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111.“失敗”のススメ(2018.12.08)

 いつもご覧いただきまして、誠にありがとうございます。


 私、最近“失敗”と“成功”について考えさせられたところがありまして。


 何かと申しますと、「“失敗”の定義って何ぞや?」という疑問が湧いて出たと申しますか。

 ここで「失敗=“成功”でないこと」という否定形で語ることはできますが、その時は“成功”も合わせて定義しなければ意味を成すことはありません。


 では“成功”とは何かを考えてみたならば。

 実はこれが実に奥深いものでして。


 大前提は「人生万事塞翁が馬」、要は「未来は全く予知不可能。何が“利”するか、事前に察知・理解することはできない」というものです。

 また、「“利”の定義は百人百様」でもありますから、なおのこと未来に何がどのように“利”するかは事前に知り得るはずがありません。

 これで考えてみたならば。


 例えば目先の目標を達して“成功”したかと思えば、それが契機で泥沼に足を突っ込むことになったとか。晴れて就職したらブラック企業だったりという場合などですね。


 例えば「雨降って地固まる」事例ではどうでしょう。喧嘩したからこそ相手の内面をより知ることになり、かえって絆が深まった仲もありそうです。


 これだけの例でも明らかですが、「“成功”とは何ぞや?」という素朴な疑問に対応する答えは、実は考えるほどにあやふやになっていきます。


 「就職先がブラック企業である可能性を吟味しないのか?」という突っ込みもありましょう。それはごもっとも。ですが、想定していない事態を“成功”の条件に組み入れることはできません。ある程度までは事前リサーチで補えるとしても、万全を期することは不可能です。

 つまり、未来が見通せない以上、何をもって“成功”と呼ぶべきかの明確な基準は、実はどこにも存在しないのです。


 とどの詰まり、“成功”と同時に“失敗”もまた定義できないことになります。


 ここで、日本人が大好きな(と勝手に私が認識している)言葉が出てきます。「失敗は許されない」。

 この言葉を見聞きするにつけ、私は疑問を禁じ得ないわけです。「そも、“失敗”の定義って何ぞや?」と。


 もちろん命を繋ぐのは大前提です。未来がなければ、そこで可能性は終息しますから。

 ですが命のある限りにおいては、私は問わずにはいられないわけです――「“失敗”とは何ぞや?」


 “成功”の認識がそれ以上の探求の手を止めてしまうものなら、それ以上の可能性は存在できないことになります。つまり停滞ですね。それは果たして“成功”と呼んでいいものなのか。

 逆に“失敗”して探求を続けた先、想定外の成果を得たとしたなら。それは可能性の開拓に他なりません。それを果たして“失敗”と切り捨てるのはいかがなものか。


 そこで私として申し上げたいのは、「あなたの想定している“成功”“失敗”は、本当に完全ですか?」という問題提起。

 もっと申し上げれば、「あなたの恐れている“失敗”は、本当に完全な失敗ですか? 他人の意見は棚に上げて、その“挑戦”や“失敗”からあなた自身が得るところは、本当にマイナスだけですか?」と言い換えることもできます。


 もちろん、現実に出る結果は“成功”と“失敗”が複雑に入り混じったものでありましょう。ですが“失敗”を恐れるヒトほど、「一片たりとも“失敗”の要素が入っていては“成功”ではない」と認識する傾向が強いように、私には思われます。

 そもそも、“失敗”を恐れるヒトは「現実の結果は“成功”と“失敗”が入り混じっている」という認識すら知らないでいる可能性が大であるように、やはり私には思われるのです。


 なので私としては、“失敗”なるものを進んで体験してみることをお勧めしたい次第。

 正確を期すれば、「進んで“挑戦”してみることをお勧めしたい」ということになりますが、「“挑戦”の末の“失敗”から得られるものは意外にある」と申し上げればよいでしょうか。

 そのココロは、「失敗っていう割に、それ“失敗”じゃないから」。つまり“可能性の開拓”とでもいうべき“挑戦”は、“失敗”なくしては成立しないと申しますか。


 実は“失敗”とは、想定の外へ認識が拡がる瞬間なのですよね。想定の幅を拡げる行為は、果たして“失敗”などとレッテルを貼って放棄すべき愚行なのでありましょうか。

 “失敗”を愚行と同列に扱うなら、その価値観は想定の範囲を決して拡げない“愚鈍で硬直した価値観”ということになります。これ、見方を変えれば、それは即ち“失敗”よりひどい“愚か”な状態ということになりますまいか。


 曰く、挑戦は至上。曰く“失敗”はカッコいい。etc.etc.


 なので、私はむしろ“失敗”を勧めたりするのでありました。


 よろしければまたお使いくださいませ。


 それでは引き続き、よろしくお願いいたします。

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