第3章ー9
そんなことがブダペスト到着1日目にすぐに起きる等、アラン・ダヴー大尉にとって、ハンガリーでの任務は多忙極まりなく、神経を使う事態になった。
実際にはスペインの例のユダヤ人保護法はセファルディム限定なのに、ハンガリーの現状からアシュケナジムまで保護せねばならない。
そして、当時のハンガリーにおいては、アシュケナジムの方が圧倒的に多いのだ。
どう見てもアシュケナジム系なのに、セファルディムに偽装させるためにスペイン語を教えて、スペイン大使館内でユダヤ人の出国までの一時的な保護措置を講じる等、スペイン大使館内は大童の事態になった。
そして。
「スペイン大使館の本来の外交官の人数分しか食糧を供給しないとハンガリー外務省から通告がありました」
「何だって、それでは保護しているユダヤ人の食糧はどうなる」
「闇で買うしかないかと」
「スペイン本国に送金依頼をしろ。ユダヤ人を飢え死にさせる訳には行かない」
「フランス政府等にも秘密連絡を。資金援助をしてくれると思います」
そんなやり取りをしたり。
「ホロヴィッツはいるか、モディリアーニはいるか。君達、ユダヤ人を我がスペインは同胞として保護する」
とハンガリーの過激派が、ユダヤ人を襲っている場にスペイン軍の軍服で身を挺して飛び込んだり。
そんな悪戦苦闘を強いられつつ、ダヴー大尉はフリアン曹長と共にユダヤ人保護に1月以上の奮闘の末、スペイン大使館を通じて数万人を脱出させることに成功していたが、思わぬことが起きた。
「スペイン大使が、ペルソナノングラータとして国外退去をハンガリー外務省から求められただと」
10月半ば、スペイン大使館内は騒然とした雰囲気に包まれていた。
「スペイン外務省は何と言っているのです」
ダヴー大尉は、その立場もあって、スペイン大使に状況説明を求めていた。
「スペイン外務省は、私に黙ってこの地を去り、スペイン大使館を閉鎖するようにとのことだ」
スペイン大使は肩を落として、ダヴー大尉に言っていた。
「ここだけの話にしてくれ。どうも本国政府と行き違いがあったらしい。本国政府としてはセファルディム系だけ救援するつもりだった。だが、我々は全ての救援を図ってしまった。スペイン本国には、当初の予定を超えた大量のユダヤ人が押し寄せることになってしまい、その対策に追われているらしい。我がスペインは内戦の傷が癒えてはいない。そんなところに数万人の難民が押し寄せられては」
それ以上は、スペイン大使は言わなかったが、ダヴー大尉も大使の内心の苦悩が分かった。
スペイン内戦の際、スペインからの難民がフランスに押し寄せ、その対策にフランスは大童になった。
その対策を巡って、当時のフランスの人民戦線内閣が崩壊する事態が起きたのだ。
勿論、その時にはダヴー大尉自身はスペインにいたが、当時、仏にいた母や妻からその時の状況は聞かされている。
だから、難民をこれ以上、スペインに送り込むな、という本国政府の意向が分からないでもない。
しかし、だからといって、ここでハンガリーのユダヤ人を見捨てては。
二人の間に暫く沈黙の時が流れたが、それを破る者が現れた。
「私が生贄になりましょうか」
ジョルジョ・ペルラスカが、ひょっこりといった感じで、スペイン大使の前に来た。
「私が偽領事になって、ビザの発行等を続けましょう。何、イタリアに私が戻れば、それをスペイン政府が追及することもないでしょうから」
ペルラスカの口調はどこか楽しげだった。
「ユダヤ教徒だろうとカトリックだろうと、人は神に祈る権利があります。それを理由の迫害は許されません。ユダヤ人の救援を続けましょう」
ペルラスカの言葉に二人は思わず肯いた。
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