第5話 浮気現場に遭遇された彼氏の気分
運命なんてものを信じるほど純粋ではない。
けど、運が良いなと思うことはある。
同じ“運”という文字を使いながらも、意味は大きく異なる。
運が良いというのは、ソシャゲーの単発ガチャで狙ったキャラが出た時とか、自動販売機のルーレットで当たりを引いてもう1本貰えた時のようなぐらいの良さだ。
日常のラッキー。それぐらい。
運命というのは、もっとなんか、大きなうねりのようなもので。
変えられない。RPGゲームの強制イベントのようなものだと思う。
あれ? 日常感が抜けていない。
「せっかくならお茶でもしていく?」
で。なんて店員さんの声が漏れ聞こえてくる今現在。
運が悪いと形容するには、交通事故に遭ったようで表現として軽過ぎる。
だからといって、運命だなんて言葉は重すぎるし、認めたくはなかった。
もしも、運の神様がいるというのなら、もう少し考えてくれと言いたくなる。
人生ゲームでも、TRPGでもないのだ。
サイコロ振ってイベント発生だなんて、僕は求めちゃいない。平凡平穏こそ幸せな人生だ。
なのに、今の僕は致命的失敗をしてしまったように、不運で、不幸で。
テーブルの下で口を押さえて『あばばばばばばっ!?』と目を回している。
どうしてこうなったと、嘆く余裕も頭も残ってはいない。
凶暴な肉食恐竜から逃げるような心地で、息を押し殺すしかなかった。
「……?
どうかしたの?
お腹でも痛い?」
レジ側に背を向けて座っているせいで、SAN値がピンチな状況を理解していない鎖錠さん母の心配する声が近付いてくる。
身を乗り出しているのかもしれない。
僕は頭を隠して震えたまま、ちょいちょいと指先で後ろ後ろと伝える。
「?」
キョトンと不思議そうにしながらも振り返った鎖錠さん母は、途端、あばばしだしてテーブルの下で合流した。あ、お疲れ様でーす。
僕とは違い胸部に大きなクッションがあるので身体を折りたたむのも大変そうだ。むぎゅうぅと潰れている。
なんでどうして!? と、鎖錠さん母の目が語っている。
もちろん、その疑問に僕が答えられるわけもなく、ブンブンッと首を振ることしかできない。
ただ、非常にマズイ状況であるのは伝わったはずだ。
嫌っている母親と隠れて会っている、なんて。
こんな状況を見たら一体どんな反応を示すのか。
怒る? それとも軽蔑する? はたまた、泣き出す?
どうあれ、喜ぶことはないし、母娘仲が好転することはまずないだろう。むしろ、悪化の一途を辿るのは目に見えている。破滅一直線。
「遠慮します。
……早く、帰りたいので」
「おっ。な~に?
家で待ってくれてる人でもいるの?」
からかい混じりの店員さんの言葉に、僕の耳がピクリと動く。
見つかったらヤバいと思いつつも、どうしても鎖錠さんの反応が気になってしまう。
日向さん!? と、驚き咎める鎖錠さん母の声をスルーして、そーっと顔を上げる。
レジの傍で立つ鎖錠さんは凍っていた表情を溶かし、頬を色付かせていた。
恥ずかしそうに小さく顔を伏せ、落ち着かなそうに二の腕を擦る姿は、どこにでもいる女の子で、
「…………はい」
と、頬を緩めてこっくりと頷く彼女から、僕は目が離せなかった。
隠れるのも忘れて、身体を起き上がらせてしまう。
言葉に尽くせないほど、胸にこみ上げてくるのは喜びだった。
僕がいると知らない場所で吐露された言葉は、直接告げられるのとはまた違った価値があるような気がして、心臓を高鳴らせる。
再び、今度は囁くような声で「(日向さんっ)」と焦る鎖錠さん母の声に窘められて、ユルユルと身体をテーブルの下に隠す。
心臓が火になったように熱かった。
伝播するように、心臓から身体中に熱が広がっていく。指先がマッチのように、ボッと火が灯る錯覚を覚えた。
うわ~~~~っ。
声にならない叫びを上げて両頬を押し潰していると、カランカランッとドアベルの音が涼やかに店内に響き渡った。
顔を上げると、鎖錠さんの姿は入り口のガラスの向こう側に映り、そのまま消えていった。
ほっ、と。
零れた息に熱がこもっていた。
安堵なのか、それとも、違う理由からなのか。僕にすらわからない。
意識は散漫で、のぼせたようにぼーっとしながら身体を起こすと、鎖錠さん母と目が合ってハッと散らばっていた意識をかき集める。
困惑しつつも、物言いたげな瞳にたじろぐ。
「……仲、いいのね?」
「それは、……。
まぁ……、それなりにはっ?」
声が裏返る。
彼女の言葉を聞かれたことも、その言葉に僕がどんな反応を示したのか見られたことも。
全てが羞恥と熱となって、今の僕に返ってくる。
戸惑い、気まずい。
誤魔化すようにコップを手に取り呷るが、コーヒーなんて残っておらず、喉に流し込まれるのは氷が溶けて溜まった水だけ。
まるでお前の熱で溶けたんだぞと言われているようで。
僅かに残ったコーヒーの風味と合わさって、口の中に苦味が残り、喉はお湯を飲み込んだようにありもしない熱を感じ取った。






