エピローグー2
そんなことを弟が想っていること等、その頃の岸総司大尉が知る由も無かった。
岸大尉は、ダンツィヒ近くの駐屯地に前進し、史上最大の上陸作戦発動の日を指折り数えているような日々を送っている。
周りにいる多くの将兵も、史上最大の上陸作戦発動に緊張しているようで、歴戦の兵が多くを占めている筈なのに、初陣のような緊張感が部隊内で漂う有様だった。
そして。
「少し吹っ切れたようだな」
「ええ。旧知の陸軍士官と連絡を取って、逢って話をしたことで、気が紛れました」
岸大尉の問いかけに、川本泰三中尉は答えた。
ブレーメンに泊り掛けで出掛ける。
あの時にそれだけしか、川本中尉は岸大尉には言わなかったが、その直前に石川信吾大佐と川本中尉が会って話をしたことからすると、誰と会ったのか、岸大尉は察することが出来ていた。
更にその後に何があったのかも。
軍医の斉藤少尉に診てもらう。
最近、師団内で広まっている隠語である。
どういう意味か、というと、性病に罹ったという意味である。
(現在だったら、セクハラだとか、非難されかねない話だが)斉藤少尉は、女性で師団病院の性病対策班の一員だった。
だから、斉藤少尉が診察したということは、性病に罹ったということを師団内で意味していた。
勿論、他にも性病を診る軍医はいるのだが、斉藤少尉がその件に関しては、唯一の女性軍医ということもあり、(斉藤少尉はかなり憤懣を溜めているようだが)隠語が出来て、広まってしまったのだ。
そして、先日、川本中尉も斉藤少尉に診察されたらしい。
おそらく、川本中尉のサッカー界の知人が陸軍士官として、ブレーメンに着いたのだ。
そして、川本中尉は出逢って酒を二人で痛飲し、その勢いで女と関係を持ったのではないか。
褒められたことではないが、これまでに川本中尉が戦場で過酷な経験をしたことを想えば、岸大尉はどうにも、川本中尉を責める気にはなれなかった。
ちなみに川本中尉は、斉藤少尉にペニシリンの太い注射を何度も打たれたようで、(他の斉藤少尉に診察された面々も同様だが)女遊びの危険が骨身にしみたらしい。
(らしい、が多いが、岸大尉も男として、そういうことを川本中尉に直接には聞かないという配慮をしたからだった。)
それはともかく。
「上陸作戦用の船舶に対する乗船命令が出て、おそらく二日で上陸作戦実施といったところですか」
「そんなところだろうな。余り長く乗船すると、どうしても疲労するからな」
川本中尉と岸大尉は、更なるやり取りをした。
「40年近く前に父祖が果たせなかったサンクトペテルブルク攻略を目指すことになりますが、岸大尉はどのように思われているのです。養父は岸提督でしょう」
「まあな。実の母方祖父でもある。だが、正直に言うと、余りこだわりが自分には無いな。ただ、敵国の重要都市を攻めるということだ、と自分には思えている」
川本中尉の問いかけに、岸大尉は答えた。
「そうですか」
川本中尉の返答が心なしか沈んでいる。
岸大尉が、敵愾心を燃やしている、と勝手に思っていたからだろう。
その声を聴きながら、岸大尉は想いを巡らせた。
ロシア帝国が成立して以来、多くの国がロシアに攻め込んだ。
ポーランド、スウェーデン、フランス等々。
だが、どの国もロシアを屈服させることには失敗している。
米英仏日伊等の連合国で、ソ連を攻めるとはいえ、本当に成功するだろうか。
それにしても、ロシア、ソ連に対する敵愾心なら、義兄の土方勇中尉の方が燃やしている気がするな。
何しろ曽祖父の土方歳三提督が屯田兵として、当時のロシア帝国の南下政策に対処して以来の因縁になるのだから。
岸提督は、川本中尉とのやり取りから、そんなことを想った。
細かいことを言えば、1942年春の時点で、ペニシリンが連合国内で大量量産されているのは、史実的にはおかしいのですが。
この世界では、バトルオブブリテンが無く、米国が1939年秋段階で早期に参戦していることからくるバタフライ効果ということで許してください。
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