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銀行家の娘とエリートの徒然日記  作者: 夕立
Vatican編 手を携えて

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65/83

65話 旧デンマーク領への旅 in ヴェローナ

 * * * *



 急ぐような旅行日程は組んでいないらしいので、翌朝はゆっくり10時前に家を出た。

 フィレンツェ中央駅の窓口で今日から10日間使える1等レイルパスを買い、有効に(バリデーション)してもらう。これで期間中は全ての電車に1等車側で乗り放題だ。


 さっそく北行きの高速鉄道に乗る。

 30分そこそこでヴェローナという街についた。ここで違う線に乗り換えるらしい。


「それでどうする? 乗り換えだけしてここは素通りでもいいし、軽くぶらついて昼を食べてから移動でもいい」


 電車から降りながらベリザリオが尋ねてきた。人の流れが落ち着いた所まで移動して、私はガイドブックに視線を落とす。


「どうせならぶらぶらしたいかな。このあと電車移動長いみたいだし、ちょっと息抜きしていこう? この、ジュリエッタの家に行ってみたいんだけど」

「どこ?」


 ベリザリオがガイドブックを覗き込んできた。私はその項目を指さす。


「うん。地図はだいたい頭に入った。それじゃ行こうか」


 離ればなれになるといけないからとベリザリオが私の手を握る。邪魔な荷物は駅の荷物預かりに預けて街にくりだした。


 いつもはデートプランもほぼ完璧なベリザリオだけれど、今回の旅行に関しては、行き先と経路、宿泊先を決めるくらいまでしか手が回らなかったらしい。

 立ち寄る街に何があるのか彼もほとんど知らない。

 カンニングペーパーと言ってガイドブックを出された時には笑ってしまった。


 でも、こうやって場当たり的に行動を決めるのは楽しい。興味深そうに辺りに視線を配るベリザリオだって、ヴァチカンにいる時よりずっと生き生きして見える。


 私が指定したジュリエッタの家とは、シェイクスピアの戯曲「ロメオとジュリエッタ」で有名なジュリエッタの家のモデルにされた建物だ。

 目的地に近付くと私達以外の観光客も増えて、ジュリエッタの家はすぐに見つかった。


 まずは中庭に入るための建物をくぐるらしい。そのトンネルの両壁を見て私は目を丸くした。


「本当に落書きだらけなんだね。あんな高い所とかどうやって書いたんだろう?」


 2メートルをゆうに超える場所に書かれた落書きを私は指した。

 この通路に落書きすると、そのカップルは末長く共に暮らせるらしい。だから、誰も彼もこぞって落書きするらしいのだけれど、重ねて書かれすぎて壁が黒い。白で書かれているものが目立つくらいだ。

