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149.【自己満足】と【シラケ性】(第1回)(2024.03.02)

 いつもご覧いただきまして。誠にありがとうございます。中村尚裕です。


 私、【作者】として常に【内在】する【心の声】があります。


『それって単なる【自己満足】じゃない?』


 今回はこの【心の声】について、【我流】で向き合い方を考えてみます。よろしくお付き合いのほどを。


 ◇


○【心の声】『それって単なる【自己満足】じゃない?』


 私の場合、この【心の声】は“【作者】としての【自分】”の中で絶えたことはありません。それこそ【初心者】の時分から【現在】に至るまで。


 この【心の声】、元を辿ればある種の【心理】に基づくものです。

 私は【シラケ性】と称しておりますが、要は『何事に対してもノレない、醒めた【心理】』というところですね。


 もちろん、【創作者】として苦しくないはずはありません。

 その上に、です。この【心の声】、【反論】するにも【根拠】が要ります。しかも【論理的】なものが。なぜなら闇雲に抗おうと逃げようと、そもそも消えるものでもないからです。かといって【感情】に任せて【反発】したところで、今度は【感情】一つでまた引っくり返ってしまうのが道理です。

 第一、“【観客】の【心理】”がこの【心の声】と【一致】でもした日には、それこそ【ダメージ】は【甚大】と申すもの。ならば【反論】できるだけの【論理的根拠】を常に用意しておくのが【建設的】――と考えるわけですね。【論理】は【感情】即ち【心理】で覆せませんから。


 こう考えてみると、『“【作者】としての【心理】”を支える上で、【自己満足】と【シラケ性】に対する【向き合い方】、およびその【論理的根拠】が果たす役割は小さくない』という【認識】が【成立】することになります。


 そこで【自己満足】と【シラケ性】、まずはそれぞれについて【単体】で考えてみましょう。


 第一に、【自己満足】について。


 【自己満足】という【言葉】は、往々にして『【自分】一人だけが【満足】を覚え、【他人】の【満足】を疎かにすること』という【意味合い】で使われがちです。

 ですが本来の【意味】に【着眼】してみれば、【自己満足】とは『【自分自身】に、または【自分】の【言動】に、【自分】で【満足】すること』です。『そこに【他人】の【満足】は入っていない』のは【事実】ですが、ただし別に『【他人】の【満足】を損ねること』が【前提】に入っているわけでもありません。


 何が言いたいかと申せば。

 『【自己満足】だけを貪り、【他人】に【不利益】を【一方的】に押し付ける【姿勢】』自体は、確かに【身勝手】で【忌避】に値するというものです。そこに間違いはありませんが、『【自己満足】と【他人】の【満足】を【両立】させる【Win-Win】の【姿勢】』というものは、【忌避】どころか【賞賛】に値する、と私は【認識】しております。


 早い話が、『【自己満足】という【言葉】の【意味】を【勝手】に【拡張】する【必要】はない』と、私は考えているわけです。『【着眼】すべきは『【自己満足】と、その【外側】にある【他人】の【満足】との【関係性】』、というわけですね。


 よって私は、『【自己満足】自体を【忌避】する【理由】は【存在】しない』と考えています。『【他人】の【満足】も併せて【追求】すれば、それでいい』と。

 ただしもちろん、『【自己満足】“だけ”で【完結】してしまいたい』という【願望】があるのも確かですから、そこは【要警戒】ではあります。


 さて、第二に【シラケ性】について。


 これについては、『【程度】の差こそあれ、誰しも持ち合わせている【心理】』と私は【認識】しております。


 例えば、学校の授業風景を思い出してみてください。国語の教科書を誰かが【情感】たっぷりに読み上げた【場面】、これに居合わせた人は少なくないものと私は思っておりますが。

 実際に居合わせた場合、ここで『【馬鹿】にする【失笑】』を【目撃】した方は多いのではないでしょうか。


 私が【シラケ性】と呼ぶのはこの【失笑】、もっと申せば“【馬鹿】にする【心理】”に近いものです。言い換えれば『「【シラケて】いる方が【都合】がいい」とする【心理】や【論理】』ですね。なぜなら『【真面目】に【努力】している者を【馬鹿】にすることで、“【努力】しない【自分】”を【正当化】する【心理】や【論理】』を【前提】としているから――というのが私の【推測】です。


 もちろん、“【面白く】感じないもの”に【ノリノリ】である【必要】はありません。ですが、『【シラケ性】は“【積極的】に【シラケる姿勢】”として【ブースト】されたもの』と【認識】して、まず【間違い】はないと私は捉えております。ただ、その【根底】に『【面白くない】ものは【面白くない】』という【冷静さ】が【存在】するであろうこと、これ自体は【不可避】であろう――とも【認識】する私ではあります。


 であれば、『【シラケ性】は“【自分】を【客観視】するきっかけ”として【活用】し得る』――とは言えそうですね。


 と、ここまで【認識】してみると。

 【自己満足】も【シラケ性】も、【絶対悪】でもなければ【絶対善】でもない、ということが観えてきます。

 であれば、『相応に苦しくはあるが、【向き合いよう】はあるしその【価値】もある』とまでは考えられそうですね。


 ◇


 さて、今回は一旦ここまで。


 【表題】に掲げました【自己満足】も【シラケ性】も、【ニュアンス】としては必ずしもいい【印象】と結び付いてはおりませんが。

 ただし【絶対悪】というわけでもありません。さらには【作者】としての【自分】の【心理】に湧き上がってくるものでもあります。

 ならば、ものは使いよう――というわけで、これから向き合い方を【考察】して参りましょう。


 よろしければまたお付き合い下さいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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