまた新たな【アクション】としても【機能】するわけです。それに対する【リアクション】がまた生まれ、その【繰り返し】が【物語】を【駆動】していくわけです。
その【スケール】は大中小様々、【シーン】から【章構造】、果ては【物語構造】全体にまで及びます。【視点】を引いて【マクロ】にこれを【観測】する時、【アクション】と【リアクション】の【関係性】は【フラクタル】な【入れ子構造】を見ることができるでしょう。
これが【意味】することは、【説得力】を【作品】に帯びさせるための【法則】、少なくともその一つです。
◇
さて、今回は一旦ここまで。
【アクション】と【リアクション】の【関係】を【現実】と【同様】に揃える時、そこに生まれる【説得力】は【シーン】という【枠】を越えて【作用】します。
『(広義の)【登場人物】たち』、ここでは【作品世界】の【現象】や【物体】も含めてですが、それら【リアクション】は新たな【アクション】として次の【リアクション】を生み……と、この【連鎖反応】は【シーン】の中に留まらないわけですね。これらは大中小の【フラクタル】な【入れ子構造】として【観測】できるはずです。
次回はまとめとして、この【事実】から得られる【説得力】の帯びさせ方、その【法則】の一つについてお話ししましょう。
よろしければまたお付き合い下さいませ。
それでは引き続き、よろしくお願いいたします。