 名前を書いた紙をガムで貼り付けていった青年には根性を感じた。


「本当だな。しかし残念だな。知っていれば何か書く物を持ってきたのに」


 くすくすとベリザリオが笑う。


「書けそうな場所ないよ?」

「適当な奴に金でも握らせて足場にならせて上に書けばいい。万事解決だ」


 表情の1つも変えずに彼は言った。冗談ではなく本気でやりそうだ。


「なんかエグいね」

「私は落書きができてハッピー。足場君は金が手に入ってハッピー。世の中そんなものだ」


 喋っている間に中庭に出た。

 狭い庭の奥にジュリエッタの像が置かれている。その周りは当たり前のように人であふれているのだけど。私は人混みをぬって前に進んだ。

 人混みごときに負けるわけにはいかない。私はあの像に触れたいのだ。ジュリエッタの右胸に触れれば幸せな結婚ができるらしいから。


「アウローラはたくましいな」


 などと言ってベリザリオは笑っているけれど、私が進みやすいように人を掻き分けてくれているのは彼だ。ジュリエッタの像に辿り着いた時にも私より先に触れていた。


「ベリザリオも触る気まんまんじゃない?」

「もちろん。ジンクスだろうと与太話だろうと、ご利益があるのなら私はすがる」


 真面目顔で、しかも片手は像の胸を撫でながら言う。表情と言動が合っていなくて私は笑ってしまった。

 けれど笑っているだけではいけない。

 ベリザリオに負けじと私も像の胸を撫でる。後に人がつかえていたからすぐにどいたけど。


「それで、バルコニーにも登っておく?」


 ベリザリオが上を見上げた。

 視線の先には舞台でお馴染みのバルコニーがある。先客数人がそこから手を振っていた。「ああロメオ」と、例のセリフを熱演している人までいる。


 ベリザリオと2人の状態、もしくはもう少しすいている時なら、あそこに混じってロメオとジュリエッタの真似をしてもよかった。

 けれど今はやりたくない。

 ヤジが凄そうだし。ベリザリオは笑顔で全部受け止めそうだけど、私は恥ずかしい。


 私は首を横に振ってベリザリオと腕を絡めた。


「ううん。それよりご飯に行こう? お腹すいてきたし」

「了解。私もそちらの方が嬉しい」


 人混みを抜けて来た道を戻る。

 ジュリエッタの家に向かっている途中で見つけたお店に入った。店前の看板によると、ヴェローナの郷土料理を出してくれるお店らしい。

 名前から実物が想像できない物もあって、怖いもの見たさで注文してみる。

 来るのを待っている間に、ベリザリオはガイドブックをめくっていた。


「ただの乗り換え街程度にしか思っていなかったけど、こうして見ると結構色々あるな。今度、夏のバカンスで1、2週間滞在してもいいかもしれない。アウローラの好きそうな野外音楽場での公演もあるみたいだよ」


 そう言って彼は記事の書かれたページを私に見せてくれる。

 開放的な施設での舞台公演は中々に楽しそうだ。

 他にも面白そうなものがありそうだと思ってページをめくると、ジュリエッタの墓なる施設を見つけた。


「ジュリエッタのお墓まであるらしいよ?」

「作り話の人物の墓まで作ったのか? 凄いなヴェローナ。ああ、フレスコ画博物館の附属施設なんだ? 私としてはこちらが見てみたいが」


 ロマンスの欠片もないことをベリザリオが言う。私はちょっと唇を尖らせた。彼が苦笑する。


「そう拗ねないでくれ。行ったらロメオとジュリエッタごっこでもやるよ。……いや。そうなると私は毒を飲まないとならないのか? 死ねるな」

「そんなところ正確に再現しようとしないでよ! 私泣くよ!?」


 慌てて私は反論した。

 戯曲の最後で、時勢のせいでロメオと結ばれないジュリエッタは駆け落ちを画策する。仮死薬で死を装ってしがらみを捨てるという筋書きでだ。

 けれど、手違いで計画はロメオに正確に伝わらなかった。

 ジュリエッタが本当に死んだと思ったロメオは彼女の墓の前で毒をあおいで自殺。その後に息を吹き返したジュリエッタも、冷たくなった彼の後を追ってナイフで己の胸を貫くという最期を迎える。


 一般人ならそんな場面を真似しようだなんてしないのだろうけれど。

 相手はベリザリオだ。

 化学に精通している彼だから、毒にも詳しいだろう。仮死薬を作って悪戯をしかけてきかねない。そんなことをされたら私の心臓が止まる。


 わたわたしている私の額をベリザリオが指で軽くつついた。


「落ち着け。冗談だ。やらないよ。アウローラに早逝されたりしたら考えるかもしれないが」

「そんなことあるわけないでしょ? 私に持病はないし。平均寿命は女の人の方が長いし、ベリザリオみたいに不摂生もしないんだから、私の方が長生きだよ」


 つんとされた場所を私は指先で撫でる。

 そうこうしている私達の席に豆のスープがきた。すぐに歩兵隊風マカロニなんていう謎な料理も届く。あとグリル野菜。パンナコッタは食べ終わりの頃にくるのかな?

 届いたマカロニを見てベリザリオが難しい顔になる。


「これのどこが歩兵隊風なんだ?」


 つぶやきながらマカロニの皿を少し食べてみたようだけれど、マカロニ以外はソーセージを切って作ったらしい挽肉と豆以外出てこない。


「昔の兵隊さんがよく食べていたとか? スープとマカロニ、お豆が被っちゃったね」

「中身が見えない名前のメニューは危険だな」


 口ではそう言いながら、ベリザリオは美味しく楽しそうに食事を進めている。実際、同じ素材でも味付けはまったく違ってとても美味しい。

 こういう冒険ができるのも知らない土地に来たから。たまにはこういうのも楽しいね。

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