エピローグー4
同じ頃、夫の土方勇中尉と似たようなことを、妻の土方千恵子も考えていた。
冷静に考えれば、夫が欧州に出征中に妻が妊娠しているのだ。
確かに千恵子が欧州に行っていた時期から考えて、特に不自然なことは無いが、千恵子のお腹の子は不義、不倫の子だという噂が立ってもおかしくない。
だが、このことについて、一番騒ぎそうな人が静かなので、噂がほとんど立たずにいる。
「あの両親の娘ですから。夫の勇さんの子でしょう」
一番騒ぎそうな人、岸忠子は静かなもので、千恵子の妊娠という情報を得て、コメントを聞きに来た新聞記者にそう言った、と千恵子は人づてに、具体的には村山幸恵等から聞いていた。
どんな口調で言ったか、までは聞けていないが、そのあっさりしたコメントに、記事にならない、とその新聞記者はボツにせざるを得なかったらしい。
あの両親の娘、という部分が、千恵子にとって気になった。
忠子さんは、私を内心で赦したということではないだろうか。
もっとも、忠子さんは意地っ張りなので、表立って認めることは無いだろうが。
それに私の両親のことを考えれば考えるほど、自分でも返す言葉が無い。
母は1度で自分を身ごもったし、父に至っては3人の女性と1年の間に子どもを作っている。
本当にフランスに自分の異母弟妹がいてもおかしくない気さえしてくる。
そんなふうに自分のことを考える一方で、千恵子は別のことにも想いを巡らせた。
本当にここまでの規模に、今度の世界大戦がなるとは思わなかった。
ユーラシア大陸全土が戦場になっていると言っても間違いではない。
中国本土では、いよいよ日米連合軍を主力とする中国本土奥地への侵攻作戦が発動されようとしている。
欧州では、対ソ欧州本土侵攻作戦が間もなく発動されるはずだ。
また、インド亜大陸では、宗教対立からヒンドゥー教徒とそれ以外の異教徒、主にイスラム教徒との間での衝突が日常となっており、流血の惨事を招いている。
これ程の大戦なのだ、世界各国で民間人が大量に死亡している。
そして、言うまでもなく、日本人も大量に。
夫や弟は生きて欧州から帰って来れるだろうか。
和子、それにお腹の子は、夫、父の顔を見られるだろうか。
可愛い甥の岸優は、父、岸総司と会えるだろうか。
両親を共に知らない子に、甥がならなければよいが。
夫が欧州に出征するときは、自分は夫の戦死について、余り深刻に考えていなかった。
いや、考えたくなかったのだ。
父が生きて還って来なかったように、夫も生きて還って来ないかも、ということを。
こうしてみると、言ってはならないことだが、姉が羨ましい。
名乗れぬ姉、幸恵の夫は出征していないのだから、
そんなふうに千恵子が想いを巡らせていると、義祖父の土方勇志伯爵が顔を見せて言った。
「正式にソ連欧州本土侵攻作戦の発動日が決まったようだ」
「本当ですか。いつなのですか」
千恵子は、何れは来ると分かっていたが、驚いて言った。
「まだ、わしの耳にも入っていない。だが、確定したということで、色々と動き出した」
「そうですか」
義祖父と孫娘は、そうやり取りをした。
「それにしても、ソ連本土に本格的に攻め込むとはな。大量の血を民間人も流すだろう。そして、中国本土でもな」
歴戦の軍人らしからぬ口調で、嘆くように土方伯爵は言った。
「そう思われますか」
「ああ、軍人だけが戦う時代が終わりつつある、民間人も大量の血を流す時代が来ている。中国での戦争を見ていると、つらくて仕方がない。本当に避けねばならないことだが。ソ連極東領でも似たようなことが起こった。ソ連欧州本土でも、民衆が大量に血を流すだろう」
土方伯爵は心の底から嘆いた。
千恵子も同様の想いに駆られた。
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